ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

紀子様 オランダ到着

2018-10-24 18:50:56 | 皇室報道

 すみません。昨日(23日)は朝から宝塚観劇の為に外出しており帰宅も遅かったので眞子さまの誕生日をすっかり失念しておりました。

遅れましたけど、眞子さま27歳の誕生日おめでとうございます。来年はご自分の実力をいかんなく発揮できる年だそうですから頑張って下さいね。

週刊誌がいくら「眞子さまは諦めていない」「結婚して皇族をやめたい」とか言ってるといっても、例えば持参金を辞退したら次の日から生活に困ることくらいわかると思うんですけどね。陰謀とかそういうのではなく週刊誌はフェイクニュースを流して徹底的に苛め抜きたいだけじゃないのか?と思っています。

今「反体制小説としての源氏物語」を読んでいるんですけど、いわゆる「皇后」とかそういう名称ですね。

源氏物語の中では桐壺の更衣より藤壺の女御の方が身分が上、やがて藤壺が中宮になると朱雀帝の母は皇太后になります。

かつて、聖武天皇が藤原宮子に「大夫人」の尊称を与えようとして長屋王ともめるシーンがありますが、その時の天皇の意志によって女性の地位に対する名称というのは増えたり減ったりしていることがわかります。

それは天皇の正室となる女性が藤原家の場合、どっちが上?どっちの身分が高い?という問題が常に存在していたからでしょうね。

最初はみな一律に女御だったのに、その中から最も高い身分として「皇后」が生まれますが、天皇が「皇后とは仲良くしたくなくて他の女性を皇后並の地位につけたい」という場合に「中宮」という名称を使いました。皇后 → 皇太后 → 太皇太后になり、それに相対する形で「女院」という言葉が用いられます。

江戸時代になると藤原氏の権力闘争はあまりなくなりますので、みな一律に女御になり、必ずしも皇后に立てられるということでもなくなります。孝明天皇の妻である九条夙子は結婚当初からずーーっと女御で、出来れば「皇后」にしたいという孝明天皇の意志も幕府によって阻止され「準三宮」となります。

明治天皇の即位4年後に皇太后に冊立。これは明治天皇の妃である美子が女御から明治になって「皇后」になったからでしょうね。

でも源氏物語では弘徽殿女御は桐壺邸の譲位後は皇太后になっていますから、皇太后のには「帝の母」という意味があるのでしょう。

「皇太后」では未亡人みたいでいやだ・・・だから「上皇后」がいいなんて発想はそもそもの皇族にはありませんね。「上皇后」はまさに「皇后より位が上です」と内外に宣言しているようなものですものね。

明治以降、退位が禁じられたので「皇太后」が未亡人の意味になってしまったんだろうと思いますが、本当の意味で引退するというなら「上皇」「上皇后」なんかじゃなくて「院」号にすべきじゃないの?って思いますが。

さて、紀子様がオランダに到着し、さっそく結核予防国際会議主催の夕食会に出られたようです。着物姿でご立派に皇室外交をされていました。

なんでもっと大きく報道してくれないのかな・・・・

 

 

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日本一運のいい女ー新皇后の肖像 9

2018-10-23 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 さすがに饗宴の儀の立食はまずいと思ったのか今度は「日本人の配偶者はずし」ですって。

 来年10月22日 皇太子は「即位正殿の儀」で即位宣言する。

 前回は外国元首や地方自治体から2500人が招かれた。

 今回は2800人を超えそうなので日本人に同伴する配偶者の招待を削減することで人数を抑えたい意向

 バカ じゃないの?別に徳仁さんの即位だからどんなにおバカなことをやってもいいけど「日本人の配偶者の招待を削減」って基本、女性が招待されないってことですよね。つまりもしかしたら「皇后」が共に立たないではないか、また、共にたってもすぐに退出してその後の行事には出ないつもりなんじゃないか?そんな気がします。

 国連はこういう時「配偶者を差別するのか」って怒らないの?日本人に限ってならいいの?でも外国元首はみな夫婦なのに、日本人だけほとんど男性だけなんておかしくないですか? 即位する前から非常識、ああ非常識。

雅子皇后さん、あなたも配偶者だよね。

それにしてもこんなに「予算削減」「人員削減」の即位なんて戦国時代以来じゃない?道長きどりの小和田父どうした?

 1992年10月3日 → 皇太子があずき色のワゴン車に乗ってお忍びで東宮御所を抜け出して新居浜鴨場で小和田雅子とデート

1992年12月12日 → 小和田雅子さんプロポーズ承諾

プロポーズを受けた当日、小川東州書道展でカメラに収まり、その後、中華料理屋でお祝い?

 

読売新聞社1993年5月「6月のプリンセスー雅子さんと皇室記者の2000日」

それにしても、その情報は驚くべき内容だった。
―天皇・皇后両陛下が山形国体の開会式出席などのため羽田をたった十月三日の昼前、皇太子さまは、後部座席を黒いフィルムで目隠ししたあずき色のワゴン車に身を隠し、赤坂御用地の巽門を出た。運転していたのは側近の職員。門を守る皇宮警察の護衛官も、皇太子さまが乗っていることには気づかなかった。ワゴン車の後ろには山下和夫東宮侍従長のマイカー、ベージュの「カペラ」が続き、高速道路を経由して千葉県市川市に向かった。やがて二台の車は、新浜鴨場に到着した。
―そこで待ち受けていたのが、小和田雅子さんだった。ここはふだん、外交団などの鴨猟接待に使われる。皇太子さまは雅子さんと一緒に昼食を取り、野鳥が泳ぐ池の周りを散歩したり、輪投げをしたりして過ごした。そして最後にプロポーズをしたようだ」

 

 1992年12月25日 → 「皇太子さまと婚約が内定した小和田雅子さんは、プロポーズを承諾した後の昨年十二月二十五日のクリスマスの夜、皇太子さまの住まいの東宮仮御所を訪ねた。天皇ご夫妻に挨拶した後、皇太子さまと二人で深夜まで過ごしたという。
 天皇ご夫妻はこの日、夕方から仮御所を訪ねて、皇太子さまと三人で夕食を共にした。雅子さんはこの後の午後七時半ごろ、仮御所を一人で訪れた。四人で二時間ほど歓談。ご夫妻が赤坂御所に帰られた後も、二人は二十六日午前零時近くまでくつろいだ時間を過ごしたという。(BY朝日新聞1993年1月8日朝刊)

 とにかくよそへ行ったら夜中まで帰らない・・・雅子さんはその後、静養先でもレストランでもお店に入ったら夜中まで帰らない人になるのでした。

 やっぱり説得の方法としては

恒氏「お前はオックスフォードで学士論文を完成できなかったじゃないか。お前なんてその程度のもので、女性首相?大使?むりむり。私を超えるのは永久に無理。親の為と自分の為を思うなら皇太子と結婚しろ。そしたら外務省の奴らを見返してやれるぞ」

皇太子「外務省で外交をやるのも皇室で皇室外交やるのも同じでしょう。というか皇族でいた方がもっと上からの立場で好きなことが出来ますよ」

だったんじゃないのかな。

1992年のクリスマスカード

・1992年12月28日の仕事納めの日

やる気がなくなってるというか・・・心底外務省で使い物にならなくて浮いていたんでしょうね。

 1993年1月1日

 

 

・1993年1月4日仕事始めの日

自宅で婚約発表後の写真を撮影。服は君島一郎。なかなか優美子さんが仕立て料金を払わないので請求したら「皇室に入ってしまえばなんとでもなる」と言ったエピソードが残っている。

 1993年1月6日 婚約内定報道

スポーツ紙1面

朝一番のテレビ

ワイドショー

号外

 日本中が「ええーーーーええええーーーー!うそーーーーー!」

だった所に颯爽と現れいでたる小和田雅子。

 1993年1月8日

18万5000円のキミジマスーツに白のコートは55万円。

 

そして時は動き始めたのでした。平成の暗い時代へ突入した瞬間でした。

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初心者の為の宝塚講座 今旬のジェンヌで楽しんじゃう 1

2018-10-22 07:00:00 | 初心者の為の宝塚講座

 各組トップスターの事は色々おわかりと思いますので、今度は二番手以下の若手スターについてご紹介します。この記事をまとめたのは我が家の姫で・・・というのも私、若手は苦手で・・・・

 

 花組 

 柚香光(ゆずかれい)・・・200年入団の95期生。花組配属

同期は水美舞斗・礼真琴

姫ちゃんが作った柚香光のキャッチフレーズ&彼女の代表作

2番手の香り放つ現花組の御曹司

 六条御息所(新源氏物語)

 伊集院忍(はいからさんが通る)

 アラン・トワイライト(ポーの一族)

ふぶきさんが作るとこうなる

華も香りもあるけれど味がない柚」・・・ごめんなさいっ!

 容姿に恵まれ才能に恵まれ運にも恵まれ・・なのに成長しないのが柚香光です。なぜってまだ「演じる」ってことがよくわかってないのね。キザってりゃいいと思ってる節あり。しょうがないか。背中を見て育つ上級生がいないので。

 

 瀬戸かずや(せとかずや)・・・2004年入団90期生 花組配属。同期には如月蓮など

姫ちゃんが作った柚香光のキャッチフレーズ&彼女の代表作

男役の色気で魅了するダンディな男役

・遠山金四郎(風の次郎吉)

・フランク・ポーツネル男爵(ポーの一族)

ふぶきが作るとこうなる

花組ただ一人の大人の男はトップ娘役を奪い去る

 トップからして自信なさげな花組の中で落ちついた雰囲気は貴重です。「ポーの一族」の男爵は非常によかった・・というか仙名彩世と一緒に組んでこんなにしっくりくる男役はいません。夫を選び間違えたのね・・・

 

 鳳月杏(ほうづきあん)・・・2006年入団92期生

 月組 → 花組

同期には真風涼帆・彩凪翔など。

姫ちゃんが作った柚香光のキャッチフレーズ&彼女の代表作

月のような輝きと包容力の持ち主」

・穴穂皇子(月雲の皇子)

・王ジャハンギール(金色の砂漠)

