気になる事  blueのためいき

日々気になる事を記します。
共感してくださる方もそうでない方もちょっと立ち止まって考えて頂ければ、うれしいです。

【速報】横田めぐみさん拉致から46年で岸田総理「痛恨の極み」

2023-11-15 20:54:00 | 拉致問題

横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて、きょうで46年が経過したことを受け、岸田総理は「いまだ多くの拉致被害者の方々が北朝鮮に取り残されていることは痛恨の極みで申し訳なく思う」と述べました。

その上で、「拉致問題は拉致被害者ご家族の方々の高齢化に伴い、ひと時もゆるがせにできない人権問題」と強調しました。

北朝鮮との交渉については「引き続き一日も早い拉致被害者の方々の帰国に向け、全力で果断に取り組む」と述べました。

総理官邸で記者団の質問に答えました。

岸田さんの言葉に違和感を覚えます。
「北朝鮮に取り残されている」
取り残されている??

拉致被害者たちの多くは好き好んで北朝鮮に行った訳ではありません。
横田めぐみさんの場合は暴力的に無理やり連れていかれたのです。
取り残されている。。
この表現に違和感があります。
何か違うのです。

取り戻す事も出来ず申し訳ないと、心の底から思っているのか、
何としても取り戻さなければならない、との強い意志があるのか、
それが感じられないのです。

13歳の少女が言葉もわからない、知っている人もいない異国の地に突然連れて行かれた事をもっと想像して欲しいです。

岸田さんには息子がいます。
何やかやと甘やかされて育ったであろう自分の息子が少年の時に北朝鮮に無理やり連れて行かれた事を想像していますか?
食べ物も着る物も、医薬品も満足にない寒く貧しい国で46年間も住んでいる事、
少年が還暦近くになるまでの長い年月。

その長い年月を待ち侘び、そして無念な気持ちで亡くなって行った多くの拉致被害者の親御さんの気持ちを岸田さんは本当に理解しようと思っているのか、甚だ疑問です。
「全力で果敢に取り組む」との言葉が虚しいです。

コメント (2)
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東京三多摩地域の拉致・失踪【調査会NEWS3563】(R4.2.10)

2022-02-11 00:49:55 | 拉致問題

荒木和博さんは拉致は日本海側だけではないとの話を時々されますが、

昨日のブログに具体例が列挙されていましたので、荒木さんと同年代の方は当時の事を思い出しながら、

また年代が下の方も、日本にはそんな時代があったと思いながら拉致問題について考えて頂ければ幸いです。

東京三多摩地域の拉致・失踪【調査会NEWS3563】(R4.2.10): 荒木和博BLOG (way-nifty.com)

「三多摩」と言ってもご存じない方が多いと思います。昔福井に車で行ったとき、ナンバープレートを見た地元のお年寄りに「多摩というのはどこですかのう」と聞かれたことがありました。東京都で23区の西側全部を指します。旧北多摩郡・西多摩郡・旧南多摩郡のことです(北多摩郡と南多摩郡は自治体が全部市になって郡が消滅)。現島しょ部を除く東京都の面積の三分の二、人口で三分の一になります。

 この三多摩、特に中央線沿線では次のような事件が起きています。

●昭和39年(1964)6月 工学院大の学生馬場昌一さんが日野市の自宅を出たまま失踪

●昭和46年(1971)8月 私と同じ中学の1年後輩(2年生・在日)が北朝鮮に行って戻らず

●昭和48年(1973)11月頃 東京経済大(国分寺市)の学生塚越義正さんが旅行中のパキスタンで消息を絶つ

●昭和49年(1974)年5月 荒谷敏生さんが富山県で失踪(妹で特定失踪者家族会幹事の矢島文恵さんが東久留米市に在住)

●同年12月 秋川市に住む会社員石川和歌男さんが会社の忘年会の後車ごと失踪

●昭和50年(1975)1月 非公開男性が立川市の下宿を出たまま失踪

●昭和51年(1976)2月 東京学芸大(小金井市)の学生藤田進さんが埼玉県川口市の自宅を出たまま失踪

●同年3月 亜細亜大(武蔵野市)の卒業生布施範行さんが名古屋で失踪

●同年7月 電気通信大(調布市)の学生高野清文さんが神津島で失踪

●昭和52年(1977)9月 三鷹市役所のガードマン 久米裕さん拉致(政府認定)

