ふぶきの部屋

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韓国史劇風小説「天皇の母」連載第 4 回

2011-03-27 10:06:04 | 小説「天皇の母1話ー100話

(フィクションだよ・・・フィクション)

3回目

 

東宮が生まれた朝は晴れ渡っていた。、

日本中が喜びにわきたち、何か大きな荷物を下ろしたような気がした。

巷では早速「東宮様お生まれになった」という歌が作られ、こぞって歌われ

そのたびに「ああ、これでもう安心なのだ」と胸をなでおろす。

 

それは后の宮にとっても同様で。というか、もっとも安堵し、100万回でも

伊勢に参りたいと思う程の気持ちだった。

后の宮ははその後、二宮と女五宮を産んで、漸く皇室においての地位を確立した。

 

帝も后の宮も子供達を手下で育てたいと願っていた。

女一宮はその通り、暫くは両親と同居し母乳を飲んでいたのだが、

ある時期から、内親王たちは寮に入れられ、「内親王」としての専門教育を

受けることになった。

そしてそれは東宮と二宮も同じで、物心つくと互いの御殿に住まわされ、

週に一度、両親に挨拶をする・・・という日課を与えられた。

イギリスのアットホームな王室を見てきた帝は

私情を挟めば帝王教育並びに皇族教育が出来ない」とする。

まだ3つになったばかりの東宮は最初こそ、寂しがって泣いたり

ぐずったりしたものの、やがてその運命を受け入れざるを得なくなった。

単独で生活することに慣れてしまったのだ。

 

宮の回りには内舎人と呼ばれる側近が取り巻いており

女官達もあまり近づけなかった。

女性らしい柔らかさに欠ける東宮御所は(多分、二宮御殿も)

どこか殺伐としていたに違いない。

兄弟であるのに、親しく交わる事もなく、姉達は会えば

「ごきげんよう。東宮様」と首をたれる。

両親とは週に1度会うだけ。

それは楽しかったけれど、毎日ではないことに少し悲しくなった。

特に学校に通うようになってからは、学友たちはみな両親と一緒に

暮らしており、兄弟達とも親しく接していることを知り、

東宮は「自分」が置かれている環境が特別であることを知った。

「殿下は皇祖皇宗の血を引いておられる。神の御子なのです。

ですからどんな時も祈ることをやめてはいけません。宮中における祭祀は最も

重要な事なのです」

と、祖母の大宮は教えて下さった。

けれど小さい東宮には正直、神殿は怖い所だったし、暇さえあれば

「神に祈る」祖母に対して、つまらなさを覚えたのも事実である。

戦争は終わりをつげた。

 

二宮は小さい頃から病弱だった。

后の宮はそんな二宮をひどく心配し、ことあるごとに

様子を尋ねさせる。

咳をした、熱を出したといえば后の宮が御殿に駆けつけたり

直接看病にあたったりする。

それは東宮や姉妹たちにも同じ態度ではあったのだが、

東宮から見ると、二宮が殊更に特別扱いされているような気がした。

たがて、二宮が小児麻痺を患い、足が不自由になってからは

余計に母君は心配りをするようになった。

 

国が世界と戦争を始め、多くの矛盾を抱えながらも

国体を守るために必死に戦っていた。

傷つき、悲劇の中で死を迎える国民たちは、それでも帝を心の

よりどころにしている。

その事は幼い東宮にもよくわかったのだが、

どうにも納得できないものだった。

帝は現人神というけれど、あもうさまは人間ではないのか。

現人神の子供の自分は人間だ。弟もそう。

だからこそ病気もするのだけど。

一体、国民は自分達に何を期待しているのか。

そうこうしているうちに空襲がひどくなり、東宮と二宮は

学友たちと都を離れ疎開生活を送ることになった。

一人は慣れっこで、学友と一緒なら寂しくないと思ったけれど

慣れない田舎の生活はストレスになったし、なにより本気でひもじかった。

それを顔に出すことも許されない状況に窮屈さを感じる。

孤独と矛盾にさいなまれる日々が続いた日々、やがて戦争は終わった。

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一体今は何時代?

2011-03-27 09:19:08 | つれづれ日記

 昨日、有楽町へ行って思った事ですが今回の震災について

都内にいた人と千葉や茨城などにいた人ではかなり温度差があるって事がわかり

ました。

うちの旦那の会社が御茶ノ水にあるんですけど、震災直後に取引先の部長

だか何だかが「帰れないから飲みに行く」って居酒屋に行ったそうですし、

それぞれの家庭では水パニック、物資不足で不安だというのに、仕事は通常通りで

何事もないように生活していますし・・・・妻と夫、会社員と専業主婦、都会と地方で

こんなに感覚に差があるのかとびっくりしています

 

阪神大震災の時も大阪のカプセルホテルにいた夫と神戸で震災にあった妻子との

間の温度差が原因で別れた・・・なんて話も聞きますし

有楽町のビルから見る皇居がなんとものどかで。

駅付近の店なども「節電」が嘘みたいな状況で。千代田区・・・特に皇居近辺で

働いている人達にはものすごく遠い出来事なんじゃないかって

そんな中で陛下は粛々と行動されているんだなあと思うと頭が下がりますが。

 

 空襲後のような風景

月刊「WILL」で田原総一郎氏が「我が人生で2度の敗戦」と題して書いて

いらっしゃったのですが、まさにそんな気がします

津波で流された町はまるで空襲の後みたいにがれきの山が広がっていますし

「戦災孤児」ならぬ「震災孤児」の問題だって今後は出て来るでしょう?