・青江冬星(はいからさんが通る)

ふぶきが作るとこうなる

ついに姿を現した切れ長瞳のスナイパーが場をさらう

 全て努力と力で這い上がって来た鳳月杏はただものではありません。あとは前に出て自己アピールのみ。

 

 水美舞斗(みなみまいと)・・・2009年入団 95期生

姫ちゃんが作った柚香光のキャッチフレーズ&彼女の代表作

花のように舞い踊るイケメンフェイス」

トーマス(アイラブアインシュタイン)

・鬼島森吾(はいからさんが通る)

ふぶきが作るとこうなる

花組の太陽はついに朝を迎えた」

 柚香光の同期だったことが仇になったのか?あれだけのイケメンで踊れるのに長い間冬の時代でしたが、やっと光が差してきた感じ。花でこんんな扱いを受けるならよそにご栄転した方がよっぽど彼女の為になるんじゃないか?と。

 

 飛龍つかさ(ひりゅうつかさ)・・・2012年入団。98期生 花組配属 同期は暁千星・天華えま

姫ちゃんが作った柚香光のキャッチフレーズ&彼女の代表作

元気な花組男子

・タケヒコ(邪馬台国の風」新人公演

・アラン・トワイライト(ポーの一族)新人公演

 すみません・・・ほんと、よくわからないです。まだ。

 

 聖乃あすか(せいのあすか)・・・2014年入団 100期生 花組配属。同期には音くり寿・花優希など

姫ちゃんが作った柚香光のキャッチフレーズ&彼女の代表作

花娘より儚く見える男役」

・藤枝蘭丸(はいからさんが通る)

・エドガー・ポーツネル(ポーの一族)新人公演

 花組の男役にしては華奢というかおとなしめというか?両性具有というか?ただ演技力はありそうなので今後に期待です。

ここは都内一等地に立つ高層ビル。中は全ての階にホストクラブとキャバクラがあり、毎日おじさま・おばさまから若い人たちまで吸い込まれるように入っていきます。

オーナーはふぶき。毎日後継ぎの姫を引き連れて各店を回って帳簿を見て叱咤激励しています。今日はホストクラブ「SANTE」に来ました。

店内は都会的で夜景のようにキラキラしています。ピンクと黒を基調とした調度品は乙女チック。

マネージャー:カズヤ

NO1ホスト:リオ

二番手:レイ

3番手:チナツ

ヘルプ:マイティ

ふぶき:カズヤ帳簿見せて。

カズヤ:はい。今月も売り上げはいいですよ。全員一丸となって頑張ってますから。

ふぶき:そうはいってもシャンパンの出が少ないじゃないの。客も毎回同じ人ばかりで新規開拓してるんでしょうね?

カズヤ:はい。勿論。

レイ:チーッス。オーナー久しぶりっす。姫様ごきげんよう。

姫 :いやーん。やっぱりレイって嫌いになれない。

ふぶき:レイ、あんた今月何回遅刻したか知ってる?

レイ:・・・

ふぶき:人気があって売ればなんでもいいってわけじゃない。真心が大事。そんなんじゃいつまでも固定客が付かないわよ。

レイ:はーい。

姫 :ねえママ、レイとカクテル飲んでもいいでしょ?ほんの少し。

ふぶき:自分で払いなさいよ。

姫  :ケチ。

レイ:姫様、どうぞこちらのカウンターに。美味しいカルーアミルクがあるんだよ。俺、姫様の為に色々研究してるんだーー

ふぶき:頭痛い。

カズヤ:レイは自己アピールがうまいですから。そのうちリオを抜かすんじゃないかと。

ふぶき:リオねえ・・・リオ。

リオ;あ・・はい。

ふぶき:あんた、自分の事で精一杯かもしれないけどそろそろ下を統率していかないとダメでしょ。

リオ:でもそれはカズヤさんがやってくれてるし、僕はそういうキャラじゃないし、っていうか、僕なんかがNO1やらせてもらってるのがそもそも場違いで・・

ふぶき;馬鹿言ってんじゃないわよ。あんたにはどんだけごひいきがついていると 思ってるの?でもそういう人も大事だけど、自分で新規の客を開拓していかないとその地位は維持できないよって言ってるの。もうちょっと気をきかせないと。

リオ;はい・・やっぱり僕って何だか・・

ふぶき:ああもう!チナツ!チナツ!

チナツ;はいっ!オーナー。お呼びになりましたか?

ふぶき:このどうしようもないNO1ホストを盛り立ててやってくれる?そういうの、不本意なのはわかってる。わかってるけど店全体のバランスを考えると今、リオを下げるとか辞めさせるとか出来ないの。あんたは気が利くし接客態度も抜群にいいし常に自己アピールも忘れない。そういう所、ちゃんと評価してるんだからね。

カズヤ;よかったな。チナツ。

チナツ:はい。ありがとうございます。僕はリオさん大好きですから。リオさんは前の店でくすぶってた俺をここに誘ってくれた恩人なんです。だからリオさんを支えます。約束します。

ふぶき;うん。姫、そろそろ帰るわよ。

姫  ;えーー今、レイとマイティと楽しくやってるのにーー

ふぶき:オーナーの娘がホストにはまってどうするっ!

姫  :だってーレイはかっこいいもん。壁ドンしてくれたり、「姫様、好きですよ」なんて言ってくれるしーマイティは私の愚痴を何でも聞いてくれるし、気分いいんだもん。もうちょっといちゃ駄目?

ふぶき;マイティ、テーブルから姫をひっぺがしなさい。

マイティ:姫様、僕達はいつも待ってますから今日はオーナーのいう事を聞いた方がいいですよ。

レイ:オーナーは怖いっすから言う通りにしとかないと

姫;わかった・・・また来る。

ふぶき;カズヤ。扱いづらいだろうけどよろしく頼むわ。それとマイティ。

マイティ:はい。なんでしょう?

ふぶき:今月からヘルプ卒業。頑張ってNO1になれるようになさい。

姫:よかったねーーマイティ。私の大好きなマイティ。

レイ:姫様、俺のことは?

姫  :レイは気が多いからどうしようかなあ。

レイ:そんなことないって。いつだって姫様が一番だって。

ふぶき:私の娘を口説くんじゃないっ!

 

 

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皇室ウイークリー

2018-10-21 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

10月12日・・・天皇陛下 → 通常業務

10月16日・・・天皇陛下 → 通常業務

10月17日・・・天皇陛下 → 神嘗祭遥拝・賢所の儀

       両陛下 → 紀子妃殿下から挨拶をうける

       天皇陛下 → 通常業務

10月18日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式

       両陛下 → 黒田清子祭主から挨拶をうける

             勤労奉仕団に会釈

 

皇太子同妃両殿下

10月12日ー14日・・・皇太子殿下 → 福井県訪問

12日・・・株式会社SHINDO視察

     昼食会

     福井県選手団激励会

     県勢事情聴取

13日・・・第18回全国障害者スポーツ大会開会式出席

     昼食会

     バスケットボール競技を見る

14日・・・フットベースボール競技を見る

      福井県年縞博物館視察

     昼食会

10月15日・・・皇太子殿下 → 神嘗祭賢所の儀

               勤労奉仕団に会釈

       両殿下 → 国際交流基金賞受賞者に会う

10月18日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈

        両殿下 → 岡山県知事から進講をうける

 

秋篠宮家

10月12日・・・両殿下 → 在スウェーデン大使に会う

             「全国犯罪被害者支援フォーラム2018」出席

       紀子妃殿下 → (「ストップ結核パートナーシップ日本」の活動について説明を受ける

10月14-15日・・・眞子内親王 → 新潟県訪問

・昼食会

・トキの森公園視察

・トキと暮らす郷認証水田視察

・佐渡トキ野生復帰10周年記念式典及び記念フォーラム出席

・県勢概要ご聴取,歓迎レセプション出席

・真野御陵参拝

・佐渡金山視察

・トキ放鳥式出席

10月15日・・・両殿下 → 「第17回世界湖沼会議(いばらき霞ヶ浦2018)」開会式及び「いばらき霞ヶ浦賞授与式」並びにいばらき霞ヶ浦賞受賞者等との昼食会出席

10月16日・・・両殿下 → 外務省から進講を受ける

10月17日・・・両殿下 → 神嘗祭賢所の儀

             離任在京ナミビア大使に会う

      紀子妃殿下 → 両陛下にあいさつ

     秋篠宮殿下 → 研究会出席

10月18日・・・紀子妃殿下 → 結核対策に関する世界の取組について説明を受ける

 トキの放鳥がこんなに似合うプリンセスは日本にはいません。厳かで神々しい。そしてトキの羽ばたきに驚く眞子さまは最高にチャーミングです。

 私、週刊誌報道は信じていません。1億辞退なんて小室が言い出す話じゃないし、秋篠宮家としてもそんなことを望んでいないでしょうし。何を報道されても反論することなく粛々と公務に励む姿はやっぱり母親似なんだと思います。強いのです。眞子さまは。

 それにひきかえ皇太子のところはなぜか福井にいかず、出たいものだけ出て終わり・・・次期皇后陛下はこれですわ。神嘗祭賢所の儀にも出ず。病気療養中が呆れてしまう。

 

 10月16日 イケメン福士蒼汰の映画鑑賞に来た皇太子一家

こういう時は「体調の波」が出ない雅子さん。

 

 10月20日 皇后誕生日祝賀に向かう皇太子夫妻・秋篠宮夫妻・眞子・佳子両内親王

 

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皇后陛下 84歳に

2018-10-20 10:49:49 | 皇室報道

10月20日、皇后陛下は84歳のお誕生日を迎えられました。おめでとうございまず。

 誕生日に関する文書回答

昨年の誕生日から今日まで,この1年も年初の大雪に始まり,地震,噴火,豪雨等,自然災害が各地で相次ぎ,世界でも同様の災害や猛暑による山火事,ハリケーン等が様々な場所で多くの被害をもたらしました。

バックウォーター」「走錨(そうびよう)」など,災害がなければ決して知ることのなかった語彙にも,悲しいことですが慣れていかなくてはなりません。

 こういうところでさりげなく「私はボケてない」を強調するところがあざとい。

日本の各地で,災害により犠牲になられた方々を心より悼み,残された方々のお悲しみを少しでも分け持てればと思っています。

また被災した地域に,少しでも早く平穏な日常の戻るよう,そして寒さに向かうこれからの季節を,どうか被災された方々が健康を損なうことなく過ごされるよう祈っています。
 そのような中,時々に訪れる被災地では,被災者の静かに物事に耐える姿,そして恐らくは一人一人が大きな心の試練を経験しているだろう中で,健気に生きている子ども達の姿にいつも胸を打たれています。また,被害が激しく,あれ程までに困難の大きい中で,一人でも多くの人命を救おうと,日夜全力を挙げて救援に当たられる全ての人々に対し,深い敬意と感謝の念を抱いています。

 とても詩的な表現ですね。また「感謝の念を抱く」と言わずに「感謝しています」ではダメなんでしょうかね。



 約30年にわたる,陛下の「天皇」としてのお仕事への献身も,あと半年程で一つの区切りの時を迎えます。

これまで「全身」と「全霊」双方をもって務めに当たっていらっしゃいましたが,加齢と共に徐々に「全身」をもって,という部分が果たせなくなることをお感じになり,政府と国民にそのお気持ちをお伝えになりました。

5月からは皇太子が,陛下のこれまでと変わらず,心を込めてお役を果たしていくことを確信しています。
 陛下は御譲位と共に,これまでなさって来た全ての公務から御身を引かれますが,以後もきっと,それまでと変わらず,国と人々のために祈り続けていらっしゃるのではないでしょうか。私も陛下のおそばで,これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ,これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います。

 「全身全霊」という言葉は一つの熟語だけど、それを「全身」と「全霊」でわけて片方が果たせなくなったから辞めるというのは屁理屈にしか聞こえないんですよ。私には。国民は天皇に「全身全霊」を求めてはいないし、そもそも「全身全霊」で何をどうして来たというのか。早い話、「自分で考え、それを実現していくだけの体力がない」ということなのでしょう?

でも天皇というのは基本的に「自分で考え自分で行動」はしてはいけない存在の筈なのです。天皇も皇后も存在はあくまで「象徴」であり、国益にかなったものとしての「公務」があるだけで基本的に国事行為と祭祀があるだけです。皇后陛下は「天皇というものは日本でもっとも権力がある人だ」くらいに考えているのかもしれません。

 また「新しい御代の安泰を祈る」なんて綺麗な言葉で書いているけど基本、自分は天皇と皇后から目を離さない、自分が出来ることはやる・・・と決心しているかのようですよね。



 24歳の時,想像すら出来なかったこの道に招かれ,大きな不安の中で,ただ陛下の御自身のお立場に対するゆるぎない御覚悟に深く心を打たれ,おそばに上がりました。

 いかにも「皇太子妃になってやった」といわんばかりの言葉です。

そして振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで,どのような時にもお立場としての義務は最優先であり,私事はそれに次ぐもの,というその時に伺ったお言葉のままに,陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました。

 まさか最後の最後に「私事」を優先なさるとは60年の歩みも水の泡ですわね。

義務を一つ一つ果たしつつ,次第に国と国民への信頼と敬愛を深めていかれる御様子をお近くで感じとると共に,新憲法で定められた「象徴」(皇太子時代は将来の「象徴」)のお立場をいかに生きるかを模索し続ける御姿を見上げつつ過ごした日々を,今深い感慨と共に思い起こしています。

 象徴は退位しないのですよ。

 皇太子妃,皇后という立場を生きることは,私にとり決して易しいことではありませんでした。

与えられた義務を果たしつつ,その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく - そうした日々を重ねて,60年という歳月が流れたように思います。学生時代よく学長が「経験するだけでは足りない。経験したことに思いをめぐらすように」と云われたことを,幾度となく自分に云い聞かせてまいりました。

その間,昭和天皇と香淳皇后の御姿からは計り知れぬお教えを賜り,陛下には時に厳しく,しかし限りなく優しく寛容にお導き頂きました。3人の子ども達は,誰も本当に可愛く,育児は眠さとの戦いでしたが,大きな喜びでした。これまで私の成長を助けて下さった全ての方々に深く感謝しております。

 「育児は眠さとの戦い」って・・・育児してないでしょうがっ 傍にいつも女官なりナース成りがいた環境で何を言っているのやら。

 陛下の御譲位後は,陛下の御健康をお見守りしつつ,御一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています。

そうした中で,これまでと同じく日本や世界の出来事に目を向け,心を寄せ続けていければと思っています。

例えば,陛下や私の若い日と重なって始まる拉致被害者の問題などは,平成の時代の終焉と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません。これからも家族の方たちの気持ちに陰ながら寄り添っていきたいと思います。

 「心を寄せる」は皇太子が好んで使う言葉ですが、大元はここにあったんですね。そもそも「心をよせる」というのは自分で言うべき言葉なのか?とも思うのですが。

そしてなぜここに政治的な話をもってくるのかわかりません。

 先々(さきざき)には,仙洞(せんとう)御所となる今の東宮御所に移ることになりますが,かつて30年程住まったあちらの御所には,入り陽(ひ)の見える窓を持つ一室があり,若い頃,よくその窓から夕焼けを見ていました。3人の子ども達も皆この御所で育ち,戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います。
 赤坂に移る前に,ひとまず高輪の旧高松宮邸(たかまつのみやてい)であったところに移居いたします。昨年,何年ぶりかに宮邸(みやてい)を見に参りましたが,両殿下の薨去よりかなりの年月が経ちますのに,お住居の隅々まできれいで,管理を任されていた旧奉仕者が,夫妻2人して懸命にお守りして来たことを知り,深く心を打たれました。出来るだけ手を入れず,宮邸であった当時の姿を保ったままで住みたいと,陛下とお話しし合っております。

 手を入れず・・・ってすでに5億円使ってますよ。どの口が・・・本当に倹約しようと思うならそのまま皇居にいればいいし、高松宮邸を仙洞御所にすべきでしょう。

 公務を離れたら何かすることを考えているかとこの頃よく尋ねられるのですが,これまでにいつか読みたいと思って求めたまま,手つかずになっていた本を,これからは1冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています。読

み出すとつい夢中になるため,これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も,もう安心して手許に置けます。ジーヴスも2,3冊待機しています。
 また赤坂の広い庭のどこかによい土地を見つけ,マクワウリを作ってみたいと思っています。こちらの御所に移居してすぐ,陛下の御田(おた)の近くに1畳にも満たない広さの畠があり,そこにマクワウリが幾つかなっているのを見,大層懐かしく思いました。頂いてもよろしいか陛下に伺うと,大変に真面目なお顔で,これはいけない,神様に差し上げる物だからと仰せで,6月の大祓(おおはらい)の日に用いられることを教えて下さいました。大変な瓜田(かでん)に踏み入るところでした。それ以来,いつかあの懐かしいマクワウリを自分でも作ってみたいと思っていました。

 きっと国民は「まあ、マクワウリの栽培位よろしいわよ」って思うと?まさかーー別に陛下の御田の近くでなくても作ればよじゃったし、陛下のしている田植えなどの意味がわからなかったということ?皇后になるまで?

 大変な読書家でよろしいわね。読書しすぎて目が・・・ってことになりませんように。ドレスにショールをかけて揺り椅子に腰かけジーヴスの原書を読む。まるでミス・マープルのような自分を想像しているのかしら?


 皇太子,天皇としての長いお務めを全うされ,やがて85歳におなりの陛下が,これまでのお疲れをいやされるためにも,これからの日々を赤坂の恵まれた自然の中でお過ごしになれることに,心の安らぎを覚えています。
 しばらく離れていた懐かしい御用地が,今どのようになっているか。日本タンポポはどのくらい残っているか,その増減がいつも気になっている日本蜜蜂は無事に生息し続けているか等を見廻り,陛下が関心をお持ちの狸の好きなイヌビワの木なども御一緒に植えながら,残された日々を,静かに心豊かに過ごしていけるよう願っています。

 いかに東宮御所に行ってません・・・っていいたいの?天皇ですもの、赤坂御用地の庭の散歩ぐらい出来そうなものでしょうけど。

 

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日本一運のいい女ー新皇后の肖像 8

2018-10-20 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 FOCUS1991年8月16日号

「最初の浩宮妃候補小和田雅子さんのその後の家庭

 

 女性自身1991年8月20日・27日

「周辺再浮上!皇太子妃はやっぱりあの小和田雅子さん 応援の声事情」

 まさにあれだけはっきりと「私は関係ありません!」って言ったのに、カレシや不倫相手が複数いるって報道されたのに、それでもなぜか「お妃候補」に再浮上してしまう小和田雅子さんは奇々怪々です。

 女性週刊誌が応援に回ったという事はやっぱり裏には「美智子さま」がいたのか?というような気もするんですけど。

 

 FLASH1991年9月3日号

「小和田雅子さんと父・恒外務次官内規違反発覚!父親用に発行「駐車許可証」で外務省にマイカー通勤していた有力お妃候補の失点」

 この記事なんて、父親名義で借りた駐車場を娘がちゃっかり使っていた。外務省の新人は車通勤は許されないのに。管理室もマスコミに「娘が使っているんじゃないの?」っていわれて「まさか。恒氏からいわれて発行したのに」と驚き、でもすぐに登録は取り消され「あんたがづべこべいうようなことじゃない」とか「一時的に使用していたと‥思う」というような答えに。

 

 女性自身1991年12月24日・1月1日号

独走スクープ!小和田雅子さん聞こえて来た「正式ご求婚(プロポーズ)があればお受けします」発言!皇太子妃来春決定説の全シナリオを追う」

 

 FOCUS1992年1月3日号

皇室の最重要課題」32歳を迎える皇太子のお妃選び

最近、小和田さんが、“皇太子さまご自身、あるいは皇后さまから直接、お言葉をいただいたら……”と漏らしたという話が親戚筋から伝わっています」

 女性自身1992年1月7・14日号

「皇族からも聞こえて来た皇太子妃には小和田さんしかいないの声」

 女性セブン1992年1月2日・9日号

「どうしても消えない皇太子妃候補小和田雅子さん」

 微笑1992年1月11日号

「皇太子妃か女性大使か小和田雅子さん母激白「娘は過労死しそうです」

 女性自身1992年1月21日号

皇太子妃」独走スクープ第3弾!皇太子さま32歳の誕生日に2月23日に重大発表が?」

 

今もそうですけど美容室には週刊誌が沢山おいてあって、いつも女性が目にしていたわけですけど、こんな記事がでるたびに「あれ?まだお妃候補なの?」って思ったに違いありません。けれど時はバブル末期で皇室の事より自分の事の大事だし、皇太子はそんなに人気がなかったし、だから何となくスルーしている間にあっという間に既定路線になってしまったという感じです。

当時はまだ「美智子さまオーラ」がすごい時期で「苦労してきた美智子妃がやっと皇后陛下になれたんだわーしかも嫁を貰って孫まで出来て」みたいな感じでしたか。また、都市伝説として「紀子妃堕胎説」が出て来たのもこのころです。

思えば全部しくまれていたんですよね。それだけ秋篠宮家の人気はすごかった。その視線を何とか「小和田雅子」に持って行きたい勢力がいたということです。

それにしても「皇太子妃か女性大使か」って・・・盛りすぎよね。社会的ルールを守らずにコネを使いたい放題だったのに。もし件の不倫説が本当なら彼女の心はこの時期はまだまだ皇太子には向いていなかったことになります。本当に長い年月、執着しつづけた皇太子ってストーカーみたいと思ったし、5年経とうか人の本質というのは見えないものなんだなと思いました。

まして「あっちから言ってくれたら承諾する」という意志を出し始めた小和田家の少々の焦りが見苦しすぎてね。

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仙名彩世退団とか愛月ひかる専科とか

2018-10-19 07:00:00 | 宝塚コラム

 もうしょうがないけど、なんで仙名彩世がこんなに早く退団しなくちゃいけないのかな。それこそ専科でもいいような気がします。

綺麗で歌もダンスも上手で演技力もある実力派の娘役を長い間脇にほっぽってきたと思ったらさっさと辞めさせちゃうんだよね。明日海りおには若い嫁が必要だって?次の娘役で4人目になるけどーーーある意味明日海りおってすごいわ。

 

 愛月ひかるも専科行きだそうで、何だかそんな気がしていたんですけど。結果的に生え抜きはトップになれないのが宙組の運命なんでしょうかね。そうはいっても、桜木みなとはまだ実力が不安定だと思うんですけど・・どっかから組替え?

 

 雪組の副組長が千風カレンだそうで・・・こうなっても舞風りんも早花まこも上に上がれないのか。友人は「組長なんかになると死にたくなるからならない方がいいよ」って言ってたけど、あの二人はそのまま専科にでも行くのかな。

 

 今更雪組の演目にケチをつけるわけじゃないですけど、何でわざわざ「壬生義士伝」を?ついこの間「誠の群像」をやったばかりじゃない。しかも石田先生の演出で。何かといえば新選組かあ・・・萎えるわあ。

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日本一運のいい女ー新皇后の肖像 7

2018-10-18 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 週刊ポスト1990年6月22日号

「卑劣な怪文書「それなら僕は結婚しない」皇太子を激怒させた「妃選考の密謀体質」を許してはいけない」

それでは、なぜ、小和田(雅子)さんは(皇太子妃候補)リストから外されたのか。
 前出の宮内庁関係者が、解説する。
小和田さんのハーバード大学時代の学友と称する匿名の人物から、宮内庁関係者以外の第三者宛に“怪文書”が出されていたのです。
 手紙を入手して自ら読んだ侍従によると、内容は、ハーバード大学の学友だった頃、小和田さんには仲のいいボーイフレンドがいたというもので、どういう服装で、どういったところへデートに出掛けていたかなどが、事細かに記述されていたといいます。
 ボーイフレンドがいること自体、大学生にとっては当たり前のことですし、世間一般でいえばなんら取り沙汰されるほどのことでもない。
 しかしそれが、こと妃候補の女性となると事情は一変します。しかも、この文書が、皇族や神道関係者の知るところとなり、ボーイフレンドのいた女性は将来の皇后として適切でないといった“小和田妃”反対の声があがりはじめたんです」
 宮内庁関係者の解説は、さらに続く。
かりに、小和田さんが皇太子妃に決定したとしても、その反対の声は容易に収まりそうもない。そういう判断のもと、小和田さんはリストから外されたんです。
 殿下は、こうした行為が自分と小和田さんの成婚の可能性をおもしろく思わない宮中の一部の人間によって行われたとお思いですし、それが側近たちの一致した見方なんです。ですから、殿下の憤りも大きなものにならざるをえないんです

 国民の中では「私は関係ありません!」で全部終わったと思っている人多数。そんな事より世間ではかっこいい礼宮と可愛い紀子ちゃんに夢中。皇太子なんかどうでもいいや・・・的な雰囲気の中で掲載された記事。

え?終わってなかったの?なあに?それなら僕は結婚しないって・・それならって何よ。別にいいけど結婚しなくてもさ・・と思ったら怪文書が出たから怒ってる?どうしても雅子さんがダメなら誰とも結婚しないって?アホか?

