皇后の父が亡くなり、皇太子夫妻を始め、アキシノノミヤ、ノリノミヤもまた喪に服した。
しかし、それからわずか10日後のセツコの結婚式にマサコは嬉々として出かけたのだった。
本来は夫妻で出席する筈だったは、皇太子はさすがにまずいだろうとの判断だった。
「結婚式なんですけど・・・」のマサコの申し入れに皇后は「せっかくだから行ってらっしゃい」と言ったのだが
普通はそれでも「辞退」するのが筋の皇室。
しかし、言葉通りにしか受け取れなかったマサコはお墨付きを得て、堂々と結婚披露宴に出席したのだった。
もっとも、会った事のない皇后の父親などはなから眼中になかったのだが。
披露宴において、マサコの服装が話題になった。
オワダ家側は何とも思わなかったようだが、対するシブヤ家ではみな、一様に眉をひそめる。
なんと、マサコは全身白づくめのスーツを着ていたのだ。
「花嫁じゃあるまいし、真っ白なんて・・・・・マサコ様ってそういう人だったのかしら」
「皇室の伝統なんじゃないの?」
などとひそひそと噂されるも、マサコは上機嫌だった。
なにせ、自分は皇太子妃なのである。数台の警備の車に守られながら超VIP待遇でホテルに入る時は胸が躍った。
両親も誰もかれもが自分に頭を下げて迎える。
みなの恐縮した様子をみる度に、心が震え、喜びで一杯になる。自分を見つめる両親も誇らしげだ。
そしてそれはセツコも同じだった。
姉の存在は、自分のステイタスを象徴するものであり、マサコの出席によって「セツコさんは皇太子妃の妹」という
いいようもない肩書を手に入れたのだから。
そんな「自分達一族だけ別格」オーラは会場全体に広がって、一部の人々をしらけさせた。
大学でもあまり友人のいなかったセツコ、就職するもあっさり挫折し「翻訳家になりたい」と結果的に「学校」に戻った彼女は
普通の学生たちからみれば「世間知らずで空気が読めない女」にすぎなかった。
マサコとよく似ていたのだ。
豪華な披露宴は女にとって最大の復讐劇だ。
ひそかに自分をあざ笑ったり、馬鹿にしていた学友どもに思い知らせるにはいいチャンスだった。
そんな幸せな時間からわずか1週間後、セツコは新聞の広告欄に載った女性週刊誌を見て
驚きのあまり、倒れそうになった。
「わたしを捨てたシブヤさん 結婚おめでとう そしてさよなら」と大きな見出しが目に飛び込んできたからだ。
「これ・・・どういうこと」
セツコは思わず叫んだ。
朝から何を大きな声で・・と起きてきたケンジは新聞の広告を見るなり絶句してしまった。
「どういう事。ねえ。これ、どういう事なの」
「知らないよ。嘘に決まってるだろ」
「嘘なの?本当に嘘なの?」
「当たり前だって」
「じゃあ、何でこの見出しなの?私の他に付き合ってた人がいるっていうの?」
「・・・いなかったとは言わないよ。それは君だってそうだろ。お互い20歳やそこらじゃないんだから、色々あったさ。
きっとそれは、その中の一人が嫌がらせに書いたものだよ」
「お父様に言うわ」
セツコは吐き捨てるように言った。ケンジは黙っていた。
週刊誌の内容は、ケンジがハーバード大に留学中、という事はすなわちセツコもハーバードにいた頃なのだが、
同じキャンパスで知り合った女性の手記だった。
彼女の学歴はケイオウ大出の才媛で、現在はキャリアウーマンとして働いている。
つまり、学歴だけはセツコとほぼそっくり・・・だったのだ。
話によれば二股をかけていたケンジはある時を境に連絡を絶ち、「鍵を返して」と言ってきたという。
ここで彼女は「相手は誰」と詰め寄り、セツコの名前がばれてしまう。すると彼女はあっさり「自分より皇太子妃の妹選んだのね」と納得し
別れたという。
セツコが怒ったのは、自分とほぼ同じ学歴を持つ同い年の彼女と二股していた事で、結果的に「皇太子妃の妹」という肩書が
結婚に至らせたという事実だった。
披露宴で散々、姉が堂々と「皇太子妃」として出席し、その恩恵に預かっておきながらこんな気持ちを持つのは矛盾に他ならない。
最初から互いに打算的な結婚だったのだと言えばそれですむ話なのだが。
それでも女としては・・・・そういうのじゃなくて、自分自身を愛してくれたのだと・・・信じたかった。
父があれだけケンジに問い詰めた時もセツコは杞憂だと怒ったではないか。
なのに、結果的には父の言う通になってしまった。
「何て事をしてくれたの」
東宮御所から直接の電話に驚くセツコに、マサコの声は恐ろしかった。
「びっくりしたわよ。東宮職でももう噂になってるし。みんな口に出さないけどきっとバカにしてるわよ。
ああもう・・・・もっと事前に身辺調査しなかったわけ?」
慰めの言葉よりも叱り飛ばす言葉の方が先で、セツコは押し黙った。
「恥をかかされたのよ。私。この皇太子妃が。すぐに離婚しなさいよ。大体二股かける男なんてろくなもんじゃないわよ。
あんたも男を見る目がなさすぎ」
その言葉にかちんときたセツコは思わず「お姉さまに言われる筋合いないわよ」と言い返した。
「彼も私も大人なんだもの、色々あったに決まってるじゃない。それはお姉さまも同じでしょう?もっともお姉さまのは
みんなもみ消したでしょうけど。こんな事で別れるわけないじゃない」
さっき、ケンジが言ってたのと同じセリフを言ってしまった。
「別れないわよ」とも。
俗称「コンクリート御殿」に呼び出されたのは、セツコ夫婦とケンジの両親、オワダ家側にはヒサシとユミコ、そしてレイコがいた。
ケンジの両親は憔悴しきって、まともに顔をあげられない状態だった。
つい先日まで優秀な息子が皇太子妃の妹を娶ったと鼻を高くしていたのに、今は見る影もなく、ただただ目を伏せているばかり。
「ケンジ君、私があれ程身辺整理をしておけと言ったのに、これはどういう事なのかね」
ヒサシの物言いは威圧的で、人を恐怖させる。
「申し訳ありません。全部私の不徳の致す所です。悪いのは全部私です」
「では週刊誌に書かれている事は全部本当だと思っていいんだね」
「・・・・・まあ・・おおむね」
「おおむね?」
「いえ、ほとんどそうです。でも誓って私はセツコさんを皇太子妃殿下の妹であるから結婚したわけじゃなくて、一人の女性として
好きになって・・・だから」
「そんな事はどうでもいい」
ヒサシは声を荒げた。
「うちの娘が大恥をかかされた事に違いはない。そうでしょ?シブヤさん」
ケンジの両親は土下座せんばかりに頭を下げ続ける。
「本当に申し訳ありません。息子の不始末は私達の責任で」
父はそういうのが精一杯。ここ数日でひどく痩せてしまった。母も狼狽し、目が真っ赤だった。
「両親には関係ありません。全部私が悪いんです」
ケンジは両親を庇った。確かに過去の女性関係、二股を週刊誌に書かれた事は大恥であったけれど、なぜここに両親までもが
呼び出されるのか、彼にはさっぱりわからなかった。
「そうだ。君が悪い。君が一番悪いんだ。しかし、君を育てたご両親にだって責任はあるだろう。なんせセツコはシブヤ家の嫁になったんだからね」
そして鋭い目をケンジの両親に向けた。
「息子さんの教育を間違えましたね。嫁の実家の権力欲しさに結婚を決めるというのはそちらの伝統ですか?」
「なっ・・・なんて事を」
思わずシブヤ氏は叫んだ。
「私達は何も存じませんでした。セツコさんとの結婚だっていきなり報告にこられて。知っていたら止めました」
ケンジの母は気丈にも言ってのけたが、ヒサシの「知らなかったですむと思っているのか」という恫喝の言葉に震えあがった。
それはセツコやレイコですら聞いた事のない物言いで、思わず「やめて」とセツコは言った。
「お義父様やお義母様には関係ない事よ。私達の問題なの。私がいけなかったのよ」
「何て優しい娘だろう。お前は何も悪くないんだよ。私も、こんな事になって残念だよ。いいいい、家に戻ってくればいい」
「そうよ。せっちゃん。ここは少し距離を置いて」
「慰謝料は1億」
ヒサシはドスの聞いた声で言った。
「一億?」
「少なすぎるくらいです。何と言っても皇太子妃の妹に大恥をかかせたんですから。この事は皇太子妃もご存じだ。という事は両陛下の
耳にも入っているでしょうね。この件で妃殿下がお辛い思いをするかと思うと、私は胸をかきむしりたい程苦しいですよ。本来ならケンジ君、
君と刺し違えてお詫びするべき所、今はそんな時代じゃないから、金ですまそうとしているんじゃないか」
ケンジはがくがくと震え,額からは汗がたらたらと落ちた。「両陛下」と言われた途端に、これは本当に大変な事になったと
嫌でも自覚せざるを得なかったのだ。
「私が死んでお詫びを」
シブヤ夫人は応接間の椅子から滑りおり、頭を床にこすりつけた。