●昭和53年(1978)7月 中央大学(八王子)学生の蓮池薫さんが新潟県柏崎市で拉致

●昭和54年(1979)5月 西多摩郡に住む都庁職員と交際中の女性が旅行中石川・富山の県境で拉致未遂

●昭和56年(1981)7月 日野市に住む会社員上田俊二さんが自宅アパートを出たまま失踪

●同年9月 非公開男性が国分寺市の自宅を出て失踪

●昭和57年(1982)9月 都庁職員永山正文さんが東大和市の自宅を出たまま失踪

●昭和60年(1985)9月 非公開男性が府中市の自宅を出たまま失踪

●平成3年(1991)4月 非公開男性が国立市の自宅を出たまま失踪

●平成5年(1993)1月 非公開女性が八王子市の自宅を出たまま失踪

●平成8年(1996)9月 非公開男性が町田市の自宅を出たまま失踪

●平成12年(2000)1月 日野市に住む会社員浜崎真嗣さんが自宅アパートを出たまま失踪

●同年9月 府中市の佐藤順子さんが旅行中スイス・ツェルマットで失踪

●平成14年(2002)11月 角田麻衣さんが三鷹市の自宅を出たまま失踪。

 これ以外に警察のリストでもいると思いますが、すごい数です。荒谷さんの場合は完全に富山県の事件ですが、他県や島しょ部で失踪した特定失踪者の場合、三多摩地域にいたときに何らかの形で目を付けられたのではないかという疑いのある人もいます。

 また、久米裕さん拉致の昭和52年(1977)を前後して私と同世代の人たちが拉致されたり失踪しています。蓮池薫さんは私の1歳下、藤田進さんと高野清文さんは私と同じ歳です。

 このルートは中央線をさらに甲府・松本と行って大糸線につながる、いわゆる「大町ルート」の線上にあります。朝鮮大学校も国分寺から北に2駅のところです。私は60年近く三多摩の住人なのですが、あらためてすごいところだったのだと感じている次第です。

 

これらの拉致事件を過去のものとしてとらえるのか、現在進行形ととらえるのか。

過去のものだとしても、被害者たちは日本に帰国する事も叶わず、自由のない国、貧しい国で生活をしているのです。

電力事情も悪く、物も潤沢でなく、いわば日本の50年前のような生活。

密告社会であり、下手したら収容所送りになるかもわからない、

そんな厳しい生活を強いられている日本国民がいる事を想像してもらいたいです。

 

 

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有本香さん、拉致問題を語る【虎ノ門ニュース】6/11放送

2020-06-15 12:52:57 | 拉致問題

有本香さんが虎ノ門ニュースで拉致問題について述べられていました。

 

それがこちら ↓ 

00:11:38 「めぐみへの手紙」で質問 首相 拉致解決に決意新た

 

有田芳生議員、拉致問題解決を公約に当選した人です。

ところが拉致問題よりも北朝鮮遺骨問題に興味が移ったのか、

それとも最初から遺骨問題だけを考えていたのか、

北朝鮮に頻繁に行っているのに、拉致被害者救出に何らかの行動をしたとは見受けられません。

だからか拉致被害者家族会からは嫌われているようです。

また横田滋さん家族からめぐみさんの娘さんの写真の公表を控えて欲しいと言われていたのにも関わらず、

複数回twitterに投稿している不誠実さには呆れるやら腹が立つやら。

https://twitter.com/aritayoshifu/status/1272300581684563968

 

有本香さんが述べられていた朝日新聞の報道姿勢、

そして有田芳生など、左翼思想の反日国会議員たち。

常に北朝鮮の立場でしか考えられない人たち。

自虐史観から抜け出せないのか、それとも朝鮮半島系の人たちなのか。

真の日本人なら現在進行形の拉致問題を何とか解決し、

一日も早く拉致被害者を取り戻そうと思うはず。

40年以上もあの冷血非道で極貧国に囚われている日本人達の存在をどう思っているのだろう。

所詮他人事としか思えないのか。

特に国会議員やマスコミたちはこの問題を恥じるべきだと思う。

そしてこうも北朝鮮に舐められ切っているのか、その理由を考えて欲しい。

 

 

