ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

貞明皇后の被災地訪問写真

2013-07-12 08:00:19 | 皇室報道

 見たいけど立川は遠いなあ・・・

 

 貞明皇后の被災地訪問写真を公開へ 

 宮内庁は90年前の関東大震災の時、被災地を訪問する貞明皇后の写真を公開する事に決めた。

 9月1日から昭和天皇記念館で開かれる企画展で展示される。

 

  写真の一部は    こちら

写真は1923年(大正12年)9月29日。上野で撮影された。

皇后の周りには被災者の女性や子供が。皇后が提案して作らせた宮内省巡回救療班やバスが写っている。

 江戸時代までのお妃の役割は、それこそ「子供産む」だけの存在でした。

  外国の王室のように必ず正妻が産む必要はなく、側室の子であっても男子である事が重要。そういう意味では

  中宮や皇后に対するプレッシャーは、他の王室程強くはなかったのではないかと。

  側室の子でも正室の子とされるわけですから。

 近代に入ると、まず昭憲皇太后が赤十字を立ち上げたり、女子教育に力をいれたり、養蚕を始めたりと

  「世継ぎを産む」以外の役割を担い始めます。

  天皇の妃として公務に同行する・・・という事を始めたのも昭憲皇太后です。

  昭憲皇太后は結婚当初から体が弱く、世継ぎが出来ない体でした。それゆえにお子は全て側室が産んだわけですが

  内心、どのような葛藤があろうとも全てのお子を「ご自分の子」としてお育てになりました。

  特に大正天皇などは、昭憲皇太后が実の母ではないと知った時に、悲しくて泣いた・・・という話も残っています。

  思えば、昭憲皇太后の名は美子(はるこ)、大正天皇の称号は「明宮」(はるのみや)です。

   明治の明と書いて「はる」と読ませる所が、昭憲皇太后への並々ならぬ気遣いがうかがえますよね。

 近代において、「キャリアウーマン的なお妃」の原型が昭憲皇太后とすると、貞明皇后はそれに輪をかけた存在でした。

   なんせ、ご自分の夫には一切側室を近づけず(天皇の世話は全部自分がやった・・・らしい)

   4人の皇子を産む。 病弱な天皇に変わって公務を引き受けつつ子育てにまい進し、宮中の伝統やしきたりを「これでもか」と

   いう程きっちり守る。そして、当時、被災地訪問に皇族が行くという事自体、ありえなかった時代、それを始めたのが

   貞明皇后という事になるのです。

 竹田恒泰が「皇后に公務の義務はない」だの「夫婦そろって公務をやるのは平成流」だのって言うけど、すでに明治の頃から

   今のような形は出来上がっていたのです。

   貞明皇后はさらに灯台守に非常に関心を示し、僻地で頑張る彼らを慰問し続けたという話もあります。

 香淳皇后の場合、ご結婚から15年にわたって出産を繰り返していた為、際立った「仕事にまい進する妃」のイメージは

   ないかもしれません。でも、その代わり「世継ぎ」誕生の為に、側室を持たない為に、きちんと努力をされました。

   戦後は昭憲皇太后や貞明皇后から受け継いだ養蚕や赤十字の仕事を続けてこられました。

 つまり、文句を言うなら成果を出せという事なんですよ。

   「前の〇〇はやってないから自分にはやる義務がない」だの「プレッシャー」だのって言い訳ばかりして、少しも実をつけない

   現皇太子妃。それで学歴と外務省勤務だった事ばかり自慢されても、全く賛同できないです

 貞明皇后は、学習院の中でも非常に色黒でお転婆娘でちょっと問題児だったみたいですよね。

   九条家出身と言いながらも、母親は側室だったから小さい頃は里子に出されていたそうですし。

   大正天皇には小さい頃からいいなずけがいたのですが、彼女が「肺」に疾患があるとされ、突如キャンセルに。

   そこで再びお妃選びが始まり、最後の最後に「体が丈夫だから」という理由で選ばれたのが貞明皇后。

   はっきりいって、氏も育ちも見た目も学力も関係なく、体の弱い皇太子には丈夫な妃を・・という明治天皇の英断だったと

   思います。

   その思惑通り貞明皇后は4人の親王を次々産んで「あっぱれ」と言われ、元婚約者の方は別な方とご結婚したものの

   子供は出来なかった・・・という顛末。これぞ「神の手」だと思いませんか?

 貞明皇后にも家柄コンプレックスはあったと思います。それは昭憲皇太后も一条家の出とはいえ、側室腹ですし、

  なさぬ仲の母などがいて、それなりに苦労した事と思います。

   貞明皇后は特に野育ちというか・・・色黒で美人じゃないというコンプレックスもあったでしょうし。

  でも、個人的な思惑はさておいて、自分が産んだ皇太子妃には久邇の宮家の良子女王という、自分より身分が上の女性を選んだ。

  秩父宮妃には会津松平家を、高松宮家には徳川家を・・というように、旧幕府側で「朝敵」とされた家から妃を貰って

  融和をはかろうとしたのです。

  残念な事に秩父・高松には子供が生まれなかったけれど、良子女王は沢山の子女に恵まれました。

 昭和天皇が美智子妃を許した背景には「血族結婚」への危惧があったいう事も言われています。

   香淳皇后がもう少し、おおらかな気持ちで美智子妃を受け入れていたら旧皇族方もあそこまで強固な反対を

  しなかったかもしれませんよね。

 

今回、このような写真を公開される事で「働く妃殿下」「国民に寄り添う妃殿下」という役割は決して平成流などではなく

近代皇后の歴史においての「義務」である事がわかります。

その根底には、2000年続く皇室の役割である「祈り」があると思います。

祈りでどうにかなるのか・・・と言われたら何も言い返せませんが、それでも国民の安寧を祈る事、国の栄を祈る事が

皇室の一番大事な役割であり、被災地訪問や赤十字活動は、その「祈り」を体現するといった意味があるのです。

現代の皇后には2つの義務があります。

 世継ぎを産む事

 「祈り」を体現する事

です。その為に最新の医療体制を無料で受ける事が出来るのです。

昭建皇太后のように、よそに産ませた男子の「母」になるか、自分で世継ぎを産む選択をするか・・・

そのどちらも拒否し、祈りもせず、「昔、仕事をしていた自分」「学歴が高いと言われた自分」ばかりを盾に

国民を振り回し、迷惑をかけるお妃は「不適格」と言われても仕方ありません

だけど、昔とちがって今は「離婚」の自由があるのです。

幸い、お世継ぎは秋篠宮家に授かりましたし、紀子妃は2つの条件をしっかり満たしています。

雅子妃が皇室から出ていっても誰も困らないし、残念にも思いません。

50歳を機に、新しい人生を民間で始めていかないと、「幸せだったと思える人生」は手に入りませんよ。

「恨」を抱えて生きる事に何の意味があるでしょう。

 

  

 

コメント (19)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DOCTORS・OH MY DAD

2013-07-12 07:59:33 | ドラマ・ワイドショー

 午前中一杯ヨンジュナの学校の図書室にいたんですが、学校という所は暑いですね

子供達への読み聞かせボランティアを始めて3年目ですが、今年から担当の先生が変ったせいか

だんどりが悪く、2学期から読む本が決まりません。

それぞれ3冊づつ本が必要なので「これはいいな」と思っでも、3冊ないと候補にあげられず。

学校で購入してくれと言ったら「予算がない」と言われ、市内の図書館を探し、あったら個人名で借りろ?

はあ

保護者を集めてボランティアさせているくせに、本集めからさせる気か?

・・・・・・

子供達に昔話や名作を聞かせたい・・・という事で、仲間を募って紙芝居を作ろうとしていたのですが、

その話の中に、殿さまに犬が犬の首をぽーんと斬り飛ばすシーンがあり。その絵が怖いので低学年には読ませられないとのこと。

学校に苦情の電話が来ると怖いって?

今や、消防署や警察主催の「体験学習」も、子供が泣くからとか怖がるからとかいって、大きな音を出さないとか

犯人逮捕のシーンはやらないとか。しまいにはもうそういう事はやりませんという事に

避難訓練のサイレンの音で、1年生の子が大泣きして泣き止まなかったら、親から苦情の電話が来たとか。

そういう時は「もうそういう事はしませんので」と返事をするのが定番だそうで。

先生の愚痴と言ってしまえばそれまでだけど、おかしいでしょ 子供が泣くから避難訓練もやらないのか?

そもそも何でそんな事で一々怖がって泣く?

