ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

硬い話になるけど

2014-09-09 17:00:00 | つれづれ日記

 錦織圭の快挙に嬉しい って思いました。

あの粘り強さはすごいね。アスリートってやっぱり只者じゃない。

まあ決勝は残念でしたが、それでもやっぱりすごいっ!!

NHKさん、あっさり決勝は放送したのね。

 キャサリン妃、第2子懐妊だそうで。おめでとうございます。

英王室はなんだかんだいって後継ぎに恵まれてますねーー

「私は子産みマシーンじゃない」なんて屁理屈こねないから。

さて、本題。

「花子とアン」がいやだ・・・・という記事に対してぴよこさまがこんなコメントを下さいました。

今日はちょっとだけおうかがいしてみたいことがあってコメントさせていただきます。

蓮子様の「お国の為に戦うことが良いことと思ってしまう」という台詞に、それの何が悪いのかと

ふぶき様は書かれていて…それは、ふぶき様は「お国の為に戦うこと」は良いことと思って

いらっしゃるということですか?

ご自分の子供さんが徴兵されて戦場に行くことになっても、お国の為なら喜んで送り出せると?

なんというか、今時そんな風に思う方がいらっしゃるとは思えなくて、どういう意味なのかなと思ってしまったもので。

蛇足ながら、「花子とアン」だけに限らず、今の時代の戦争に対するスタンスは、否定的であって

当たり前だと思うのですよ。

何故なら、仕掛けておいて悲惨な負け方をした戦争であった訳ですから、

そこにどんな大義名分があったにせよ、そもそも戦争なんかしなければ…ということになるのは当たり前です。

馬車馬的に国民の視野を狭めて戦争に突っ込んでいったあの時代が否定的に描かれるのは当然ですし、

そういう「あの時代のやり方は間違っていた」という反省は忘れてはならないことではないでしょうか。

ドラマにおいて、時代考証の細かいところが気になることは私もよくありますが、

大局的な視点としてズレてはいけないということもあると思います。

蛇足が長くなってしまい、失礼しましたm(__)m」

大変貴重なコメントであると受け止めました。ありがとうございます。

今回はこの事についてちょっと触れたいと思います。

かつて。昭和40年代から50年代の時代劇は『勧善懲悪」な内容でした。

水戸黄門」「大岡越前」「江戸を切る」「桃太郎侍」「遠山の金さん」・・・・・・

まあ、「鞍馬天狗」だけはちょっと変わりダネだったけど

「勧善懲悪」の内容は決まっています。

 悪を善がやっつける

 身分が高い人が弱い庶民を助ける為に頑張る

 世直し

ここでいう所の「悪」とは、

 人を騙す・殺す人間

 搾取する人間

ですよね。知識も権力も持たず、けれど正直に一生懸命に生きている「庶民」を「悪」から守るのが

正義の味方の役割でした。

 

今、ふと思うんですけど。

円谷プロが作った「ウルトラマン」

あれは一体何者なんだろうかと。

M78星雲から来たウルトラマンが、何で何の関係もない地球の人を守る為に戦うのか。

もし、ウルトラマンがいなかったら地球はどうなってしまったんだろう。

地球防衛軍はやたら弱くて、すぐに飛行機が墜落し、みんなパラシュートで逃げていますしね。

ウルトラマンは、当時の日本におけるアメリカ的役割だったのかもしれません。

自分の国なり星なりを異星人に守られて、それが「普通」だと思っていた感覚がおかしかったのかも

無論、ウルトラセブンには侵略する側の心理も描かれています。

でもセブンは、あくまで「地球人」の味方です。

もし、セブンがメトロン星人に共感しちゃったら地球は終わっていたからです

 

仮面ライダーは「悪」が生み出した「善」です。

「普通」の人間たちの中で、一人だけ「異形」であるというのはどんなに辛い事でしょうか。

誰に悟られてもいけないし、見返りを求めてもいけない。

ライダーには仲間がいません。仲間である異形の連中は「敵」だからです

「敵」であるショッカーは「世界征服」を狙っています。つまり、全てを「異形の世界」に変えようと

しているのです。そうはさせじと仮面ライダーは歴代に渡って戦っているわけです。

誰の為でもない。私達の為に

 

宇宙戦艦ヤマト」は地球滅亡まであと1年という時、イスカンダルに旅立ちました。

イスカンダルのスターシャがコスモクリーナーを提供してくれると言ったからです。

妹まで派遣してくれたスターシャの恩義に報いようと、ヤマトは発進するのです。

ガミラスは地球の侵略をたくらんでいました。

でもそれはガミラス星自体に限界が来ていた為でもあります。だけど、自らの星が滅びるから

といって他の星を奪っていいと言う話はありません。

それゆえ戦いが起きるのです。

ガミラスとの戦いに勝って、次は白色彗星との戦いでしたが、最後の最後、古代進はヤマトと

ともに特攻を試み、地球を救うのです。

 

昭和時代、「人の為に戦う」事は普通の思想でした。

けれど、その事に疑問を呈する時代がやってきます。

機動戦士ガンダム」の登場で、今まで、ただ「悪」でしかなかったような人々にも血肉が通っており

感情があって、誰の為とかいうのではなく「生き延びる為」に戦う事になりました。

アムロもシャアもセイラもララアもみな、それぞれ同じ立場の人間で、それぞれの信条に伴って

戦いに参加しているというだけで、そこに「地球の為」とか「ジオンの為」とかいう大義名分は

非常に薄かったように思います。

 

「正義」が正義でなくなったら物語は続きません。

勧善懲悪型のドラマは姿を消し、「必殺仕事人」のようなドラマが受ける時代になりました。

僅かな金と「義侠心」によって、人を殺し恨みを晴らす事を目的とした「末法の世」の到来です。

エヴェンゲリオンまで行くと、もはや「敵」が何だかすらわからないし、なぜ戦っているのかもわからない。

仮面ライダーも理屈っぽくなりました。戦隊物も勢いを失い、子供達が一番好きなのは「妖怪」です

妖怪ウォッチに登場する妖怪たちは、普通の人々の中にある「怠惰という悪」を掘り起こしていくのです。

だけど、毎回、解決しているのかどうかもわかりません

とりとめのない事を書いてきましたが。

ぴよこさま。

まず、太平洋戦争についてですが

「しかけておいて悲惨な負け方をした戦争」ではありませんでした。

馬車馬的に国民の視野を狭めて戦争に突っこんでいったあの時代を否定するのは当然」との

事ですが、私はそうは思いません。

あの時代が間違っていた」というのは、どこでそう思うのでしょうか?

戦争に負けたからですか?勝っていたら違うのですか?勝った方が正しいのですか?

それとも日本が侵略戦争をしたと本気で思っておられるのでしょうか?

70年の平和は憲法9条のおかげだと思っていますか?

以前も書きましたけど、日本は戦後も戦っていたのですよ。

「経済戦争」という大戦を 

だけど、その戦いに勝つために大切なものを失ってきました。

それは

 国民のプライド

 国民性

 日本人としての歴史

この3つです。今、中韓にやりたい放題させて、それでも何も出来ない日本の姿というのは

まさに「敗戦」によって、その後の経済成長と引き換えに失った「日本」のなれのはて。

それでもまだ怒る人々がいる。

抵抗しようとする人々がいる事に救われています。

もし、これが「戦争をしたくないから領土は全部中国にくれてやろう」派が大勢をしめたら

日本はなくなってしまう。

日本が平和を維持してきたから世界に愛された」わけではありません。

日本が自らを犠牲にして様々な国に奉仕してきたからこそ愛されているのです。

そしてその奉仕の精神は戦前から変わっておりません。

もし、違うと思ったら調べてみてください。

 

ぴよこさま、私の息子達が徴兵されたら喜んで差し出すのかとお尋ねでしたね。

もし、本当にその時が来たら、それは仕方ないと思います。

若者が徴兵されて戦場へいく事態というのは相当な場合です。

国の存亡がかかっている、私達の存在が全否定されるかいなか、国民が総じて殺されるか

奴隷になるか否かの事態なのです。

その時、子供達が家族を守る為に戦うと言った時、私は否定できません。

今だって。

災害救助の場面では、救う方が「死」に直面する事もあります。

それを「そんな危険がある所へは行くな」と言えますか?

災害と戦争を同レベルで語るなと言われそうですが、今時の「天災」はそれくらい危険です。

だからこそ、備えるのです。

平和維持というのは「備え」です。

その為には憲法を守るだけではいけません 

突如、災害のように押し寄せる「武器」から身を守る必要があると私は考えます。

 

