ふぶきの部屋

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二つの「ご感想」

2013-07-02 08:01:00 | 皇室報道

 以前にも皇太子の感想は抜粋掲載しましたが、今回は全文を。そして秋篠宮の感想も掲載します。

お二人を比較する為に、同じような内容について語っている部分は色分けします。

 

  皇太子スペイン訪問感想 

この度,スペイン国からご招待を頂き,「日本スペイン交流400周年」(以下交流年)の開幕に合わせて交流年の名誉総裁として,

私にとって6回目となるスペイン国訪問を行いました。

今回の訪問を通じ,4世紀にわたる交流の歴史があるスペインとの友好関係が,歴史の積み重ねの中で,

より一層緊密で強固なものとなっていることを確認でき,大変うれしく思いました。

まずは,スペインで心のこもった,温かいおもてなしをしていただいたフアン・カルロス国王王妃両陛下,フェリペ皇太子同妃両殿下,

そしてラホイ首相を始めとする政府関係者の方々に,深く感謝の意を表します。

また,訪れましたマドリード州,カスティージャ・イ・レオン州,アンダルシア州,ガリシア州,いずれの地におきましても,州知事や市長を始め

多くのスペイン国民の皆様に大変温かく迎えていただいたことを心からうれしく思っております

特に慶長遣欧使節団が当時滞在したコリア・デル・リオでは

,炎天下沿道にあふれんばかりの市民の方々に歓迎していただき,また,訪問した小学校では,子どもたちから

東日本大震災からの復興の願いを込めた

日本の歌の合唱をプレゼントしていただき,多くの子どもたちと交流できたことは,心に残る思い出となりました。

今回,フェリペ皇太子殿下には,妃殿下とご一緒に公式晩餐会を主催していただいたほか,交流年の開幕となる諸行事にご一緒いただき,

楽しくまた有意義な時を過ごさせていただいたことに感謝したいと思います。

天皇皇后両陛下が培われてこられた長年のスペイン王室との交流を踏まえて,これからも世代を超えてスペイン王室との友情を

深めていくことができれば幸いです。

今回の訪問は,日本スペイン交流400周年という意義深い年に行われました。

今回の訪問では,マドリードやセビリアで支倉常長に関する展示を訪れるなど,当時の慶長遣欧使節団の足跡をたどり,

当時を偲(しの)ぶ古文書などを目にしました。

また,現在,様々な分野で両国間の交流に携われている多くの方々とお会いしました。

この訪問を通じ,これまでの先人たちの熱い思い,さらに現在に続く交流の歴史の深さや裾野の広がりを実感いたしました。

特に,セビリアやコリア・デル・リオでは,スペイン語で日本を意味する「ハポン」姓の方々と交流し,皆さんの日本に対する熱い

思いを感じることができました。

マドリードでは,スペインにおける種々の交流事業のオープニングに出席しました。

「サムライ支倉の大いなる旅」と題する交流年開幕記念音楽会では,日西の音楽家が熱演するなど,各事業において多くの関係者の交流に

かける強い思いを感じました。日西経済合同委員会開会式では,環境やエネルギーなど新たな分野での協力やグローバルな

協力など将来への展望が語られ,両国間の交流が今後更に強化されるものと意を強くしました。

また,今回は,サッカー場やフラメンコ博物館も視察しましたが,文化,観光,スポーツなど日本人を魅了してやまないスペインの魅力の

一端に触れることができ,うれしく思いました。また,日本食や若者文化を含めスペインでの日本への関心も高く,

最近では,日本語を学ぶ人々が増えているとお聞きしました。交流年を通じ,幅広い分野で国民相互間の交流の機運が高まることを期待します。

