ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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宮内庁が反論!!  3

2009-12-05 14:15:38 | 皇室報道

 それにもかかわらず冒頭に述べたような誤解が生ずるのは,

  昭和天皇が,戦争直後の国内御巡幸のほぼ全てを

  お一方でなさったことと(最終回の北海道御巡幸はお二方でしたが,

  香淳皇后がお風邪を召され,御同伴の部分が非常に短くなりました。),

  昭和53年以降,香淳皇后の御健康がすぐれず,以後は,

  昭和天皇お一方で諸行事にお出ましになっていたことによるのでは

  ないかと思われます。

 特に,香淳皇后が8月15日の戦没者追悼式に昭和天皇と

  御一緒に御臨席になったのは,昭和55年までで,昭和56年以降は,

  昭和天皇がお一方で御臨席になりましたが,

  昭和天皇お一人の映像が今でも時折放映乃至掲載されるので,

  諸行事には昭和天皇お一方でお出ましになっていたという印象が

  殊更に強いのかもしれません。

  しかし,御不例以前の香淳皇后は,実に度々に昭和天皇と

  御行動を共にされており,この誤解は正されなくてはなりません。

 香淳皇后のお怪我や加齢以後の御公務についての誤解が次第に

  重なり,中には御同伴のないことが昭和の伝統であったとする

  極論までありましたので,以上説明する次第です。

 

 考えてみると宮内庁の反論は当たり前。恐れ多くも今上陛下のお母上に

  対して女性週刊誌も女系派も失礼な事ばかり書いていたんですから。

  今上としても母上の事をたてに今の皇太子夫妻のありようを語られては

  頭に来るでしょうね。

 

 確かに今、映像として流れるのは昭和天皇最後の戦没者式典とか

  戦後のご巡幸とか・・だと思いますけど、私達の世代が小さい頃に

  毎週やってた「皇室アルバム」ではお二方揃っての公務ばかりだった

  し、赤十字の式典にもきちんと香淳皇后は出席されてました。

  養蚕のお手伝いを美智子妃殿下がしているシーンなどもみた事が

  あります

  戦時中は一生懸命に赤十字の奉仕をされていたし。

 

 ただ、今上と違うのは、当時、「美智子妃殿下&小さい宮様方」という

  スーパーアイドル的皇族の出現で、昭和天皇と香淳皇后は年齢の事も

  あり、あまりブラウン管には出てこなかった印象があります。

  でも、植樹祭とか戦没者慰霊の式典とか、そういう「いざとなった時」に

  カリスマ性が非常に高いお二人の登場には、国民はみな緊張して

  見守っていたと思います。

 

 今上ご夫妻は皇太子時代、とにかく毎週のように施設訪問をしていて

  老人・障害者・子供・・・達とふれあい、催し物に参加され・・・そういうのを

  テレビで見ていた時は、「こんなの絶対面白くないよね」などと

  思っていた者です

  ですから、本来、両陛下が続けておられる施設訪問や「豊かな海作り大会」

  などは皇太子夫妻が積極的に、毎週のように行わなければ

  ならない公務ではないかと思うんです。

 

 正直「こんなのまで陛下がおでましにならなくても」と思う行事も

  多いです

 でも、これを下手に秋篠宮家に委託するとそれこそ東宮家からは

  何を言われるかわからないし、格の問題もあって中々譲れないの

  だろうと思います。

  それでも岩手の地震の時に皇太子夫妻ではなく、秋篠宮夫妻が

  慰問に行かれた事は聖断というよりやむを得なかった事ではないかと

 

 皇后が大切にされている養蚕・ねむ木学園・旭出学園・児童文学

  赤十字活動などは紀子妃と眞子内親王に譲られても誰も文句は

  言わないでしょうね

  ご高齢の両陛下は戦没者記念式典と植樹祭と園遊会くらいで

  あとはごゆっくりとお好きな事をされればいいのにと切に思います

  昭和から平成にかけて破られた伝統があるとすれば、それは

  「楽隠居したくても跡継ぎがしっかりしていないからできない」という事に

  尽きると思います。

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宮内庁が反論!!  2

2009-12-05 12:23:39 | 皇室報道

 香淳皇后のお出ましが少なくなったのは,74歳におなりの

  昭和52年の夏,那須御用邸で腰椎を骨折されて以降のことで,

  この時以来,お二方で諸行事にお出かけになることはほとんどなくなり,

  例えば,昭和55年について,その年の前半について記しますと,

  お揃いのお出ましは,植樹祭併せて伊勢神宮御参拝及び

  地方事情御視察のため三重県に行幸啓になった一回のみで,

  年初以来のその他の行事,具体的には,

  会計検査院創立百年記念式典,パナマ国大統領御夫妻の国賓接遇,

  スウェーデン国王・王妃両陛下の国賓接遇,園遊会,大相撲のように

  従来であれば御一緒であった筈の諸行事に,

  昭和天皇がお一方でお出ましになっています。

  つまり,冒頭で述べた「両陛下が揃って公務をなさることは,

  昭和時代からの伝統ではなく」云々は,この時期以降のみに

 ついてのことで,戦後から昭和30年代,40年代,50年代初期という時代が

  全く視野から落ちています。  

 皇居内での拝謁についても,諸行事は勿論のこと,

  戦後次第に増えていった各種の拝謁についても香淳皇后は

  願い出のあったものは,ほぼ全てに御臨席になっており,

  その都度,昭和天皇に引き続いて,おことばも賜っております。

 

 また,勤労奉仕の人々に会われる際も同様です。

  皇居での拝謁は,関係省庁からの願い出によるものがほとんどで,

  昭和の頃と同じく平成に入ってからも,時代の要請で

  新しく加わるものが多々ありました。職域も増え,また,

  各職域での女性の参加者は近年著しく増えているので,それに伴い,

  両陛下お揃いでのお出ましへの願い出も,自然に増えています。

 一例が全国校長会で,女性の校長が極めて稀であった昭和の時代には

  願い出も昭和天皇お一方でしたが,女性校長の数が増えるに従って,

  願い出も両陛下となりました。また,平成に入ってから加わった

  国際緊急援助隊や国際平和協力隊などの拝謁も,当初は天皇陛下

  お一方でしたが,やがて女性隊員も増え,皇后陛下のお出ましも

 求められるようになり,前者については平成16年から,

 後者については平成18年から,皇后陛下もお出ましになっています。

 どちらの場合も,関係省庁ならびに宮内庁の検討を経て

  決定されたもので,皇后陛下がなさりたいか,なさりたくないかに

  よって決定されるという性格のものではありません。

 ただ,皇后陛下が天皇陛下の御行事への御同席を求められれば,

 ほぼ全てこれをお受け入れになるのは,求めには出来る限り

  応じなければというお気持ちは勿論のこと,それにより少しでも

  陛下のお疲れの総量をお量りになれるようでありたいとの

  お気持ちをお持ちのようです。  

   なお,宮中祭祀についても,香淳皇后が御熱心でいらしたことは,

  よく知られています。

  平成に入り,皇后陛下は香淳皇后がなさっていた祭祀を全て

  そのままに受け継がれました。

 お減らしになったものはありませんが,

  お足しになったものも一つもありません。  

 以上のように,昭和の時代も今と変わらず,

  昭和天皇と香淳皇后は多くの場合お揃いでお出ましでした。  

 

 きっちりと宮内庁にここまで言われて小林よしのり氏等はどう

  反論するのでしょうか?

  敬愛する昭和天皇のお妃・香淳皇后に対して失礼・・・とまで書かれて。

  赤っ恥だなあ・・・

 

 特に「祭祀」を今の皇后陛下は香淳皇后から引き継がれて、増やしも

  しなければ減らしてもいないと

  つまり次代の皇后にも同じ事を要求される筈なんです

  それが出来ない・・したくない・・嫌だ・・というなら皇族を辞めればいい。

  「国費の問題から」働かないで理屈と言い訳だらけの皇族は必要ない

  でしょうね。

 

 また、女性週刊誌は日頃から

  「専業主婦の皇后がいてもいい」だの、「愛子様の教育に専念される

  素敵な雅子様」と持ち上げていますけど、歴代の皇后陛下のバイタリティ

  あふれるご活動を思えば恥ずかしくて口にも出せないのでは?

