ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

皇室ウイークリー

2019-01-05 10:50:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

12月28日・・・両陛下 → 侍従長・女官長らから挨拶をうける

       天皇陛下 → 通常業務

12月29日・・・両陛下 → 佳子内親王から挨拶をうける

12月31日・・・天皇陛下 → 節折の儀

1月1日・・・天皇陛下 → 四方拝

             晴の御膳

      両陛下 → 新年祝賀の儀

           ↓ あれ?雅子さんは?

 

1月2日・・・両陛下 → 新年一般参賀

            

皇太子夫妻・秋篠宮夫妻・眞子内親王・佳子内親王と昼食

1月3日・・・天皇陛下 → 元始祭の儀

 

秋篠宮家

12月29日・・・佳子内親王 → 誕生日につき両陛下に挨拶

12月31日・・・秋篠宮殿下 → 大祓の儀

1月1日・・・両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → 新年祝賀の儀

       悠仁殿下 → 新年祝賀

1月2日・・・両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → 新年一般参賀

1月3日・・・両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → 元始祭の儀

 どういうわけか東宮家の日程だけがなし。やっぱり新年祝賀の儀の中抜けとか面倒なんだろうなと思います。年末は仕事がないからってイルミネーション見物にうつつを抜かしていたし。

 今後、新年の行事とすれば「講書始の儀」「歌会始めの儀」がありますが、雅子妃の最大の難点は「歌会始めの儀」でしょう。人前に立つとぶるぶる震えるらしいので。大勢のしーんとした環境でじっとしているのは苦痛でしょうがない。大の大人が・・皇太子妃歴25年の女性がそんなんでは先が思いやられますね。

先日、「明治天皇の晩さん会」という番組を見ました。

今の迎賓館のあたりに、「ご会食所」が設けられ明治初期から外国要人を招いて晩さん会をしていたのですが、建物が和洋折衷で景観重視で非常に考えられていたこと。

そしてフランス料理を17品くらい出していたこと、食器は全部イギリスのミントンなどから取り寄せていたことがわかりました。

オードブルは勿論、肉料理だけで3品(牛・鶏や羊、うずら)野菜なども新宿御苑の農園でアーティチョークやイチゴなど元々日本になかったものを育てていたんです。

西洋では、ロシアでもイギリスでも世界中で正餐はフランス料理と決まっていましたので日本人シェフはさぞや大変な思いをして作った事でしょう。デザートもケーキにアイスクリームまで作っていたんですから。

イギリスから来た王子さま達は食器が自分の国のものと同じだったので大層びっくりしたそうです。

世界から来る人にきちんとしたフランス料理をふるまうことが出来る国・・それが日本であるとアピールできたわけですね。

明治天皇は元々西洋嫌いでしたが、国家の為に洋装と洋食を取り入れたのです。それは昭憲皇太后も同じで、ローブデコルテを着て晩さん会に出席するという快挙を成し遂げられました。

そして「洋装令」が出されますが、これが出された理由として

 立ったままの儀式には洋装の方がふさわしい

というのがあり、以後、女性皇族の正装は洋装になったのです。先日のニュースで皇后が「戦没者慰霊式」に着物を着用することになった理由として「着物の方が動きやすいから」というのがありますが、果たしてそうでしょうか?

これは昭憲皇太后のご意思、並びに近代皇族の「しきたり」に反することになります。着物は動きを制限することで美を表現するものですから、もし本当に動きやすい着物を着るというならたすきがけでもしておかなくてはなりません。

ということで、現皇后の「着物」に対するこだわりは、単に洋装に対する反発であると思うのですが。

当時の宮内省が頑張って西洋から食器を買い求めたり徹底した西洋的儀礼を覚えたりし、天皇自ら西洋人をもてなしたりしたのはそれは全部国益の為だったんです。

特に天皇と皇后はロマノフ王家と親しく、非常に良好な関係を持っていました。

それだけに大津事件が起きた時は、そく戦争になってしまうのではないかと恐れたのです。

 明治24年、ロシアから来日していたニコライ皇太子が大津で暗殺されそうになった事件

 当時、随行していた有栖川宮は即、天皇に電報を打ち京都へ行啓させる

 この時、天皇が到着する前に皇族が見舞い、さらに天皇には数人の皇族が同行。

 天皇自らロシアの艦に乗り込み見舞い。

昭憲皇太后は謝罪の手紙をロシアに送り、ニコライ皇太子に対して息子のように世話を尽くしたといわれています。そのおかげでロシアは日本に対して嫌な感情は持たなかったと。これこそが皇室外交です。

ブータンの国王と王妃がわざわざ震災後の日本を選んで新婚旅行に来て下さり、天皇も病気という環境の中で、雅子さんは愛子内親王の登校の付き添いだけにまい進し、完璧に国王夫妻を無視。どこの王室が東宮御所を訪ねても玄関先には出てこない。

このような人が5月から皇后陛下とは・・・情けなくって涙がでちゃいます。

新年祝賀の儀も各国大使の前でティアラも勲章もつけない皇后。外交問題ですよね。誰も言いませんけどきっと陰口は叩かれている筈です。

「私が法律」という皇后が2代に渡って皇室を牛耳る図ですね。

 

 

コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする