今年もまた鎮魂の日がやってきます。
「終戦記念日」というと、しつこく「敗戦記念日だ」という教師がいましたね。
「日本は戦争に負けたんだよ!」って・・要は日本の軍国主義が~~~の人だったけど。
相変わらず「深い反省」を口にするだろう天皇の戦争史観をちゃんと修正しなくては、この国は永遠に敗戦国になってしまうと思います。
戦後50年目あたりから、太平洋戦争に対する評価も変わって来たことは事実です。
丁度50年目に作られた戦争映画「聞けわだつみの歌」は恐ろしく左巻きの内容で、日本兵は鬼畜のように描かれておりました。
この作品を見て、かえって目が覚めて「真実」を追いかけようと思った記憶があります。
太平洋戦争を体験した人、戦闘機乗りだった人が漸く重い口を開いて話してくれるようになったけれど、生き残った人のほとんどは思想が左になっているというか、自らを「無駄死にするところだった人間」としか見られないというのが残念です。
また、「戦争に行く事に関してどう思いましたか」という馬鹿な質問をするマスコミに、「嫌だった」とか「家族を守る為に頑張ろうと思った」とはいえない。
だから「仕方ないでしょ。召集令状が来たんだからそこに個人の感情はない」というしかない。
そう答えた人達を「可哀想な人達」と報道するマスコミもどうかと思います。
戦没者を追悼する式ではあるけど、遺族も少なくなっておりこのまま続けることが日本にとって本当によい事なのか・・・考えてしまいます。
なぜなら、日本の戦争史観がいつまでも太平洋戦争で止まったままになるからです。
現在、ロシアとウクライナ戦争は77年前の戦争とは思想も違えばレベルも違う・・世界はひたすら自国を巻き込まない様にウクライナへの援助を手加減したり、ロシアを刺激しない様にしたりと裏側がみな見える状態なのですね。
ロシアやウクライナの情報統制は当たり前の事だと思うし、核の問題も広島や長崎の数百倍の威力になっており、スイッチ一つで一つの国が滅んでしまう程です。
「平和がいいに越したことはない」
けれど、日本にとって台湾有事は即、日本への侵略を意味する事になり、実際問題、与那国島の人達は「その時」どのように逃げるべきかと思案している状態。
関東では呑気に考えていても、与那国を始めとする離島と沖縄、九州にとっては、そしてロシア側に位置する北方領土や北海道にとっては「そこに迫る危機」であって、「戦争はしてはいけない」とか「話し合いで解決」とか言ってる場合じゃないのです。
「どのようにして自分と家族を守るのか」 → 街と県を護るのか → 国を守るのかと考えを発展させていかないといけない時なのです。
なぜなら中国やロシアは話しが通じない国だからです。
この21世紀に領土拡大、覇権を争う・・・77年かけて社会主義を育てて来た結果がこれ。
マスコミの8月15日に向けての番組もネタ切れになっているようで、先日「アイドル」を見ましたけどあまりのくだらなさに、「愛希れいかと山崎育三郎だけのドラマにしてくれ」と思ったほどです。
学徒出陣も大学側は反対したのに軍部の横暴で決まった・・・というようなもの。
でも普通に考えると「大学生だから徴兵免除」ってやっぱり変じゃないですか?
勿論、当時の大学生のレベルの高さと今の大学生と比較対象にはならないけど、もし「東大・京大だけは徴兵免除」とか言われたらやっぱり不公平な気がしますよね。
問題だったのは、学生達の頭脳を戦争に有効に使えず、ひたすら苦手な事に突っ走らせたことだったと思います。
原爆の事にしても、いまだにPTSDで平和通りを歩けないというおばあちゃんを画面にひっぱりだして悲劇を演出して何になるでしょうか?
大本営発表は全部嘘っていうのはわかります。
だけど、真実を言ってどうにかなるかと言えばならない・・・ゆえにウクライナですら情報統制しているのではないですか?
もしロシアとウクライナの戦争が終わった時、ゼレンスキー大統領は「大本営発表した」と責められるんでしょうかね。
正直、中国のミサイルが日本のEEZ内に撃ち込まれた時、「これは戦争しかないかも」と思いました。
旦那に「戦争になったら行く?」って聞いたら「行くしかないんじゃないか」と言いました。
でも実際には私達は銃後に回る事になるでしょう。
戦争に行かされるのはうちの子供達です。
それを考えた時にぞっとしました。嫌だなと思いました。
けれど、一方で「だからと言って日本の国なんかどうなってもいい」と考える卑怯者にはしたくないとも思いました。
「家族や友人がどうなってもいい。自分だけは生き残りたい」という人は後々心を壊すだろうし、それこそ家族に禍根を残す。
じゃあ、どうすればいいのか?
せめて、後々「無駄死に」だったと言われない程度の敬意を示して貰えるなら、と思います。
みなさんは靖国神社に行った事ありますか?
私はあります。
そう言えばブログのファンミーティングしてたころ、皆さんと一緒に行ってお祓いを受けた事もありました。あの時、吹き渡る一陣の風があまりにも心地よく潔く、ずっとここにいたいと思ったほどです。
遊就館には沢山の展示物があります。
靖国に眠っている人達は全て国の為に戦って亡くなった人達です。
「国の為」なんて大きな事ではなく、多分これはいかんな・・・この戦は・・と思っていても「自分の大事な人を、街を、国を守りたい」と恐ろしさから自分を奮い立たせて闘いに挑んだ人達の御霊が奉られているのです。
それを「英霊」というのです。
その靖国神社を国会議員が参拝するのは当たり前です。
なのに情けない事に我が国の天皇は、その父と共に「深い反省」と口にして靖国を馬鹿にしています。
「非科学的な考えばかり押し付けた戦争」としての記憶しかない。
いくら追悼式に出席しても心の中で本当に亡くなった人達への敬慕の情があるんでしょうか?
どこでどう死のうが、兵士たちは英霊です。彼らのおかげで今の日本の繁栄がある。
それなのに今の日本は、林外務大臣みたいな人がいる国ですよ・・・形だけの追悼式ならもうやらない方がいいんじゃないか?と思います。
終戦の日にちなみ、3つの曲を捧げます。
アリプロ 愛と誠
アリプロ 鎮魂頌