今回の訪問でも多様なスペインの新たな魅力を発見し,また,多くの新たな出会いと交流がありました。

特に,今回,改めてスペインにおいて文化と伝統がいかに大切に保護,振興されているかを実感しました。

日本のオルガン製作者により修復されたサラマンカ大聖堂のパイプオルガンは,中世当時の音色を聞いているかのようでした。

サンティアゴ・デ・コンポステーラにおいては,歴史が刻まれた大聖堂を訪れ,また,先月の熊野古道に引き続き,

熊野古道と姉妹道の関係にあり,共に世界遺産であるサンティアゴ巡礼道を歩く機会を得,大自然の中で己を見つめて歩いた

多くの方々の気持ちを少し感じることができたのではないかと思います。

熊野でもサンティアゴでもそれぞれの古道に関わる方々から保存への取組とお互いから学びたいとの期待についてお聞きしました。

日西両国は文化的魅力を持つ国であり,今後,両国間の文化交流が更に進展することを期待したいと思います。

サラマンカは,私自身2度目の訪問となりましたが,市長より,「いつでも来訪を歓迎します」との意味を持つ市の鍵を頂いたことに感謝いたします。

また,これまでの両陛下のご訪問についてのお話を各所で伺いうれしく思いました。

サラマンカ大学は,欧州最古の大学の一つであり,長い間スペインの学術や文化において中心的な役割を果たしたと伺っていましたが,

当時を偲(しの)ばせる講堂や図書館,古くから所蔵される古文書に強い印象を受けました。

また,同大学は,日西間の学術交流の拠点として,多くの日本人留学生が学び,また大学間の交流も含め,一つのモデルを提供しているように思われます。

今後,こうした交流がスペイン各地の大学に広がることを期待するとともに,日本の大学等の取組にも期待したいと思います。

「水の問題」につきましては,サラマンカ大学において研究者や学生の方々と意見交換し,古文書も見ましたが,

スペインの長年にわたる水の問題への取組や歴史的とも言える経験の蓄積に改めて強い印象を受けました。ま

た,マドリードの上水道の管理システムは,先端技術を駆使したもので,非常に参考になりました。

水の問題は,災害,貧困や衛生状況の改善,環境の保護を始め様々な視点から極めて重要な問題です。

今後ともスペインとのこの分野での交流が深まることを期待しています。

サラマンカやコリア・デル・リオなど今回訪れた各地で東日本大震災に際して連帯と支援の活動が行われたと伺い,

大変有り難く思いました。また,マドリードやセビリアでは,東日本大震災に関する写真展を訪れましたが,

スペインの多くの方々が,我が国の震災からの復興に向けての動きに引き続き強い関心と共感を持たれていることに感銘を受けました

私としても,フェリペ皇太子同妃両殿下主催晩餐会などの機会に,多くの方々からの支援に対する感謝の気持ちをお伝えし,

両国の国民レベルでの絆(きずな)を改めて確認できたと思います。こうしたスペインとの友情をこれからも大切にしていきたいと思います。

今回スペインを訪問し,改めてスペインと文化,学術,経済,科学技術、観光やスポーツなどを始め多くの分野で交流や協力を発展させていく

余地が大きいことを確信しました。この6月から始まった日本スペイン交流400周年を契機に400年前に始まった日スペイン間の交流が,

世代を超えて受け継がれ,発展していくことを祈念するとともに,今年の10月からは,日本でも事業が行われますので,

私自身,引き続き名誉総裁としてお役に立てればと思います。

なお,今回の訪問に雅子が同行することができなかったことは残念でしたが,本人もスペイン国よりのご招待を大変有り難く思っております。また,

スペイン王室の皆様はもとより,現地にてお目に掛かった多くのスペイン国民の方々から雅子に対し,

温かいお言葉を頂いたことに厚く御礼を申し上げたいと思います。

 

 