宝塚の作品の中に「追憶のバルセロナ」というのがあります。

2002年、絵麻緒ゆうの退団公演でした。脚本を書いたのは宝塚屈指の

「平和主義者」である正塚晴彦。

フランスに侵略されたスペインを守ろうとゲリラ戦を戦うフランシスコ。友人のアントニオは

スペインの敗北と同時に「生き残る為」にフランス側につきました。

この二人の会話で非常に考えさせられる場面がありました。

アントニオ   ;国とは人ではないのか。人が集まればそこに国が出来る。

フランシスコ ;だがスペイン全土が一つになる為には、ここを愛し守り抜く意志が必要だ。

         我々はそれを踏みにじられた。とりもどす為に戦おうとする者がいるのは

         当然のことだ。

アントニオ  ;たとえ、誰の血が流れても。

フランシスコ ;自らの血をもってあがなうしかない。

アントニオ  ;死んでしまったらなんの意味もない。

フランシスコ ;意志を捨てて生きる事に何の意味がある。ただ今日の命の為に将来から

         目をそむけることは卑怯だ。

 

私が「蘭陵王」を好きな理由は、その少女漫画チックなストーリー展開もあるけど

昔懐かしい「勧善懲悪」の姿がそこにあるからです。

斉の武将、蘭陵王がなぜ戦うか?それは「民」の為です

そういえば聞こえがいいけど、

皇帝が蘭陵王の兵士に

「朕と蘭陵王、どちらの為に死ねるか」と聞き、兵士が

そんな事態になったら自刃します」と答える。

怒った皇帝が蘭陵王にその兵士を殺せと命じるのですが、蘭陵王は

兵権を返上するので兵士を許して欲しい」と頼みます。

兵士一人の為に兵権(蘭陵王の生きがい)を捨てるわけか」と皇帝は驚くのです。

また、皇帝は常に民に愛される蘭陵王が憎くて仕方ないので、

死んでくれ」と頼みます。その時の蘭陵王は顔が一瞬、固まってしまったものの

私が死ぬことで陛下が明君になるなら」と承諾するのです。

そこに「自己」はないですよね。

誰も自分の為には死ねないんですよね・・・・・と実感しました。

 

それはどこの国も同じでしょう。

自由の国、アメリカだって国民である限り「国家への忠誠」が義務です。

それを堂々と口に出します。

そういう事を堂々と言えない国は日本くらいなものです。

ぴよこさまが否定した「戦前」の日本の美徳は現代のアメリカにも残っている・・・などと言ったら

言い過ぎだけど、結局そういうものなんですよ。

どの国も自分の国が一番大事。

自分の国の利益が一番大事。ウルトラマンはありえない。

でも、日本は日本以外の国を大切にする気風があるから「ウルトラマン」が作られたのです。

だったら自分の国ももっと大事に守っていかないといけないのでは?

 

戦争を賛美しているわけではありません。

しかし、平和を守る為には「闘うこと」も必要です。きれいごとではやっていけないのです。

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ミスリードされる「美智子皇后」は虚像か本質か  2

2014-09-09 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 山下晋司ー強い思いで慣例を乗り越える美智子皇后