いや、泣くとか怖がるとかいうのも立派な「体験」だと思うけど、なぜそれに親が苦情を言うのか?

物語には残酷な話が多い。でも私が書いた物語は人間と動物の真の友情を描いているわけで、首が飛んだシーンが

メインじゃないのに。それで夢に出てくるから見せないって?人を馬鹿にしてるのか?

・・・と一人で内心怒りまくりでした

幼稚園や1年生は小さくてまだ弱い存在ですよ。

社会的体験をほとんどしてないし。親も大きな声を出さないんでしょうね。

だから、先生がちょっと強い調子でものを言っただけで大泣きして、怖いーー学校行きたくないーーになって

PTA問題化するわけ

世の中とは、自分の思う通り動くわけではないし、不愉快な部分や怖い事が沢山あるんだって、小さい頃からわかってないと

生きる力がわかないのでは?

こんな子供ばかりなら日本はおしまいだよ・・・・たかが昔話くらいで・・・・

 

 DOCTORS 

相変わらずメリハリがきいて、めちゃくちゃ面白かったです。

院長が引退して守山先生が院長になると言った時にはどうしようかと思いました。

「俺が欲しかったのは肩書だ」とにこやかにいう守山先生、ますます幼児化してくれちゃって。

それに対する相良先生の対応が、これまた見事で。

守山先生が院長になるなら辞める」というナースたちを納得させ、さらに銀行員を使って守山院長就任を阻止。

計算づくしの作戦がすごすぎ。

これぞ「黒相良」の真骨頂。

 

そりゃあ・・・世界一周旅行に行く筈だった院長先生には気の毒だけど・・・・正直、野際さんがいない「DOCTORS」は

つまんないの。

だってもう71よ。いい加減にねえーー」って言いつつ、最後は

考えれば幸せなのよね。この歳になっても働けって言われるのは・・・・スグルちゃん、お願いだから早く大人になって」

切実なセリフ、これが両陛下の悲鳴に聞こえましたーー

守山先生の「むむむ・・・」の発作が面白くて。東宮御所でも同じような光景が広がっているんじゃないかと。

って事は誰かが黒相良にならないとダメなのね。

 

特に面白かったのは、手術後のかっきり午前9時に、相良先生の予想通に守山先生が飛び出してきて

俺が院長になったら、相良、お前はクビだーーわはははは」と叫びながらかけていった事。

あれじゃあ、医者というより、ただの変質者だよっ なのに憎めないのが高嶋弟の魅力なのか?

ところで、銀行員やってたお兄ちゃん、ヒビキなんとかっていうひと?

すっかり「あまちゃん」で知名度が上がったよね。最近はひっぱりだこじゃない?

ああいうオタクが似合う系より異常な守山先生ってすごいわ。

 

 Oh My Dad 

貧乏な母子家庭物が始まったかと思えば、超貧乏な父子家庭物が始まってしまいました。

夫婦共に40代で保育園に通う子供一人・・・という家族構成が今時なんでしょうけど

二人とも40代でほぼ無一文っていうのはキツイわ

「マグネシウム空気電池」とかいうのを発明する事にやっきになってるパパ。

自分の40歳の誕生日をすっかり忘れられて家出するママ。きつつぎるわ。

家を失い、研究所を失い、ただのホームレス親子だよ

母子家庭と違って父子家庭はほとんど手当てがないから、落ちるところまで落ちてしまうかも。

 

織田裕二がねーーパパ役ってねーー同じ子持ちならせめて小学生だよねーー

似合わないわけじゃないけど、彼自身に生活環があまりないから。

そもそも発明家なんだからエアコンくらい自分で作れよ。

私だって、あんな暑いアパートで締め切った環境で暮らすなんて想像しただけで嫌。

話はかったるいし、暑苦しいし、貧乏だし。

何なんでしょうね。この流れ。

 

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国史劇風小説「天皇の母」120 (考えてみればフィクション)