 秋篠宮殿下3か国訪問感想 

今年,外交関係樹立20周年を迎えたクロアチアとスロバキア,ならびに昨年外交関係樹立20周年を迎えたスロベニアの3カ国に,

各国大統領のご招待により訪問できましたことを誠に嬉しく思います。

それぞれの国の大統領を始めとする関係者には,大変温かく迎えていただくとともに,種々のご配慮をいただきましたことに感謝申し上げます。

このたびの訪問中には,3カ国それぞれの国において,外交関係樹立20周年の記念行事が行われ

,クロアチアとスロバキアの両国においては大統領が共催して下さいました。そして,音楽の演奏や民族舞踊などが大変よい

雰囲気のなかで執り行われたことは,誠に喜ばしいことでした。

クロアチアにおいては,首都のザグレブの他にいくつかの地域を訪れました。

16の湖とそれを繋ぐ滝の景観が美しいプリトヴィッツェ湖群国立公園では,散策をしながら様々な色合いをもつ湖面の

美しさを堪能することができました。

また,クロアチア特有のナイーブ・アートには,農村の生活ぶりなどが描かれており,その素朴な画風が魅力につながっているように思いました。

また,このナイーブ・アートとともに,伝統的な手工芸品を紹介している施設も見学しましたが,絵画や手工芸品を通して,

昔の農村の様子を推察する機会にもなりました。

農村に関連しますが,七面鳥農家を訪問しました。

七面鳥はアメリカ大陸の原産であり,欧州には移入されたものですが,この地で飼養されている品種は,改良をそれほど加えておらず,

16世紀に導入された時の形質を保持しているそうです。欧州では経済性のみにこだわらず,古くからある家畜品種を残していくことを

大切にしていますが,この地の七面鳥にもその姿勢を見ることができました。

かつて海洋貿易によって繁栄したドゥブロヴニクでは,中世に築かれた街中,そして城壁を歩きましたが,そこから見渡せるアドリア海,

行き交う遊覧船や人の多さから,現在の観光地としての姿とともに,重厚な雰囲気を醸す城壁(要塞)に囲まれた街の光景に歴史を感じました。

そして,早い時期から上下水道が整備され,薬局や孤児院が建てられ,往時の状況に思いを馳せました。

来月からEUの一員となるクロアチアは,活気にあふれた印象を受けました。そのいっぽう,旧ユーゴ紛争時に甚大な被害を受けたオトチャッツに

ある老人ホームにおいて,かつての紛争を経験された入居者に会いましたが,

住み慣れた土地を離れ,大きな悲しみを抱きつつ過ごしているという話を聞きました。

また,この地域には,いまだに多くの地雷が残っており,撤去の作業が今後も長く続くものであることを知り,改めて平和の大切さを実感しました。

また,東日本大震災後に被害を受けた日本人が速やかに健康を回復することを願いながら千羽鶴を折ってくれた児童たちが通う

小学校を訪問しました。

両国は地理的に遠く離れていますが,このように子どもたちをはじめ,素晴らしい歌声を披露してくれた合唱団員など,

訪問中に出会った人々から,震災で被害を受けた人々のことを深く案じ,それぞれの立場で心から支援していきたい

気持ちが強く感じられ,嬉しく思いました。

2つ目の訪問国となったスロバキアにおいては,最初に冷戦時代の犠牲者の慰霊碑(自由の門)に献花をしました。

川を挟んですぐ対岸はオーストリアになり,現在では平和な風景が広がっています。この場所が冷戦時代には東側ブロックの最前線であり

,オーストリアへと川を渡って亡命を図る人たちが多数狙撃されたこと,また,この碑の建立を提唱し

自身も長い年月にわたって刑を科せられた人の説明から,自由の大切さとそのような歴史があったことを記憶にとどめることの重要性を改めて認識しました。

首都のブラチスラバの他に東スロバキア地方を訪れる機会に恵まれました。

当地では,タトラ国立公園内にあるシトゥルプスケー山湖の畔から美しいタトラ山地を眺望するとともに,

植物園において数々の固有種を実見しました。また,ユネスコの無形文化遺産に登録されている楽器,

フヤラの工房を見学することを通して,改めてその楽器の有する音色の多様性について理解を深めることができました。

伝統楽器との関連で言えば,フヤラやツインバルなどの演奏に合わせて,スロバキアの民族舞踊「ルチニツァ」の舞台を初めて鑑賞しました。

躍動感あふれる踊りと音楽は素晴らしく,日本でも幾度か公演をし,東日本大震災の被災地においても上演をしてくれたと聞きました。