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1980年3月24日参議院決算委員会で公明党・和泉照雄氏が若い男女失踪事件について質問。

2020-06-08 11:52:36 | 拉致問題

https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=109114103X00419800324&spkNum=235&single

共産党橋本敦氏の質問の8年前に公明党の和泉照雄氏が若い男女蒸発事件について

国会で質問していました。

この頃はまだ北朝鮮による拉致だとはわかっていない時期でした。

しかし忽然と若い男女が蒸発したのです。

キツネにつままれたような、神隠しにあったような、誠に不可思議な事件だったと思います。

***************************************************************************************************

和泉照雄 時間がございませんので、端的に御答弁願いたいと思いますが、起こった当時から最近までマスコミ等でも取り上げられた問題でございますが、昭和五十三年の七月から八月にかけて全国で起こった若い男女の蒸発事件について警察庁にお尋ねをいたします。  五十三年七月七日に福井県で、同年七月三十一日に新潟県で、同年八月十二日鹿児島県で、若い男女が海岸で、デートに出かけ突然行方不明となり、その後何の消息もつかめていないという事件でございますが、私も直接両親からこのように手紙をいただいておりますが、この事件の概要並びに警察当局の捜査等も含めて、取り組んでおられることについて御説明を願いたいと思います。

政府委員(塩飽得郎)ただいま御質問のありました全国各地での何件かの失跡事件についてでございますが、一番初めに、まず福井県の事件がございました。これは五十三年七月七日でございますが、小浜市の地村保志さん二十四歳、それから婚約者の浜本富貴恵さん二十四歳、この二人が小浜市郊外の青井海岸の展望台で、車を残したまま蒸発してしまったという事件がございました。これにつきましては五十三年の七月の十日に、お二人の父親からそれぞれ小浜署へ捜索願が出まして、家出人の手配を行ったわけでございます。それと同時に本部の応援を得まして、行方不明となった現場にありました自動車の遺留場所である小浜公園を中心に捜索、聞き込み等を引き続き行いました。家出であるかあるいは自殺であるのか、事故か、犯罪の被害か、そういった面から捜査を行っておりますが、現在までのところそのいずれとも判明しておりません。なお、この件につきましては、五十四年の一月二十三日にアフタヌーンショー、それから五十四年の二月九日の福井放送で放映されまして、一般人からの情報を求めたわけでございますが、いまだに何の手がかりもございません。  それからその次は、七月三十一日に、同じく五十三年でございますが、新潟県の柏崎市の中央海岸で似たような事件がございました。これは海岸におりました大学の三年生、二十二歳の学生と友人の二十三歳の女性が現場に自転車を残したまま行方不明になるという事件でございます。これは、当時柏崎警察署では、この八月の三日に男の学生の方から、それから八月の七日には女性の方から、いずれも父親から捜索願が出まして、それを受理いたしまして、直ちに家出人手配を行いまして捜したわけでございますが、当時その学生さんが乗っていた自転車が市立の図書館前付近に遺留されておりまして、その辺を中心にして捜索、聞き込み、目撃者の発見などを引き続き行いまして、いろいろな点を想定して捜査をいたしたわけでございますが、残念ながらいまのところいずれとも判明しておりません。なお、この件につきましても、昭和五十四年の六月十九日TBSの番組でお二人の両親が出演されまして広く訴えたわけでございますが、いまだにこれについての有力な情報は入っておりません。  それから三番目のケースとしまして、鹿児島で事件がございました。五十三年の八月十二日、鹿児島県の日置郡吹上浜へ夕日を見にいくと言って出られました市川修一さん、電電公社職員だそうでございますが、この方と友人の増元るみ子さん二十四歳、この方が乗っていた車を置いたまま行方がわからなくなったというケースがございました。これにつきましては、八月十四日に市川修一さんの義理のお兄さんから地元の加世田署へ通報がございました。そこでお二人の捜索届を受理いたしました後、家出人の手配を行いまして特別に捜索班を編成いたしました。また地元の漁船あるいは海上保安庁海上保安部の巡視艇でありますとか、営林署の職員などの協力を得まして、行方不明となった現場を中心に広い範囲の捜索、聞き込みを行いました。また当時、現場付近のキャンプ場にキャンパーが六百人ぐらい来ていたそうでございますが、それにつきましても聞き込みを行いました。この六百人のうち、この当時——いなくなった時間が六時四十分ごろだったと言われておりますが、そのころキャンパーが二十人ぐらいいたはずであるということで、それらの方についてもいろいろお尋ねをしたわけですけれども、現場を目撃した人がおりません。そういうことで、その後引き続き家出であるのかあるいは自殺であるのか、あるいはまた事故か犯罪被害なのか、そういった点で必要な調査を実施しておりますが、いままでのところ、残念ながら、いずれとも判明しておりません。なお、この件につきまして、五十三年の九月には鹿児島テレビ、それから五十五年の一月三十日には朝日テレビ系の全国ネットでも取り上げていただきまして、市民の協力を要請しておるわけでございますが、有力な手がかりはつかめておりません。そういった状態で、現在鋭意その後も調査をしておりますけれども、いまのところ結果としてはよい結果があらわれておりません。