2013-07-12 07:00:00 | 小説「天皇の母」101-120

何っ!」

長官室の外まで声が聞こえた・・・かもしれない。ついでに机をバン!と叩く音も。

ついに懐妊かっ!」とカマクラの声が響く。

部屋にはカワグチ侍医長、フルカワ東宮大夫、タカギ女官長らが顔をそろえていた。

「そうか・・そうか・・・よかった・・・」

カマクラは今にも泣きそうな声を出す。誰にとっても感慨無量の筈だった。6年も待ったのだから。

しかし、明るい顔をしているのはカマクラ一人で、他の面々は厳しい顔つきで彼を見つめる。

「どうしたんだ?なんでそんな暗い顔を・・・?」

両殿下はベルギーに行かれるつもりです

東宮大夫の言葉にカマクラは一瞬「?」という表情をする。

両殿下?皇太子殿下の間違いだろう?ご懐妊されたんだから飛行機なんて乗るべきじゃない事は

男の私にだってわかる。宮内庁はそこまでして公務をしろとはいわんぞ」

違います。妃殿下がどうしても行きたいとおっしゃっているのです

たまらず女官長が口をはさむ。

カマクラはあんぐりと口をあけて、言葉を失った。

え?そんな・・・だって懐妊したんだぞ。皇孫殿下が生まれるんだぞ。そうなんだろう?侍医長」

ふられた侍医長は目線を泳がし、そして顔をそむける。

違うのか?」

「いえ、ご懐妊だと思います。ただ現時点では妃殿下の体調にはなんら変化もないという事で、いわゆるご自覚が

ないのです。また、現在7週目くらいかと思うのですが、まだ安心して発表できる段階ではございませんので。

非常に・・・その微妙な時期なんです。普通は10週目くらいまで気づかない場合もありますし。

せめてもう1週くらい経てば、エコー上ももう少しはっきりとその兆候が見えると思うのですが」

何が言いたいのかさっぱりわからん

カマクラは言い募った。

つまり」仕方ないのでタカギ女官長が続ける。

両殿下は何が何でもベルギー王太子殿下の結婚式に行かれるというのです

「それは無理だと言っている。あっちの慶事よりこっちの慶事の方が大事だろう。今回は皇太子殿下だけで」

ですから、妃殿下は承知されません・・・・と申し上げているのです」

さすがのタカギもカマクラの飲み込みの悪さに苛立った。

妃殿下は、ご結婚以来、中東訪問したきりで外国訪問をされておりません。その事にとても恨みつらみがあるのです。

フランスもドイツも行かせて貰えなかったと、それはそれはお怒りで。ヨルダンの国王葬儀は別ですが、

あの時はとんぼ帰りでした。それでも妃殿下はとても嬉しそうで・・・」

つまり、妃殿下は海外に行きたいと。懐妊しているがそんな事はお構いなくという意識なんだな」

全員、口をつぐんだ。

「ご自分の中に皇統が育っているというご自覚がないのか?」

「確かに検査で陽性反応もありましたし、エコーでも一応確認しましたが、妃殿下にしてみればお腹の中で

お子様が育っているという感覚がないのでございます。

自分には変わりがないから飛行機に乗っても大丈夫だと言い張るばかりで。もし、今度、海外旅行を中止させられたら・・・」

「されたら?」

・・・・死んでやると

カマクラはがっくりと椅子に腰をおろし、頭を抱え込んだ。

そこまでして外国に行きたい気持ちがわからん。というか、妃殿下に母性はないのか?殿下は何と?」

東宮大夫は首を振った。

マサコが大丈夫というならきっとそうだろうと

この時期に海外に出ても、飛行機に乗っても大丈夫なのか?」

侍医長は微妙な顔をした。

お勧めはしませんが、100%流産するのかといわれれば大丈夫な場合もあればダメな場合もあり。

そもそも流産は飛行機に乗っても乗らなくてもするときはしますので。私達は絶対にダメだとは言えないのです。

自己責任とでもいいましょうか。妃殿下に100%ダメだと言い切れるのかと迫られますと私としましても」

それに、ここで急にベルギー行きをやめたらまた「ご懐妊か」とい噂がたってしまいます。侍医としては安定期までは

秘密にしておきたい・・んですよね?」

タカギの言葉にカワグチは黙って頷いた。

今の時期が一番流産しやすい・・・という事はありますが、下手に騒がれたらまた・・・」

「ならどうすればいいのだ

カマクラは今度は怒りで机をたたく。

またも口をつぐむ全員。

カマクラは東宮職の戦々恐々とした顔つきにため息をついた。