さらに,スロバキアの中でもワインを最も多く生産している小カルパチア地方を訪ねることもできました。醸造所にて葡萄の種類や醸造過程に

ついての話を聞きましたが,この地域の土壌には,砂と礫が適度に混ざっており,葡萄の生育に適しているとの説明が特に印象に残りました。

また,約20年前に日本学科が開設されたコメニウス大学において,日本について学んでいる学生たちから,

同大学における日本語教育や日本へ留学した学生の体験談のプレゼンテーションがありました。

その機会に,どのような分野に関心があるのかを聞いてみると,歴史,書道,ポップカルチャー,妖怪など,

相当多岐にわたっており,今後日本とスロバキアを繋ぐ人たちが育ってきていることを実感いたしました。

最後に訪問したスロベニアにおいては,大統領とそのパートナーの方にご案内いただいて,リュブリャナ市内にある大聖堂や

小高い丘の上にある城跡などを興味深く見て廻ることができました。

また,同日の夜には,同国における最も大きな芸術の祭典であるリュブリャナ・フェスティバルの開会式にもお招きをいただきました。

これは,偶然にも私たちの滞在中に行われた催しでした。大統領とそのパートナーの方,同じく滞在されていた

英国のウェセックス伯爵殿下ご夫妻とともに,素晴らしい夜の一時を過ごすことができました。

スロベニアにおいても,スロバキアと同様に日本学科を設置しているリュブリャナ大学を訪れ,学部生,院生,そして卒業生たちと交流をしました。

リュブリャナ大学でもスロバキアのコメニウス大学同様,学生たちの関心が単に日本語のみではなく,社会学や音声学など

多岐にわたっていることに感心いたしました。

ポストイナの鍾乳洞は,欧州でも最大規模の鍾乳洞ですが,鍾乳石や石筍など自然によって作り出されたフォルムの

素晴らしさは想像以上のものがありました。また,洞内に生息するホライモリなど,生物学的に興味深い生き物にも接することができました。

水銀鉱山で有名なイドリアにおいて,当初は鉱山夫の配偶者によって作られていたレースは,現在では代表的な伝統工芸品として

有名になっていますが,それらの模様とそのモチーフが多様であることを知りました。

そしてレース編みを教えている学校において,生徒たちが熱心にレース作りに取り組んでいる様子を見ましたが,

ボビンを操るきわめて複雑な作業を手際よく行っている姿に感心をいたしました。

イドリア市は,水銀の採掘を行っていた地域ですが,そのために起こった身体的・

心身的な障害には重いものがあったと聞きました。

日本の水俣市においても,水銀が起因する水俣病は深刻な問題であり,

そのようなこともあってこの両市は交流を深めてきました。

近いうちに,水俣市の高校生がイドリア市を訪ねるとの話も聞きました。

このように,若い世代の人たちの交流も両国の

関係にとって大切なことであると思います。

本年20周年を迎えたクロアチアとスロバキア,そして昨年20周年を迎えたスロベニア,これら3カ国と日本との友好親善関係が,

さらに進展することを心より願っております。

 

比較して一目瞭然なのは、皇太子の訪問は単に観光目的で、国王陛下などから厚いもてなしを受けたというステイタスが

大事という裏の心が読み取れますね。

生まれながらの皇族であり、将来の天皇なんだからわざわざそんな事を書かなくても十分わかっている事なのに

そこらへんが「小和田脳」になっている所以でしょうか。

どの感想も薄っぺらでガイドさんに聞いた通の事を書いている・・・というような印象です。

秋篠宮の場合、専門分野もさることながら、よくぞそこまで詳しく歴史についてご存じだなあと。

ここまで専門的に知っていてくれたら説明する方もやりがいがあったろうと思います。

二人の違いは震災関連や日本語を学ぶ生徒達への視線に如実にあらわれていると思います。

もっとも驚いたのは、秋篠宮殿下が水俣に触れた事です。

両殿下は水俣の慰霊祭にも出席されていますが、このような形できちんと発表して下さった事は素晴らしいと思いますし

有意義であると思います。

皇太子の「水問題」に言及するよりずっと。

そして〆の言葉が、皇太子の場合は余計な「雅子」が入ったせいでめちゃくちゃになりましたよね。

一応、公式に出した感想なわけですから、私的な事は極力控えるべきではないかとおもいます。

 

コメント (26)
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