ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

原因も結果もすぐにはわからない

2005-04-27 20:41:21 | つれづれ日記
連日、脱線事故の報道が一日中続いている。
月曜日の報道はすごかった。
たまたま健康診断のために病院へ行って
待っている間にテレビをみていたら
なんとまあ・・ずっと同じ映像、同じセリフが
延々と続いている。
変わっていくのは死者の数だけ。
同じ人のコメントが何度も放送され、きっと顔も
セリフも視聴者に覚えられてしまっただろう

勿論JRの記者会見も同じ映像が何度も流れた。
「置き石」だと主張する彼らの姿は完全に悪役だったかも。
確かに大きな事故であるし、延々と報道しなくては
ならない気持はわかる。
わかるけれど3時間も4時間も
同じ映像、同じセリフ、同じコメントでは
あまりにもお粗末過ぎるような気がして。
こういう場合、「名曲アルバム」なんかを臨時に
流して、新しい映像や情報が入り次第報道局に
切り替えた方がいいのではないか
アナウンサーも疲れなくて済むし。
というか、あまりに同じものを何度も何度も見せられると
視聴者の心の中に現実以上の不安や悲壮感が生まれて
ある意味パニック状態やヒステリー状態になってしまうのでは?

その日の夜にはすでに「なぜ事故は起きたか」という
原因追求の報道が何度もなされるようになっていた。
まだ原因も特定されず、必死の救出活動に精一杯の時に
テレビはすでに「原因は何か」「なぜ事故は起こったか」
と、識者を招いて討論し、
模型を使って事故を再現し、ああでもないこうでもないと
論議し始めたのだった。

翌日の朝のワイドショーは
「安全な筈の電車でこのような事故に遭遇するなら
私達は恐くて電車にも乗れない」
「飛行機などと違って乗客名簿があるわけでなく
身元確認も難しく、しかも日常的に使う乗り物で
この大惨事。私達はこんな危険と隣り合わせで
生きているんですね」
とかなりヒステリックにわめきたてていた。
ワイドショーの司会者は、怒りを持っていく場に
困り果てて、結局このようなヒステリックな
反応に終始したのかもしれない。
この時点では、運転士が悪かったにせよ、もう亡くなって
いる人を責めるわけにはいかなかったのだから。

そして「責め」の対象はJR西日本に向く。
効率主義の為にこのような事故がおきた・・・
運転士と車掌がオーバーランをごまかしていたと
そのような教育を施しているJR西日本が悪い・・と。

しかしまだ2日経っても、車両を全部出す事は
出来ず、遺体の数もまだ完全ではなく・・・
つまり原因も結果もわからなくて、憶測が一人歩き
しはじめて。
そうなると憶測や文句だけでは画面が成り立たないので
今度は遺族にマイクを向けた。

遺体安置所を訪れた僧侶がインタビューに答えて
「一人の女性がひっそりと泣いていた」といえば
「それはしくしく泣いていたんですか、泣き喚いていたのですか」
とどうでもいいような質問をするレポーター。
妻を、夫を、娘を、息子を亡くして、ただただ呆然と
涙も出ずにいる遺族に向かって
「今、言いたいことは」とか「どう思いますか」と
質問しまくり、挙句に急ごしらえのドキュメンタリー
まで制作する始末。

ここまで来ると、単なる報道というより
一種の見世物のように見えてくる。
それに・・・問題はまだ始まったばかりだというのに
結論ばかり求めて空回りしている。
先へ先へと新しくいかないと視聴者に飽きられるから?
だけど、報道ってそういうものなのだろうか。
時間を埋めるために、どんな映像でも使わないと
どんなコメントでも出さないと・・・
そんな「急ぎすぎ」の感情が、このような事故を
引き起こしたとは考えないのだろうか・・・

せめて報道だけは脱線しないように
コメント
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