結婚以来、東宮御所はすっかり変わってしまったという。誰もがマサコの顔色を見て行動するようになった。

それは夫である皇太子も同じで。皇太子自らが率先してマサコの言いなりになっているのだから、

他の職員が口を出せるはずない。

(ああまで気の強い女をお好みだったとは・・・・誰の影響なのか)と不思議に思うが、ふと思い当たる。

皇后だ。皇后の気の強さは並ではない。

だからこそ、民間出身と言われつつもここまで皇室で頑張ってこられたのだ。

しかし、皇后の強さは上昇志向によるもの。マサコ妃のそれは自分の殻に閉じこもろうとするマイナス面だ。

プラスかマイナスか・・・あの皇太子ならわからないだろうなあ。

そんな冷静に人を見る目があったら、今頃こんなていたらくは。

両陛下にご報告して・・・」

「それはダメです!」

言いかけたカマクラをタカギが遮った。

そんな事をなさったら、ますます状況が悪くなります。両陛下がこの事をお知りになったら、必ず両殿下をお止めになるでしょう。

そしたら妃殿下は何をなさるかわかりません」

「何をなさるって・・死ぬとかいうやつか?」

本当にそうなさりかねない怖さが妃殿下にはあるのです。信じて下さい。両陛下にはまだ・・・まだご報告しないで」

タカギの必死な形相にカマクラは言葉を失い、まじまじと見つめた。

どうやら東宮大夫も同じ意見のようだ。

カマクラは腕を組み、暫く考え込む。

この所の皇太子妃の「もしかしてご懐妊か?」報道は過熱気味だ。

理由は、マサコが太った事にある。

規則正しい生活をし、きちんと公務をやっていれば太る筈がないのだが、皇太子夫妻は夜型で間食も多いと聞く。

マサコは元々太りやすいたちなのだろう。

結婚当初こそ痩せていたが、それが元に戻ったという程度なのだろう。

しかし、マスコミはそれを「懐妊」と騒ぎ立てている。やれヒールの高さがどうのとか、お腹を隠すデザインの服を着ているとか。

それもこれも、国民が待ち望んでいる事だから・・・とおおらかに受け止められないのが皇太子妃の性格。

「プライバシーの侵害」といつも怒っているらしい。

ここで機嫌をそこねると、本当に何をしだすか。

わかった」カマクラは答えた。

両陛下への報告は12月。両殿下がベルギーに御立ちになってからにする。そしてベルギーへは侍医団を同行させよう。

あちらでのスケジュールは?」

はい。結婚式にご出席の他、プライベートでヂュルビュイという村に行かれる予定がありますが」

東宮大夫がノートを開いた。

その村には極力お出ましを控えるように・・・他に気をつける事は?侍医長」

飛行機の気圧は、しょうがないとして。とにかくお体を冷やさないようにしなくてはなりません。

刺激が強いものを召し上がるのも控えて頂きます」

わかった。では、その方向で・・・」

今の自分の判断が果たして正しいかどうか。それは・・・神のみぞ知る。

 

懐妊の兆候があったのが11月の下旬。

そして11月29日には、マサコの36歳の誕生日会見が行われた。

一見、普通の誕生日記者会見に見えたが、東宮職の気の使いようは並大抵ではなかった。

部屋の温度に気を配り、躓きそうなものが本当にないかどうか、入念に調べる。

東宮女官達はマサコの一挙手一投足に視線を配り、ぴりぴりとしたムードが漂う。

当の本人は、ベルギーへ行ける喜びで上機嫌のまま記者会見に臨んでいるのだが、

(何か変だ)と、マスコミは気づき始めていた。

マサコ妃が極秘に宮内庁病院に行ったそうだ)

(病気か?懐妊?どっちだろう)

(別に入院したわけじゃないし、病気なら侍医を呼ぶんじゃないか?)

(じゃあ、懐妊かも・・・・)

噂というのはこんな風に広がっていくものだ。その中にわずかな真実を掴めば、記者達は情報集めに動く。

すでに、東宮職内部にコネを持ち、情報を集めている新聞社があった。

それはアサヒ。そして国営放送・・・・

 

12月に入ると、慌ただしく皇太子夫妻は天皇・皇后へ出発の挨拶をした。

「懐妊」の「か」の字も報告しなかった。

二人はただただ早く日本の地を離れたかったに違いない。

そして12月3日。皇太子夫妻は真冬のベルギーへ旅立ったのだった。

 

 

 

 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする