ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

花組・愛のプレリュード  1

2011-04-17 18:38:20 | 宝塚コラム

♪ 来て来て来てーーサンタモニカーー ♪

舞台を見ながらこんな風に歌っていたのは私だけ?

でもなぜかヨーロッパ風だったのよねーー

 

 愛のプレリュード 

 

 脚本について

この作品は鈴木圭の大劇場デビュー作品。

デビューでさよなら公演というのは色々大変かなと思い、または色々縛りが

あるからこそ作りやすいのかなとも思い

でも出来はというと 一連の児玉明子作品よりはマシ程度?

「逆転裁判」の時も思ったけど、鈴木圭と言う人はストーリーを書く力がないっ

舞台 → カリフォルニアのサンタモニカ

時代 → 世界恐慌後、禁酒法廃止直前

人物関係 → フレディ・クラーク・・・元警察官で銃弾を受けて現在頭の中に銃弾が

                       残っている。ボディガード。サンタモニカは故郷。

         ジョセフ・・・フレディの元同僚。現在は悪徳不動産屋でブローカー

         キャシー・・・フレディがボディガードをすることになったお嬢さん。

思わぬ再会をしたフレディとジョセフはお互いに牽制しつつ心の底では友情を

感じている。ジョセフはナチスに利用されてキャシーの父親が開発した特許を

奪うハメに。でもすんでの所で改心・・しかしナチスに殺される。

フレディは頭の銃弾が病気をひきおこす可能性の為、キャシーに打ち明けられず。

キャシーは我がままなお嬢さんでフレディに恋をする。

お約束どおり、カップルの喧嘩あり恋あり、友人の死あり、キザな台詞あり、

出だしは正塚風、あとは植田風を取り入れた柴田風といった感じの、

(多分本人的には)甘いストーリー・・・・だったと思います

でも、簡単なストーリーを複雑にしすぎたし、ラストはBL大野作品みたいに

フレディとジョセフの関係性ばかりが強調されてちょっと怖いっ

なぜ世界恐慌時代なのか、なぜサンタモニカなのか、なぜフレディは生きているのか

・・・そういう動機づけっていうのかな、必然性があまり感じられず

特にキャシーがひどく「お金」を敵対視するのには反感を感じたというか、

その金で育ってるのに何を生意気な」と怒りたくなりましたし、そんなにお金があるなら

孤児院で遊ぶだけじゃなくお金を出せよ・・・と

フレディがやたらキャシーを「子供」扱いするのもしつこいなと思ったし。

で、ラスト、ジョセフの死を嘆き死んだジョセフとのデュエットダンスには目が点

スーツ姿の二人が抱きあっても絵にならないっていうか・・水&彩吹ならともかく

真飛&壮じゃ気持ち悪い

どちらにせよ、宝塚は少し脚本をきちんとつくる癖をつけましょう。

鈴木圭君は最初から無理難題をやろうとせず、素直なラブストーリーを作りなさい。

 

 演出が素人っぽい

出だしはまあいいかなーーと思ったんですが、中盤、キャシーが孤児院に行った

あたりから急に間合いが悪くなって登場人物は突っ立ったまま、意味なく喋っている

ような印象を受けました

特にふれでぃとキャシーの二人きりのシーンは長すぎでだらだらしすぎ。

さらに病院のシーンも不要、駆けつけたジョセフやスティーブが手持ち無沙汰に

見えました

後半に行けば行くほど、へんてこな「間」が増えて「さっさと行けよ」と怒鳴りたくなる程。

フレディ&ジョセフの回想銃撃戦ダンスやナチスに殺されるまでのダンスは

安易にそうしましたっ という感じで頂けない

何でも踊ればすむって話じゃないのよーーー

無論、大劇場作品にしては舞台を使い切ってないし、場面転換も無駄に多い。

かっこよく見せるため?フレディがキャシーに「俺はボディガードだ」とかいうのも

キザすぎてひいちゃった・・・・・・

あそこであんな風に言わせなくても 恥かしい。

 

真飛・蘭乃・壮以外はあまりしどころのない役というのも悲しい事で。

特に桜一花におばあちゃん役をやらせなくてもっ

 

せっかく正塚風台詞劇っぽいシーンもあるのに木村信司風、名前連呼の変な

歌を歌わせたり 参考にするなら優秀な先輩を見習いましょう(誰?)