町、村、そういった歴史ある繋がりが一瞬にして消えてしまった・・・・というのが

何とも悲しいです。

 

 燃料・食料・水パニック

スーパーの開店1時間前からずらりと並ぶ人達。開店と同時に飛び込んで

真っ先に売れるのは卵。牛乳やペットボトルは一人1本。水は棚から消えてます。

薄暗い照明の下、商品の棚は閑散としてますし、レジに並ぶ人達の切羽詰った

表情・・・これってまさに「買出し」風景ですよね

子供がいる我が家ではお弁当用のおかず、水、おやつを確保するのに

3件以上のスーパーを梯子して探し回ったり・・・まさか、こんな経験を自分がするとは

思いませんでした

「ああ、これが先の見えない不安というものか」

「戦後の国民がどれ程絶望と戦いつつ、日々を過ごしていたか」

紙に書かれた文字じゃなくて、感覚として少し掴んだような気がします。

 

 大政翼賛会&国防婦人会?

ちょっと大げさなんですけど、ACも含めて、色々な芸能人やスポーツ選手が

テレビで「日本は大丈夫」「頑張れ日本」「あなたは一人じゃない」

とか言うのを聞いていると

腹が立ってくるんです

今、頑張れる状況じゃないでしょう?何を頑張れっていうの?物はない、今後の生活

の見通しも立たない、そんな中で何が「大丈夫」なんですか?

仮設住宅も足りないし、放射能は怖いし。だれが生活の保障をしてくれるの?

「一人じゃない」ったって「自己責任」じゃないの?

日本は強い国」とかいうフレーズも、ありがた迷惑っていうか・・・

芸能人の「今、自分に出来る事をやるしかない」っていうフレーズもちょっと

偽善的に見えてしまいます

いくらメッセージを発しても、いくら歌っても、被災地ではネットもなければ映像だって

そんなに流れない・・・全然励ましになってないっ

そんな事より、実際に現地へ行ってはいかがですかと。

阪神大震災の時は石原軍団が炊き出しやったよね?何で今回はやらないの?

避難所でコンサートやってよ・・・子供達の笑顔を取り戻して欲しいです。

 

テレビでダダ漏れしてくる

頑張れ」「乗り越えられる」メッセージが押し付けがましいと感じるのは

私だけでしょうか?

まるで「欲しがりません勝つまでは」みたいな心理的に妙な強制力を持っている

気がするんですね。

「節電」の奨励も「パーマネントはやめましょう」みたいな?

そのうち、白い割烹着を着たお母さん達が通りで注意するようになるのでは?

「時節」を考えると、笑う事も楽しむことも、家で夜更かししながらテレビ見る事も

何もかもいけないような雰囲気になってしまって

日本人って律儀すぎるというか、過剰反応してしまう民族性があるでしょう?

だんだん自由にものを考えられない、発言できないような雰囲気が作られて

いくんじゃないかと心配です

 

 疎開

放射能の影響を恐れて、福島から県外へ「疎開」の勧めもあります。

せめて子供達だけでも・・・・と思って、関東から関西や九州へ行ってしまう

母子も多いとか。これもやっぱり「疎開」ですよね?

でも関東から関西や九州へ逃げちゃってる人達、羨ましいけど腹も立つ。

ねたみやひがみだとわかっていても「自分達さえ無事ならいい」みたいに

見えて。

 

 原発で仕事をしている人は特攻?

ハイパーレスキュー隊の方々の記者会見を見てて、彼等がどれ程「被爆の覚悟」

をして現地に赴いたか、それを送り出す家族の「日本を救って」という

崇高な思いを感じて素直に頭を下げたのですが。

福島へ行く・・・とは言わずに赴いた人、普通どおり「行ってくる」と出かけた人。

まるで出征する兵士のよう

全ては「日本の為」なわけで。ああ、日本人って最終的にはこういう考え方に

なる民族なんだなって思いました。

戦前の「お国の為」という思想を「強制された考え方」と思っていたけど

本当はそうじゃなかったのでは?

指令を受けて原発に向かった方々、それぞれ悩んだり、逃げ出したいと思ったり

したと思うんですが、最終的に「家族と国の為」という事で自らを納得させた

んですよね・・・

 

一体、今は何時代?今回の震災を通して日本人は「日本人であることとは何か」

「歴史的に見て日本人の思想とは何か」という事を再検証させられているような

気がします。

 

 

コメント (5)
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