山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ホームレス住居か隠れ家か

2023-02-08 20:56:11 | できごと・事件

 近所の人から、「ちょっと、河原に来てみて」と連絡があったので、「何だろうか」と、むかしキャンプ場があった河原に直行した。そこには怪しい建物があった。ホームレスの住まいか、秘密の隠れ家か。聞いてみると、ニヤニヤしながら「俺が作ったのさ」という。そういえば、彼は河原の整備を一人でやっていたのだった。あまりに寒いので暖を取る場所を作ったのだという。

          

 外観のシートは、捨てられていたシートを利用している。そこに、伐採した雑木などを利用して作ったというわけだ。ここで、暖を取ったり、休憩しながら、河原の景観が良くなるよう雑草や竹林・灌木を伐ったりする基地にしている。たまたま、河原の石がたまっていた所がかまどとなった。少々、風が強くても、ここなら安心して焚き火ができるという。外観は貧相な感じだが、中側はきわめて整頓された合理的な休憩所・作業場だった。

        

 さっそく、火入れして暖を取った。ときおり外では強い風があったようだが、頑丈な室内は外気の影響はないほどの作りだった。といっても屋根はない。だから、雨天のときは作業は中止となる。

 そのうちに、インスタントのコーヒーとつまみも出てきてなんだかんだ夕方まで話し込む。地元ではこうしたボランティアをやっている人は少ない。ひとりボランティアをやるとはそれなりの信念がないとできないものだ。彼も自分はここで成長させてもらった場所だったからだという。しかしそれを行動で結果を出していくのは至難の業だ。おかげで、今まで荒れ放題の河原がずいぶんと見通しがきくようになっていた。            

             

 しかし、その彼の行為を知っている人は少ない。またそれを知っていても、その努力や大変さに心を寄せる人は残念ながら少ない。決められた共同作業とか日当が出るならやるものの、自らの判断でボランティアをやる「訓練」ができていないのが日本の現実だ。仕事以外に自分が自分になる世界があまりにも少ない。忙しい流れに身を任せているのが気になる。そうなってしまう根っことはいったい何なんだろうか。働くこと以外に自分を取り戻す世界が見つからないということだろうか。

コメント
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