ふぶきの部屋

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昭和は遠くなった

2016-04-30 07:00:00 | 皇室報道

 思えば昭和は遠くなった。

昭和の頃、明治生まれの人が盛んに「明治は遠くなった」と嘆いていました。

気持ちが今はわかります。

明治と昭和では「人」の何が違ったのかなと思います。

明治といえば「明治天皇」で、大元帥陛下。近代日本の黎明期を生きた

まさに強い日本の象徴でした。

昭和は戦争のイメージしかなくて、負けた日本。そればかりに見えたのかなと。

みんな、生きるのに必死、頑張るのに必死、明治時代の気風や気骨がなくなった・・・

昭和に生まれた若い人たちは薄情でなんでもお金で解決できると思ってる

なんて言われたっけ。

戦後の教育を憂える明治時代の人達も沢山いたんですよ。

みんなして日の丸を嫌い、君が代を歌わず、戦争に行った・・と言えば「古い話」と

切り捨てられ、「悪い事してきたのか」と思われ。

若い人をしかりつければ「うちの子に限って」って言われ。

それでも、まだ昭和はよかったと思う私達。平成はあまりにもなあ・・・・・

 

昭和の頃。天皇誕生日は4月29日でした。

小さかった私達は皇太子の誕生日が12月23日って知ってましたから

「12月の方が冬休みが早く来るみたいでいいよ」って思ってた事も。

飛び石連休なんてつまんなかったしね。

テレビでは必ず天皇誕生日の模様が放送され、おじいちゃま天皇陛下が

マイクで「今日は祝ってくれてありがとう。国民みなが元気・・・希望します」

この「希望します」の言い方が独特で面白かったです。

おじいちゃま天皇より、やぱり庶民は「美智子妃殿下」を見てたんじゃないかな。

昭和の一定時期まで、ベランダにガラスは入っていなかったんですよ。

それが投石か何かがあって、あんな風になってしまった。

ちょっと皇室が遠くなりましたよね。

 

1955年ごろの園遊会だそうです。

皇后陛下が何かを話してた・・という記憶はありません。

いつもいつもにこにこしていらした。

昭和天皇はいつも「今日はよく来てくれて」っておっしゃってました。

着物姿の香淳皇后。見事な毛皮のショール。

でも、ちっとも派手でもなく上品この上なく。

昭和天皇と香淳皇后の前に出るっていうのは、眠れなくなる程緊張するものらしいです。

っていうか、それはテレビ画面を通してもがんがん伝わって来て

招待客がみーーんな、自分が何を言ってるのかわからなくなるんですね。

あんなに饒舌な人が、あんなにしっかり話す人が、昭和天皇の前にでると

たどたどしくなる。

これがいわゆる「カリスマ性」なんでしょうね。

 1988年ころ。

皇太子妃の姿勢は彼女独特ですね。

 

昭和天皇といえば「あ、そう」です。

「・・でございます」って紹介されれば「あ、そう」「今日はよく来てくれて」

「これからもその方面が発展するように尽くして下さい」

というような感じです。決して私達庶民に敬語をお使いにはならなかった。

あの頃はどうって事なかったし、皇太子夫妻の「ですます」調を好ましく思った事も

ありましたけど、今にして昭和天皇の口調がなつかしく、もう一度と思ってしまいます。

昭和天皇の話し方は、私達国民が「臣民」であることを感じさせてくれました。

ひとしく平等に。

そして当時、私達は昭和天皇に「私」があるなんて感じてもいなかったんですよね。

 

今回の園遊会で、サッカーの澤さんに皇后陛下が

「(サッカーの)黎明期をささえてくださって」とおっしゃっていましたが

私は皇后陛下の「下さって」に違和感を覚えます。

よく生きていて下さって」

よく・・・してくださって」って、私達、皇后陛下の為に頑張っているわけじゃありません。

こんな風に言われた澤さん、どう思ったかな。

 

きっと昭和天皇だったら

「サッカーを盛り立ててくれてありがとう。これからも発展に尽くすよう希望します。

今日はよく来てくれて」っておっしゃったんじゃないかな。

そんな風に言われたら誇らしくなると思うんですけどね。

 

今や、天皇と腕を組み(そこにどんな意図があるかわかりませんが)歩く皇后。

写真にだけおさまったらさっさと消える皇太子妃。

皇太子妃にぶつかられる皇太子・・・・ですから。

 

コメント (7)
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