   「改革の55年」

 皇后陛下が「続けてきた努力」の一つに文字通り

 「陛下を守る」場面が数々あった。

 ・ ひめゆりの塔事件のおり、妃殿下が片手をあげて殿下を守ろうとした。

 ・ 陛下のがんなどの治療にも積極的で医務主管や医師から説明を受ける

 ・ 自分の膝が痛いのに陛下の健康の為にテニスを続けている

 皇后陛下の献身

 両陛下の火葬の件。

 陛下が「合葬」も視野に入れたいとおっしゃったら、皇后陛下は「あまりにも畏れおおい」と固辞。

 「自分が先だった場合、陛下の在世中に御陵が建てられることになり、それはあってはならない

 陛下を支える為、時に周囲や古い伝統と闘ってきた皇后陛下の歩みは、国民のために

  皇室の前例をこえていくこととなる。

 東日本大震災ー被災地の体育館で皇后は自らスリッパを脱ぎ、裸足で被災者に駆け寄ると

  膝を床につけて、被災者と同じ目線ではなしかけた。

 時には、悲しみの底にある女性や子供たちを抱きしめることもあった。

 慈母のごとき皇后陛下に抱きしめられた被災者は心の底から癒され、励まされたことだろう。

 「国民に寄り添う」姿は皇太子妃時代から続く宮内庁職員との「対話」により生み出された

  ものではないか。

 皇后陛下は「国民とともに歩む皇室」を実現する為に、女性ならではのきめ細やかな心配りを

  続けてきた。

 例えば、行事などにおける警備の在り方やお出ましを並んで待つ国民の待機時間まで

  気にして、相当職員に直接考えを伝えるなどしてきた。

 皇室と接する国民に威圧感や「壁」を感じさせないよう、腐心してきたのだ。

  たとえ「慣例」でも「違う」と感じればそのままにせず、職員と話し合うー直接のコミュニケーションが

  行われるからこそ、職員も心をひとつに皇室を支えることが出来るのだ。

 2013年10月の誕生日文書。

 皇后は「五日市憲法草案」に触れた。

  明治憲法公布以前に、民間人が憲法を熱く語り、立派な草案を作った事に

 「近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来に

 かけた暑い願いに触れ、負かい感銘を覚えた」

  政治的発言と受け取られることのないように配慮しながらも、現代の国民が憲法に対して

 どれだけの思いを持っているかと問いたかったのだろう。

 「皇室」の姿勢を国民に伝えるためにはたとえ前例がなくとも旧来の慣例を超える

   「理由」や「重い」をもって実現する。そうした強い意思が、「国民とともに歩む皇室」を

めざし陛下とともに歩んだ皇后陛下の55年を貫いている。

 全てが皇后陛下の「実績」だというのは、ちょっと言い過ぎのような気がするんですけど。

  政治的な発言を避けつつも、やんわりと政府にもの申す・・・というのは、思惑はどうあれ

  そう見られているというのは問題では。

 テニスまで「・・・の為」とか言われるとちょっとひきますよね。

  伝統を守っているだけでは皇室の姿勢は伝わらないんでしょうか?

 皇后陛下はご自分の事が、このように左翼に利用されている事をご存じでしょうか。

  能動的に活動する事は悪い事ではありません。

  だけど、皇室の主体は「天皇」である事を忘れてはいないかと。

  あからさまにミスリードしていく側にネタを提供するような事はしないで頂きたいです。

 

 小林よしのりー美智子皇后の戦いの始まり

 昭和33年11月27日、正田美智子嬢の婚約内定。

  その9日後の12月6日。後楽園ホテルに集まった右翼ら70名。

 「このご婚儀はカトリック教の世界的大陰謀である」

 「小泉信三もカトリックだ」

 「日清製粉のお嬢さんが皇后ではどうも天皇護持も今後は考えなくちゃいかん」

 「そもそも天皇が恋愛騒ぎをするとは何事であるか」

 「皇太子さまに御退きになって頂いて義宮さまに立って頂こう」

 (よしりんのつぶやき・・・今も似たような非難がされているな。東宮家に対して)

  この席にいたのは柳原白蓮。

 柳原白蓮は旧華族の出。松平信子と一緒になって猛烈な「美智子妃反対運動」を繰り広げる。

(よしりんのつぶやき・・・「旧華族」は今なら誰に似ているか。

 自称愛国者こそが天皇を困らせる。今も昔も変わらんな)

 「平民の血が入ると皇統はおしまい」

   「女系を認めたら皇統断絶だ」

  単なる旧弊・因襲に固執したがる右派や旧華族のような存在は今もうごめいている。

 55年前には「旧弊固執」が伝統ではない事を知り、天皇のご意思が全てであると考える

   右翼がいた。

  ところが、現在はそれが全然みあたらない。

  55年前の首相、岸信介は「旧弊固執」の自称愛国者の声をものともせず、大御心に沿って

  尽力したのに対して、その女系の孫である安倍晋三は「旧弊固執」の自称愛国者の

  支持が欲しくて天皇のご意思に反し、首相に就任するや真っ先に女性宮家創設を潰したのだ。

 美智子皇后陛下の戦いは、その後も「旧弊固執」舎との戦いとして続いていく。

 伝統と旧弊・因襲の違い、伝統と皇室の関係、伝統と社会の関係を、われわれも皇后様の

   闘いから学びたいものだ。

 当時、本当に保守派の方々の会合があったのでしょうか?

  これだけ「カトリック」が問題になったという事は、相当な「何か」があったのかもと

  思ってしまうんですが

 柳原白蓮のセリフは

 「皇太子殿下ともあろうものが たかがこなやの娘にほれて騒ぐとは

 外国にきこえでも恥ずかしい。皇后様は皇后様とあがめられるようなお方でなければ

 私共は皇后さまとは戴けない

皇太子妃なんだけど、すでに「皇后」と読んでいたのねーー?

 「皇后様とあがめられる様なお方」≒血筋が正しい人 という解釈なんですよね。

 義宮を皇太子に・・・・なんて話は聞いた事ありませんけど。

 要するに「旧弊固執」に「果敢に戦いを挑む改革派の象徴」が美智子皇后陛下という事です。

  昔から「なるちゃん憲法」「自ら子育てをする」等々、そういうきらいはありましたけど、ついに

  ここまで来たかという感じです。

コメント (9)
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