和泉照雄 今度の蒸発事件が非常に類似性が多いということが特徴であろうかと思いますが、すなわち第一点が、親が認めた婚前の二十歳代の若い男女のカップルがデート中の事故であるということが一つでございます。  第二点が家出、心中あるいは自殺、失踪、水死事故の気配が全然ない。  三点目が、五十三年七月から八月の四十日の間に起こった事故で、薄暗い人けのないところ、目撃者がいないなど手がかりが一切ない、完全に計画的な犯罪かと思われる点であります。  第四番目は、五十二年、五十四年には全然この種の事故は起こっておらない、こういうことで、いまおっしゃったとおり、テレビでも放映をしておられるけれども、全然反応がない。  こういうようなことで、しかし本年の一月の三十日は全国ネットワークで朝日放送がおやりになったというときには、ちょっと反応があったように聞いておるのですが、この点はいかがですか。

政府委員(塩飽得郎)ことしになってからの反応については、いまのところ詳細入っておりません。

和泉照雄 また昭和五十三年の八月十五日、富山県で若い男女の誘拐未遂事件が起こっておりますが、事情聴取をしておられると思いますけれども、この未遂事件の状態はどのようになっておりますか。

政府委員(中平和水) ただいまお尋ねの事件は、五十三年八月十五日の夕方、正確に申し上げますと、十八時三十分から十九時ぐらいの間に起こっているわけでございますが、富山県の高岡市にあります通称島尾海水浴場の松林の中におきまして、海水浴に来ておりましたアベックの、結婚を前提におつき合いをされている男女二人でございますが、これが四人組、大体年齢三十歳前後の男に襲われまして逮捕、監禁、致傷、けがをさせられた事件でございますが、事件の概要は、事件当日、この高岡市に住んでおります当時二十七歳の男性の方と婚約者の二十歳の女性の二人が海水浴場で遊泳を終わりまして、自分たちが乗ってまいりました自動車の駐車場まで帰る途中、前方から参りました四人組、服装はステテコとかシャツ姿でございますが、そういう男がすれ違った途端に後ろの方から二人に襲いかかりまして、この四人組が持っておりましたタオルあるいは手製のゴム製のさるぐつわあるいは手錠等を使用しましてこの二人を縛り上げまして、それぞれに寝袋様な布袋にこの二人を押え込みまして監禁をいたしまして、数十メートル離れました松林の中に運びましてこの二人を放置して、やがて犯人らは現場を去ってまいった次第でございまして、被害者の二人は少し薄暗くなるまで待ちまして、自力で付近の民家に助けを求めまして、そこから一一〇番をして発覚をした事件でございます。  この事件を認知いたしました富山県警察では、直ちに緊急配備あるいは検索等のいわゆる初動の捜査措置を講じたわけでございますが、犯人を検挙するに至らなかったわけでございまして、引き続いて犯人の足取り捜査あるいは犯行の用具に使われました布袋あるいはさるぐつわ等に使用されましたゴム製品あるいは手錠、タオル等の遺留品等につきましてその製造元、販売経路等について追跡捜査を徹底して実施しておりますが、残念ながら現在のところ犯人を検挙するに至っていないと、こういうことでございます。

