ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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皇室ウイークリー

2020-04-19 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

4月10日・・・天皇陛下 → 通常業務

       両陛下 →  新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長から進講を受ける

4月14日・・・天皇陛下 → 水稲手撒き

              通常業務

4月15日・・・両陛下 → 厚生労働省医務技監から進講を受ける

 慌てて新型コロナについて進講を2度受けています。何もしないというのはさすがにまずいと思ったのでしょうか

女性週刊誌によると、ゴールデンウイーク明けに「即位1周年」でぜひ雅子皇后の肉声で国民に励ましの言葉をかけて欲しいみたいなことが書かれていましたが、なぜ皇后?天皇が先でしょ。

それに・・・「これを機会に」と言われても困る。

だけど・・・10万配布をごり押しした創価学会あたりに「人気の為には何かお言葉を」とせっつかれているのかもしれませんね。

 「旧宮家復帰」聴取 政府が有識者ヒアリングで論点整理への明記が焦点に」 

 

 皇位継承者が秋篠宮殿下・悠仁殿下・常陸宮殿下の3人のみ

 現行の皇位継承資格や婚姻に伴う皇籍離脱制度に関し維持・見直し

 多分これは、内親王が結婚しても皇籍を離れない・・方向で行くのかと思いますが。個人的には「後継ぎのない大正天皇系皇族の臣籍降下」をぜひ実施すべきと思います。

新型コロナの影響で国庫負担が増す中、三笠・高窓系はもういらないでしょう。一時金で臣籍降下をすべきです。

 旧宮家の未婚の男子が内親王と結婚

 これは基本的には愛子内親王・眞子内親王・佳子内親王と結婚する11宮家の誰かを当主に立てて新宮家を作るという方法。この場合は2世宮家として扱うべきです。

 つまり「どこまでも皇族」として扱うと際限がないので今上から見て〇世孫までは皇族の枠を設けるということです。

 現存する宮家に養子に入る

 現皇室典範では「養子」は許されていないし、そういう事を言い出すと三笠宮や高円宮家にも「養子」に入っていいのか?ってことになりますので、先日来私が提唱しているように「秋篠宮家の猶子」になり、悠仁殿下即位の後、宮家を継ぐ。

また悠仁殿下即位の時には「猶子」を増やし、2つくらい宮家を作っておけば仮に悠仁殿下に男子がなくても安心ではないでしょうか。

猶子は養子よりもゆるい縛りですけど、実際に宮家を継ぐまで「皇族教育」を施すことが出来ます。

 もし、秋篠宮家に「養子」に入るのであれば悠仁殿下より年下でなくてはなりません。「天皇の弟」になる人達は、普段から親交があり、天皇の意を理解する人達でなくてはなりません。その為には。悠仁殿下が普段から旧皇族らと仲良くしなくてはなりません。

 皇籍取得

 ダイレクトに皇籍復帰させちゃう案ですが、これは批判が起きそうです。「70年以上も皇籍を離れて云々」という反対派がいます。でも、考えてみると上皇后や皇后のように全く皇室とは縁もゆかりもない人が、数日の「お妃教育」だけで皇族になる事の方が間違っているのではないかと私は思うのです。「血筋」重視でいけば、ダイレクトもありかと。

 

さらに個人的には、政府と秋篠宮殿下にお願いしたい

 

 悠仁殿下のお妃候補を今から選定しておくこと

 家柄・血筋・思想全てを吟味しつつ、多産系の女性を数人見積もっておくことです。20歳で結婚してもいいと思います。後継ぎが出来るのであれば。皇族の仕事は「男系男子」をつなげること。基本に立ち返って欲しいです。

 

11宮家は全て伏見宮の子孫です。

江戸時代には「世襲宮家」というのが4家ありました。

伏見宮」「閑院宮」「桂宮」「有栖川宮」です。

ここの後継ぎが途絶えた時は天皇の子供が入ると決まっていましたが、天皇の子供達の中で親王宣下を受けるのはごくわずか。あとの側室から生まれた子供はお寺に入れられて法親王となり一生をそこで過ごします。

身分は5摂家よりも下という、屈辱的な立場でお寺の庭しか知らない生活です。

「桂宮」は江戸末期に当主がなくなり、緊急措置として孝明天皇の姉である淑子内親王が当主となる女性宮家になりました。

なぜかはわかりませんが、淑子内親王はその直前に婚約者を失っており、寺に入れるよりは・・と天皇は考えたのかも。その間に天皇に男子が生まれればそちらと交代と思われていたと。でも最終的に孝明天皇には睦仁親王しかうまれず、桂宮家は明治に入って絶家となりました。

江戸末期、幕府は皇族を味方につける為に伏見宮家の皇子達に接触。

お寺にいや山階宮晃親王や、久邇宮朝彦親王らに還俗させて宮家を創設させました。

以後、伏見宮家から山階・久邇・小松・北白川・華頂・東伏見が出て、山階宮から梨本宮が、久邇宮から朝香・賀陽・東久邇が生まれ、北白川から竹田宮が生まれました。

明治天皇は皇室典範が正式に成立するまでの間にせっせと分家をつくり、そこにご自分の内親王を降嫁させたのです。

閑院宮家は危うく絶家になるところ、伏見宮家から養子が入って存続。

有栖川宮家は時代がちょっと悪くて養子をとれず、大正天皇はまだ小さかった第3子に高松宮家を創設させて有栖川宮家の祭祀を担わせました。

 

宮家を継ぐのは長子のみで、2男以降は爵位を与えられて臣籍降下しました。一度臣籍降下すると皇族に戻ることは出来ません。

ですから、宮家の血筋の中には「宮」と名乗らないまでも今上より血筋が上の人達が結構いるのです。そういう人達も内親王方の配偶者として考えれば範囲が広がるかもしれません。

「女性宮家」などと言って、全くどこの馬の骨かわからない男子を婿に持つより現実的と思います。

 

秋篠宮殿下が天皇になる時には、ぜひ「皇族の範囲」と「皇族の仕事」について明確な形が出来上がっているといいなと思います。

 

 

コメント (5)
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