「息子の不始末は全て母である私の責任です。私が死んでお詫びいたしますから、どうかお許し下さい」
「やめないか」
シブヤ氏が止めたが夫人は土下座を続けた。
「うちに1億なんてお金、あると思いますか?私もシブヤ家の嫁です。婚家に恥をかかすわけには」
「父さん、母さん、やめてください。責任は僕が・・・・オワダさん、いえ、お義父さん、確かに私はハーバードを出て医者になった。
世間一般から見れば裕福な方に入るでしょう。でも、そうはいっても1億なんてお金をいますぐ出せと言われても無理です。
私の給料から月々一定の慰謝料を払うという事でお許し頂きたい」
「あなた、私と別れるっていうの?」
セツコは驚いて叫んだ。
「だって仕方ないだろう。事ここに至っては。君が悪いんじゃない。僕が悪いんだから」
「嫌よ。何で結婚したばかりなのに別れなきゃいけないの?おとうさま、あんまりよ。私、最初は怒ったけど今は平気よ。
あの女、週刊誌に記事を売るなんて卑怯な真似した女には負けたくないわ。むしろ、あんな女にひっかからなくて
ケンジさんは幸いだったと思う。お願い、慰謝料なんて言わないで」
「しかし、この結婚はお前だけのものじゃないんだよ。皇室にも関係があるんだ。皇室だよ、皇室。お前の大事な姉さまの嫁ぎ先だ。
お前の一件で姉さまが肩身の狭い思いをしてもいいのか?だったらあっさり被害者として別れてしかるべきじゃないか」
「お姉さまの事なんて関係ないわよ。私の結婚よ。私の生活だわ」
一瞬、沈黙した。シブヤ夫妻はすっかり疲れ切って髪は乱れ、目からはぽろぽろ涙を流していたし、ケンジ自身ももうなげやりな
感じになっている。彼としては二股愛がここまでの騒動になるとは思っていなかったに違いないのだ。
時間を戻せたら・・・・それが今のシブヤ一家の切なる願いだった。
「セツコはこう言っているが」
ヒサシは居丈高に腕組みをしている。ユミコもレイコも口を挟む気力もなく呆然としている。
「セツコさん・・・うちの息子を許して下さるの?でもそれではお可哀想です。ここはご縁がなかったことに・・・・」
「ケンジ君。外務省という所を知っているかね」
唐突にヒサシは言った。
「君のような医者一人潰すのは何でもないんだよ・・・」
シブヤ夫妻の顔から血の気がひいた。そしてケンジはガクリと肩を落とした。
「はい。おとうさん。私はどうしたらいいのでしょう」
ヒサシはにっこりと笑う。
「記事を書いた女を黙らせる事。二度とこのような事がないように。もし二度目があったらその時は」
「はい」
「セツコの愛情に免じて今回は不問に付す。しかしね、これは貸しだ。大きな貸し。君はいつか借りを返さなくてはいけないよ」
ケンジは小さく「はい」と答えた。
コンクリート御殿を出た時、シブヤ夫人は歩けない程憔悴し、ようやく車に乗り込んだ。シブヤ氏も運転ができそうになかったし、
ケンジも呆けたような顔になっていたので、仕方なくセツコが運転する事になった。
「セツコさん、許して。ケンジを」うわごとのようにシブヤ夫人は言い、セツコは返答に困った。
さすがに今回の父の態度に恐怖を覚えたのは娘であるセツコ自身だった。こんなにも怯えている義父母。そして夫。
セツコは正直どうしたらいいかわからなくなった。
「フランスへ行こう。そういう話が来てた。暫く日本を離れたい。どうだい?」
ケンジはやっと言葉を発した。セツコに異存はなかった。今は父のもとを離れるのが一番かもしれない。
「あなた、どうしてせっちゃんを別れさせなかったの」
ユミコは不満げに言った。レイコは黙って両親の会話に聞き耳を立てている。
ヒサシは客が帰ったあと、普段着に着替えてどっかりとソファに腰をおろした。
今日ばかりはブランデーを飲みたい気分だ。
ユミコはせっせとチーズやアーモンドを出してやる。
「あのままわだかまりなく夫婦を続けていけるのかしら」
「離婚なんて許せる筈ないだろう?戸籍を汚すなんて。どんな事があっても離婚なんてオワダの辞書にはない」
「でも・・・」
「大丈夫。あれだけ脅せばもう二度と浮気なんかしないさ。あいつだって自分の身が可愛いだろうし。
それに医者と弁護士は婿にもらっとくべきだというしな」
ヒサシは笑った。
レイコはひっそりと聞いていたが、自分の運命がわかったような気がした。