  今の所、皇太子夫妻が昭和の頃と比較して同等なのは静養の数のみ。

  それも当時、70代だったご老体夫婦と同じというのは・・・

  情けないですね。

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宮内庁が反論!!  1

2009-12-05 08:52:46 | 皇室報道

 よしっ 頑張れっ

 

 昭和時代における

    香淳皇后の御活動について 

あえて全文掲載します。

 

 最近,一部の雑誌の皇室に関連する記事の中に,

  両陛下が揃って御公務をなさることは昭和時代からの

  伝統ではなく,

 皇后陛下の御意思で天皇陛下と御一緒に御公務をされて

  いるものであるという趣旨の記述が散見されますが,

  これは,皇后陛下の御行動に対する誤認であると共に,

  昭和天皇のお側で数多くの公的行事に御出席になった香淳皇后に対し,

  極めて失礼なことですので,この際,宮内庁として,

  事実関係を説明することにしました。

 

 まず,現在の両陛下が,お揃いで御公務をなさることは,

  平成になってからの独自のなさり方ではなく,

  昭和の時代のものを受け継ぎ,これを基盤にして

  新しい時代の要請に

  合わせて発展させてこられたものであり,そのことは,

  現行の憲法のもとで,昭和天皇と香淳皇后がなさっていたことを

   調べれば分かる筈のことです。

 

 例えば,香淳皇后60歳になられた昭和38年につき,

  同年の昭和天皇・香淳皇后の行幸啓を,仮に同年前半のお出ましに

  限って記してみても,年初以来,中央区久松小学校創立90周年記念式,

  エジプト美術五千年展,桜友会・常磐会主催古典舞踏鑑賞会,

  五島美術館御視察,第五回東京国際見本市,カンボジア王国秘宝展,

  赤十字百周年記念大会,五月場所大相撲,世界の貝類展,

  植樹行事ならびに地方事情御視察(宮城県,青森県),

  タイ国王・王妃両陛下国賓接遇などにお二方お揃いでお出ましに

  なっており,この間,昭和天皇お一方でお出かけになられたのは,

  国会開会式,学士院授賞式及び芸術院授賞式の計3回のみです。

 なお,同年の後半に,山口県で開催された第18回秋季国民体育大会にも,

  勿論お二方でお出ましになりました。  

 

 また,香淳皇后が70歳になられた昭和48年の前半についても,

  お二方で,静岡県水産試験場御視察,植樹祭併せて地方事情御視察

  (宮崎県),菊栄親睦会(於:新浜鴨場),世界の貝類展,

  世界に誇るブラジル展,園遊会,箱根樹木園等御視察,

  多摩陵及び多摩東陵,NHK放送センターなどにお出かけになられ,

  この間,昭和天皇お一方でお出かけになられたのは,

  国会開会式,学士院授賞式及び芸術院授賞式の計3回のみです。  

 

 なお,この学士院,芸術院授賞式へのお出ましですが,

  平成に入って暫くした頃,当時の学士院院長から学問の催しには

  是非両陛下のお出ましをお願いしたいとの申し出が宮内庁に寄せられ,

  芸術院もこれに続き,当時の宮内庁長官及び侍従長の判断により

  皇后陛下にもお出ましを願うことになったものです。

  国会の開会式は,現在も天皇陛下お一方で御臨席になっています。  

 

 いわゆる

「現両陛下の二人揃っての公務は平成流」

「皇后には公務や祭祀等の義務はない」

「香淳皇后はほとんど昭和天皇と一緒に公務をしなかったし祭祀も同様」

「現皇太子妃が公務や祭祀をしなくてもよい」

という論法はいわゆる「女系派」「皇太子妃擁護派」の常套句になってます。

最近、この論法を特に使うようになったのは

小林よしのり・竹田恒泰の2氏。

小林氏 → 雅子様は皇太子にだけ微笑んでいればいい

竹田氏 → 雅子様はそこにいるだけでありがたい

そして他にも所功氏とか女系派はとにかく「皇后には義務はない」の

一点張りでゆえに廃太子論が出ている事に対して反論するわけですね。

「全く公務や祭祀をしない皇后がいてもいい」と。

今回の反論は宮内庁が・・・というか、両陛下がそういう論法に

「NO」を突きつけた結果であると考えます。

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