和泉照雄 いま申し上げた富山県における拉致未遂事件では相当数の遺留品があったと、いまの御答弁ではその遺留品の製造メーカーがわからないという非常に不思議な未遂事件ではないかと、このように思うわけでございますが、しかし、手錠とか帯とかタオルとか袋とか、そういう製造メーカーがわからなくても、大体どこらあたりでつくられたものであるというようなことは推測はできると思うんですが、そういう推測からこの事件は国内のそういう計画的な犯罪なのか、あるいは外国の手が回っての計画的な犯罪なのか、そこらあたりの区別はつかなければおかしい話だと思うんですが、そこらあたりはどうでしょうか。

政府委員(中平和水) この事件は、いま概要を御説明申し上げましたが、事件の前後の状況等から見ますと、非常に大胆なところもあるし大変荒っぽいところもあるし、あるいはまた大変何といいますか、荒っぽいということに通じますが、やや幼稚だとか、そういういろいろな細かいことを申し上げますと、手口的に見るといろいろな角度から分析できる事件でございまして、したがいまして富山県警察では政治的な目的の犯罪等を含めましていろんな角度から検討をし捜査を進めている次第でございます。  遺留品につましても、これは各方面にわたりまして相当詳細な捜査を遂げておりますが、遺留品の中で製造元が判明しておりますのは、犯行に使用されましたタオルのうち一本だけが大阪の方面のあるところでつくられたというところまでは判明しております。しかし、その余の遺留品につきましては、残念ながらその製造元にたどり着いてない状況でございまして、その製造元がじゃどういうところだということにつきましても、これはいろんな人たちにいろんな角度から検討を求めておりますが、明確なその製造元等についての推測と申しますか、合理的な推測はまだできてないと、こういう段階でございます。

和泉照雄 使った手錠というのはしんちゅうの本物であるけれども、国内で生産をされたそういう記録はない、外国のものであるということはこれでもわかるんじゃないかと、私はそのように推測をしますが、そのほか、さるぐつわ、これはゴム製のもので特別な製造の品物であるというふうな新聞報道もあるようでございますが、それから、それから布袋ですね。これなんかも明らかに日本製でなくて外国製であるということからすると、やはりこの一連に四十日の間に四組の若い類似性のある男女がこのように跡形もなく失踪するということは、これは法治国家の日本で許される問題ではないと、こういうふうに思うんですが、警察庁の方はこれに最近積極的に取り組むというような報道があるやに聞いておりますが、どの課でどのような取り組みをされるおつもりなのかお聞かせ願いたいと思います。

政府委員(中平和水) まあ、この四つの事件、一つは確実な事件でございますが、あとの三つの問題と結びつくかどうかという問題でございますが、現在までの捜査では、富山県の事件と他の三つの事件との間に関連性があるという客観的な証拠は実は何もないわけでございます。確かに大変同じ時期にそうした若い男女が約四十日ぐらいの間にいなくなっておりますから、そういう点については確かに御不審をお持ちの向きもあろうかと思いますが、私ども純粋の捜査の立場で申し上げますと、いまのところ客観的な関連性というものは出てまいってない。富山の場合は四人組が明らかに襲ったということは、もうこれは明確でございますが、他の三件につきましては、先ほど保安部長から御説明がありましたように、全くこれは事件か事故か、何か皆目その現場に証拠になるべきものが何も残ってないと、こういうことでございます。したがいまして、いま私どもといたしましては、これは何としても事件性のはっきりしている富山県の事件の解明をすることがまず第一でございまして、富山県にはそうした三つの事件、三つの若い男女がいなくなった事件との関連があるかどうかということも含めて捜査を鋭意遂げていくように指示をしてございますし、それから犯人にたどり着くのは、何といってもこれは残された遺留品でございますから、遺留品につきましてさらに鋭意捜査を続けてまいると、こういう方針で臨んでいるわけでございます。  先ほどまた御指摘のありました手錠の問題でございますが、手錠につきましても必ずしも外国製品ということは言えませんで、ある程度総体的に申し上げられることはかなり古い品物であって、しかもかなり、まあ何といいますか、程度のよくない手錠であると、こういうことが言えるわけでございますが、それがまあどこで製造されたものかということにつきましては、証拠上それを裏づけるものは何もないと、こういうことでございます。

