ふぶきの部屋

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秋篠宮両殿下ブラジル訪問のご感想

2015-11-12 07:00:00 | 皇室報道

 秋篠宮両殿下は10日帰国、11日参内、12日園遊会出席です。

日本・ブラジル外交関係樹立120周年の機会に,

ブラジル連邦共和国を訪問できましたことを誠に嬉しく思います。

文仁にとっては初の海外公式訪問となった

1988年の日本人ブラジル移住80周年の時以来27年ぶり,

紀子は初めての訪問となりました。

このたびの訪問においては,ルセーフ大統領閣下への表敬をはじめ,

下院議長,外務大臣,連邦直轄区と5つの州知事との懇談,

そしてサンパウロ,クリチーバ,ロンドリーナ,ロランジア,マリンガ,カンポ・グランデ,ベレン,

ブラジリア,リオデジャネイロの各地において,

日系社会の方々が私たちの訪伯にあわせて催してくださった120周年を記念する式典等に

出席いたしました。多くの方々から,さまざまな配慮をいただいたことに深く感謝の意を表したく思います。

多くの日系の方々と話をしていると,

具体的に記すことは難しいのですが,私たちが日々の暮らしの中であまり意識していない「日本」を

感じることがたびたびにありました。

そして,遠く離れたこの地において,自分たち,もしくは両親・祖父母の世代の故郷の記憶が残り,

継承されていることに改めて気づきました。

また,日系の若い世代の人たちと話しをする機会をもつこともできました。

日本とブラジルとの良好な関係が,今後も続き,さらに増進していく上で,次世代の人々が,

両国の架け橋となってくれることが極めて大切なことだと思います。

今回訪ねたのは,先に触れたブラジリアを始めとした各都市でしたが,

そのどれもが大変印象深いものでした。

酸性土壌で不毛地帯と言われたセラードを一大農業地帯へと改良していった日伯共同プロジェクト,

ブラジルを代表するサンパウロ大学における各学部の教員や学生との懇談,環境先進都市で,

パラナマツが独特の景観を醸し出しているパラナ州の州都クリチーバ,アマゾン河や

その流域の人たちの暮らしがよく表れているベレンの市場,

アマゾンの自然史・人文科学の研究拠点になっている博物館,

そしてブラジルが誇る世界屈指の湿原であるパンタナールとそこに暮らす牧童たちの文化や

貴重な生態系,市民の憩いの場であり植物研究の中心地になっているリオデジャネイロの植物園と

ポン・デ・アスーカルからの眺めなどなど。ひとつひとつを取り上げることはできませんが,

おそらく,これからも永く私たちの記憶に残るものでありましょう。

このたびの訪問において,日系社会が中心となって,

日本の文化を紹介するイベントがおこなわれたり,

両国の間で種々の協力がおこなわれたりしていることを知り,

大変心強く思いました。

日系団体が現地大使館や総領事館と協力して開催する日本祭りには,

多くのブラジル人が参加し,また,日本の文化に関心を抱き,日本語,書道,華道,茶道などを

学んでいることも印象に残りました。

滞在中,各地において,多くの人たちに温かく迎えていただいたことは,

大変有り難いことでした。そして,私たちの訪問に際し,心を寄せてくださった多くの方々に

感謝の意を表します。

今後,日本とブラジルとの友好関係がさらに促進されることを願っております」

  日経新聞記者によると

北伯県人会協会の山本陽三会長の感想として

「殿下は27年前のことを覚えておられました。

「当時、私が経営する民芸品店にお立ち寄りになり、水牛の皮でできた女性用の小さな鞄を

買って行かれたんですよ。

たしか紀子さまと婚約された頃。プレゼントするために買われたんではないかとご推察します」

86年→プロポーズ

88年→ブラジル

89年→婚約

山本 「殿下は昔と変わらずお若いですね」

殿下 「ああ、髪を染めてますから」

 山本さんは87年に殿下がお買い上げになったカバンの持ち主が紀子様であると

  知り、実際に紀子様に会われてどのように思われたでしょうか。

  素敵なプリンセスぶりに感動したのではないかと思います。

 

皇太子殿下ブラジル訪問感想

「この度,日本人のブラジル移住100周年及び日伯交流年の年に当たって,

ブラジル国政府からのご招待により,私自身2度目となるブラジル国の訪問をいたしました。

まずは,ご招待を頂き,温かくおもてなしくださったルーラ大統領を始め

ブラジル国政府関係者に深く感謝の意を表します。

また,首都ブラジリアの外にも,サンパウロ州,パラナ州,ミナスジェライス州及びリオデジャネイロ州において

州知事及び関係市長を始め地元の方々にとても温かくお迎えいただきましたことに御礼を申し上げたいと思います。

加えて,各地で多くの日系人を始めブラジル国民の皆様や在留邦人にも

大変温かい歓迎を頂いたことを心よりうれしく思っております

ブラジリアにおいてルーラ大統領主催の記念式典や連邦議会主催の記念式典,

サンパウロ州でのブラジル日本移民百周年記念式祭典,

そしてパラナ州での日本人ブラジル移住百周年記念式典など多くの記念行事に出席し,

参加をされた人たちの数の多さと関係者の方々がこの日のために

長い間準備をされてきた様々な催しにとても感動をいたしました

また,各地で活躍をされている多くの日系人やたくさんのブラジルの方々とお会いをし,

いろいろなお話をお伺いすることができました。

日系人の皆さんの長年にわたる地道な努力や苦労について,

さらにはブラジル社会の様々な分野での活躍や貢献の実情などもお聞きすることができました。

同時に,日本人移住者を温かく受け入れてきたブラジル政府や国民の厚意も改めて認識いたしました。

その一方で,多くの若い人たちとの話の中で,日本とブラジルが次の100年に向けて

着実に関係を深めていることを実感いたしました。

これからの両国の若い世代が,更に両国関係の発展のための礎となってくれることを希望しています

ブラジル日本移民史料館では,天皇皇后両陛下より託されましたアーカイブ・プロジェクトの募金活動を

支援するための御下賜金をお渡ししました。

この度はブラジルをご訪問にならない両陛下がいつもブラジル日系人の方々に

心を寄せておられることをお伝えできたらうれしく思います。

サンパウロ大学を訪問し,日本とブラジル両国の友好関係の将来を担う学生と懇談した後,

続いてサンパウロ州立「ヒロシマ」学校を訪問し,州政府の主導で州内各地の学校で行われてきた

「ビバ・ジャパン計画」を視察しました。

これからのブラジルを担う若い世代が真摯(し)にかつ熱心に学ぶ姿に触れて,

今後のブラジルの一層の発展と日伯両国の友好関係の進展を確信いたしました。

サラ・サンパウロでのカルドーゾ前大統領ご夫妻とご一緒したサンパウロ交響楽団の演奏会や

リオデジャネイロ市立劇場での日伯音楽交流会ではすばらしい演奏を聴くことができました。

また,サンパウロ州知事主催歓迎夕食会の会場であるバンデイランテス宮にて,

カマルゴ・グアルネーリ弦楽四重奏団の皆さんと飛び入りでアイネ・クライネ・ナハトムジークの導入部の

演奏に参加したことも忘れ得ぬ思い出となりました。

昨晩はリオデジャネイロの総領事公邸にてショーロの美しい調べを聴くことができましたが,

これはブラジルを代表するボサノバやサンバの源流となったと伺い,心に残るものとなりました。

サントス訪問も極めて印象的でした。

4月28日には100年前最初の移民船である笠戸丸が出港した神戸での式典に臨み,

友情の灯の送り出しをいたしましたが,今度はその上陸の地サントスを実際に訪れることができ,

改めて当時の方々の不安と期待の入り混じった気持ちに思いをはせ,感慨深いものがありました。

ベロオリゾンテでの日伯経済関係者との懇談ではブラジルに進出している

日本企業が同国の官民関係団体と一体となって,

鉄鋼,自動車,林産業,さらには交通インフラ分野等で大変活発な日伯間の協力を進めている現状や,

将来の展望について聞くことができたことも有意義で貴重な経験でした。

リオデジャネイロのブラジル銀行文化センターで著名文化人やスポーツ選手と懇談の

機会を持つことができましたが,日伯間の交流が文化・スポーツ面でも活発であることや

ブラジル国の持つ教育,文化,スポーツの分野におけるダイナミズムや多様性も改めて認識させられました。

また,この訪問を通して,シュラスコ,ムケカやバレヤード等のブラジルを代表する料理を始め,

多種多彩な野菜,マラクジャ,アサイーといったブラジルならではの豊富な果物など美味しい食事を楽しめたのも

良い経験でした。野菜や果物の栽培の面でも日系人の方々がなされてきた貢献について改めて認識しました。

26年前の前回の訪問時と比べ,

ブラジル経済の安定的成長による国力の増強と国際的な地位の向上に伴い,

社会全体に力強さを感じることができました。

同時に,ルーラ大統領を始め各州の知事にお会いした際の会話の中でも日本との更なる交流を進め,

より積極的なパートナーシップを築いていきたいという日本への強い期待感を感じました。

今回の私のブラジル国訪問が,これまでに天皇皇后両陛下の三度にわたる御訪問を始めとする

様々な交流により培われてきた日本とブラジル両国の長い友好と深い交流の歴史の絆(きずな)を

より一層強固なものにすると同時に,

これからの新しい100年へと踏み出そうとしている両国関係の更なる発展に

少しでもお役に立てればうれしく思います。

なお,今回の訪問に雅子が同行することができなかったことは残念でしたが,

本人もブラジル国政府からのご招待をとても有り難く思っており,

私たち夫妻での訪問を願っておられたブラジルの方々,

そして日系人の方々に心よりお祝いの気持ちをお伝えしたいと申しておりました。

現地にてお目にかかった多くのブラジル及び日系人の方々から温かいお見舞いと

お励ましの言葉を頂いたことも本当に有り難く思っております。

 理系と文系の違いはあるでしょうけど、こんなにも同じようなことを書いていながら

  印象が違う事ってあるんですね。

  どっちが年上だかわからないなあと。

 秋篠宮 → 言葉の一つ一つに「日本人をルーツに持つ人々への温かいまなざし」

   皇太子 → 日本とブラジルにおける政治的なつながりを強調

 そう、皇太子の言葉は政治家っぽいんです

  ブラジルの日系人たちは「祖国の皇室に忘れられていなかった私達」を感じたいと思い

  ブラジルという国に貢献し、その土地と交わりながらも、どこかで「日本人としてのプライド」を

  確認したいと思っているのです。

  秋篠宮殿下の目線はまさに「国父」のものであり、もてなされたことに喜ぶのではなく

  「よくぞ120年も頑張ってくれた」という、お褒めの言葉なのですね。

  だけど皇太子の感想は、「料理がおいしくて音楽が楽しくて」それに参加できた自分が嬉しい

  そして、日系人が、ではなく、ブラジル国が日本とパートナーシップを展開したいと言っている

  と持論を展開。

  こういう事は皇族が考えるべきことではありませんよね。

 最後は雅子妃の伝書鳩に成り下がるというていたらく。

  もうもうもう

  生まれた順番が違うばかりに日本の皇室は滅んでいくのですわ。

コメント (7)
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