 

結果的にあまりにも大きすぎたジョセフの死の前には、フレディが頭に爆弾を

抱えている事も、孤児院にいるのが記憶をなくした母であり、そこに支援している

事も、キャシーを愛した事も、なーーんも意味がなかったような気がします

(だったら最初からフレディとジョセフの愛を描きなさいよ・・・嫌だあ)

 

 

 

 

コメント (4)
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韓国史劇風小説「天皇の母」連載第 6 回

2011-04-17 08:00:00 | 小説「天皇の母1話ー100話

(フィクションだよ・・・フィクション)

 

ヒサシが東大に入った時、兄はちょっと危惧を感じた。

お前、何の為に大学に入るのだ?」

「そんな事、決まってるじゃないですか。兄さん。官僚になる為です」

学者肌で研究好きの兄にとって弟はどちらかといえば金の亡者。自己中心的。

長男である以上、両親の事も弟や妹の将来についても考えなければならない立場

だった。

長男というのは跡継ぎであり、それなりの特権も持っている。

それはつまり財産相続。

民法が改正されて男女平等、兄弟均等相続の世になったとはいえ、オワダ家では

やはり長男の権威は絶対だった。

その兄もまた東大で研究者の道へ。

そしてそれをおいかけるようにヒサシが東大に入学した事を母は喜んだ。

とにかく「学歴史上主義」の母にとって息子達がみな優秀である事はなによりも

誇りだったのだ。

官僚になる為に大学へ入った?お前、政治家にでもなるのか?」

兄さんが博士になり僕が大臣になればお母さんの夢はいっきに叶いますね」

ヒサシは冗談のように笑った。その笑いはどことなく皮肉めいていた。

大臣ね・・・」

「僕は日本を正しい道に戻さないといけないと思っているんです」

正しい道?」

「ええ。正しい道です」

それは一体何なのか。ヒサシは笑った。

日本がアジアに犯した罪は大きいという事です。敗戦国なのに天皇は退位にも

死刑にもならず、さっさと復興している。戦勝国の筈の韓国や中国は

どうなってます?おかしいじゃないですか」

ヒサシ、日本は戦後、国民をあげて頑張ったんだよ。空襲で何もかも失い

焼け野原になった我が国がこんなに早く復興するなんて世界のどこが考えた?

それはすなわち、日本人の国民性とでもいおうか」

違います。それは間違いです。思い上がりだ」

ヒサシは激しく言い放った。

東京裁判で死刑になったA級戦犯を靖国神社に奉り、原爆を悲劇として捉える。

そんなの、被害者意識ではないですか?本当の被害者とはどこですか?

日本の植民地にされたアジアの国々ですよ」

それは違う。日本は植民地支配などしていないよ」

兄さん、兄さんは敵国の味方をするんですか?」

敵国・・・・?

ヒサシは確かにそう言った。

日本が朝鮮に何をしました?李王朝の皇太子を連れてきて拉致し、併合という

名の植民地支配をし、日本語を読ませ日本名を名乗らせた。

強制連行して戦争に駆り立てた。これは罪です。1000年たっても許されない

罪だ。中国にはこんなことわざがあります。罪人は1000年たっても罪人だと」

お前、日本人のくせに日本を憎んでいるのか?」

別に。ただ情けないだけです」

憮然とした顔を見て兄はちょっとぞっとした。

戦後復興期。日本が左翼的な考え方に傾いたのは事実だ。

社会主義がもてはやされたこともあった。歌声喫茶で歌われるのはロシア民謡。

誰もかれも学生は「自由」を求め「抑圧」に屈しない気持ちを持っていた。

 

そんなとき、ツグノミヤは18歳を迎え、立太子した。

敗戦以来、語られてきた「天皇の戦争責任論」をツグノミヤはひしひしと感じていた。

戦前は無条件に崇拝してきた人たち。

でも今は違う。言いたい事を言ってもいい時代になった。

父・天皇はただじっと黙って粛々と公務に打ち込んでいる。表面的には何事も

変わっていないように思えた。

でも・・・・おばあ様の皇太后の死は完璧に「戦前の終わり」だった。

これからの皇室はどのようにあるべきなのか。

自分は「戦争犯罪人の息子なのか」そんな負い目を持つべきなのか否か。

「皇太子」となったツグノミヤは悩み多き青春時代を迎えようとしていた。

 

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