和泉照雄 鹿児島の吹上浜で起こった事件も、電電公社の職員とか青年団とかあるいは巡視艇も出て数日にわたって捜索したんですけれども、証拠はサンダルが片方だけが発見できたという、きわめて奇々怪々な私は事件ではないかと、このように思います。そして世間では、マスコミも追跡をしておるということでございますが、方舟の事件等でも強制捜査に乗り出されたようなことでございますが、優秀な警察陣を擁しておる日本で全然わからないということがあってはまことに情けないことではないかと、こういうように思うんですが、こういうようなマスコミの方々の協力を受けながら、こういう問題の解明をすべきではないかと思うんですが、警察庁長官いかがですか。

政府委員(中平和水) 先ほど保安部長の報告の中にもございましたように、まあ私どもといたしましては積極的に各方面の協力を得、特にマスコミの関係の方々の御協力も得たいと、そういう気持ちでいろんなテレビのショー等にも家族の方に積極的に出ていただいて、各般、各方面からの情報を一応求めていると、こういうことでございますから、今後ともそういう方面の協力を得まして一層努力をいたしまして、一日も早くこの事件の解明に当たってまいりたいと、こういうように考えております。

**************************************************************************************************************

1978年に相次ぎ日本海側で若者のカップルが失踪し、1980年1月7日に記事にしたのが

産経新聞の阿部雅美さんです。

それから8年後の1988年3月26日に国会で共産党の橋本敦氏が質問し、

北朝鮮による拉致を初めて認められました。

しかしいち早く国会で質問をしたのが公明党の和泉照雄氏でした。

それが上記の議事録で、1980年3月24日です。

議事録で分かるようにワイドショーで取り上げられたようです。

ただ、国会でマスコミ頼りの発言はどうなんでしょう。

主体的に国として解決に向けて総力を挙げて取り組んだのか少し疑問です。

また共産党が「うちの方が早く取り上げた」と主張しているようですが

荒唐無稽です。

そんな事を言い連ねている暇があるなら、もっと拉致問題解決に活動してもらいたいです。

 

最初の報道から40年も経つのにほぼ進展がありません。

地村さん夫妻、蓮池さん夫妻、曽我ひとみさんが帰国できただけです。

なぜ進展しないのでしょう。

拉致にかかわったのは北朝鮮からの工作員だけでなく、日本で生活している協力者もいました。

それは日本人なのか、在日朝鮮人なのか・・・。

それはともあれ、国内には工作活動をしている人が確実にいるのです。

そして今も社会に紛れ込み様々な工作活動をしているのでしょう。

また工作活動の拠点となっている朝鮮総連の存在を許していいのでしょうか。

 

何かと安倍首相が悪い、口ばかりだと非難する人たちがいます。

概ね左翼野党やその支持者です。

そんな人たちに限って、スパイ防止法に反対し、憲法改正にも反対しています。

矛盾していませんか。

今、黒人差別について日本でもデモが起こっています。

では拉致被害者の存在について、デモ参加者はどう思っているのでしょう。

黒人差別はなくすべきですが、日本人が他国によって国民の命、財産が脅かされいる事実から目を逸らしていませんか。

自分たちの国の事も満足に考えられないのに、海外の事で大騒ぎするのは奇怪です。

 

有本嘉代子さんに次ぎ、横田滋さんも亡くなりました。

これでいいのですか。

こんな不幸なことがあっていいのですか。

目の前の事に目を瞑らないでほしいです。

政権に頼りすぎ、思うようにならなければ、政権の所為にするのは卑怯だと思います。

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産経新聞が昭和55年(1980年)1月7日に北朝鮮による拉致を日本のメディアとして初めて報道。

2020-06-08 00:00:57 | 拉致問題

昭和55年(1980年)1月7日産経新聞が北朝鮮による拉致を日本のメディアで初めて報道しました。

地村保志さん濱本富貴惠さん、蓮池薫さん奥土祐木子さんが拉致されてから1年半後でした。

米朝首脳会談】拉致の存在、黙殺し続けた日本のメディア - 産経ニュース

 

虎番疾風録第3章】(4)北朝鮮による拉致、黙殺されたスクープ ...

 

世の中はこんなにも大騒ぎになっていたのに、政治家の動きは遅かったようです。

荒唐無稽だと言う人もいたとか。

ぬるま湯に浸かったような日本人の悠長さ。

やっぱりこんなところにも平和ボケが。

所詮他人事だったのでしょう。

 

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