 素行の悪さは折り紙付きだったのに、皇太子はそれを「対抗勢力の陰謀」だと思ったわけですね。すっかり小和田さんちに取り込まれてしまいました。

それでも国民の中では終わった話だった・・・筈なんですよ。

 

 「デビット・カオ」というのがいわゆる元ボーイフレンド。

1993年1月のシカゴ・サンタイムズ誌にデビッド・カオという中国系アメリカ人が小和田雅子について暴露すると言って来たらしい。この件については1993年1月の週刊新潮

特集・キャリアウーマンで皇太子妃で皇室は変わるか」において

皇太子妃に内定した直後、日刊紙『シカゴ・サン・タイムズ』(十一日付)が、とんでもない記事を掲載した。
<雅子さんの元ボーイフレンド、すべてを暴露すると息巻く>
 という見出しで、
元ボーイフレンドのデービッド・カオ氏は小和田さんのトップレス写真を複数持っていて、ゴシップ紙に売り込みたいと友人に語った>
 というのだ。『シカゴ・サン・タイムズ』は発行部数が五十二万部。高級紙ではないが、ゴシップばかりを扱うタブロイド紙でもないという。記事を執筆したビル・ズウェッカー記者が語る。
「ニュースソースの一人から、“面白いことを言う人間がいる”と連絡が入り、デービッド・カオ氏に電話をしてみたんです。カオ氏はボストン在住の三十六歳の経営コンサルタント。彼が言うには、“小和田さんと初めて会ったのは、ボストン近くのケンジントンという町でのパーティーだった。その後、一緒に映画や夕食に行ったりするようになり、愛し合うようになった。小和田さんとはロマンティックな関係だ”と。彼は“やりとりした手紙も持っているし、数年前の夏、一緒に行ったビーチで撮った彼女のトップレス写真も持っている”と言うんです」
 皇太子妃内定の喜びに冷水を浴びせるような報道だが、四日目には事実上、それを取り消すような続報が載せられた。
カオ氏と小和田さんが、最低二回、同じパーティーに同席していたことは確認できています。しかし、手紙や写真をファックスで送ってくれと言っても、イヤだという。そのうち、電話をかけても“現在この電話は使用されておりません”になってしまいました。シカゴの日本領事館を通じて問い合わせた結果、小和田さん本人の談話として“カオ氏のことは知らない”という答えが返ってきましたし、おそらくこの話はカオ氏のインチキか誇大妄想なのではないのでしょうか」(ズウェッカー記者)

 壮大に事実を暴露しておいて「誇大妄想なのではないでしょうか?」と締めくくるところがいかにも日本のマスコミっぽい。これが日本における最後の良心だったのかな。

 シカゴ・サンタイムズに売り込んだ瞬間に何かが起きた・・・という事でしょうか?お金を渡された?でもここで殺害してしまうと大変なことにと思われたか?

しかし、この記事が雅子妃決定直後に出て来た事に意義があったのかと思うのですが。

そういう「心無い噂」「雑音」は気にしない様に・・・って皇太子は誰かに言われたのかしらねーー可哀想にコキュにされて。

 噂の真相1993年3月号

マスコミが書絶対にけない皇太子妃小和田雅子逆転決定に見る「現代の生贄」の検証」

さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと決定的な理由があった。
 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という女性には常に男性の噂がつきまとってきた。
 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。
日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)
 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハーバード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されているというのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ――』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだとしたら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対応が早すぎるし、不自然な点は多い」
 真偽はさておき、この「シカゴ――」紙の記事と同じようなハーバード大学留学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。
 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメリカから送りつけられている。
 宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、というような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方もある。
「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても、小和田サンをはずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっているのは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパイプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」(宮内庁担当記者)
 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフリーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。
 また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしている、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する北米二課のM課長補佐。
「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所ですから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省関係者)
 さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るなど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

 小和田雅子には常に男の影・・・・(笑)そりゃまあ29歳の女性だし、何人の男性と関係があってもいいけどさ。でもつまり男関係をきちんと清算して「いい思い出」にしてこなかったことがお妃候補として危ないと思われていたのは事実なんでしょうね。世はバブル時代、女性が強かった頃だしねーー

 でも問題なのは日本のマスコミがこの事実を知りながら無視していたこと。今と同じ構図がそこにはあります。

 いやはやそれにしても上司と不倫の噂も一人じゃなくて二人。その一人が奥大使でイラクで亡くなった方?真面目に不倫していたのか・・・そうか・・・ベッキーなんか可愛いもんだわーーと。

 2009年6月NYタイムズにデビッド・カオ死亡記事にて一件落着。

ちょっと時計の針を回し過ぎました。戻りますね。

 

 週刊女性1990年8月21日・28日号

「独占スクープ皇太子さまお妃選び難航の中小和田雅子さん電撃再浮上!!最有力候補から3年6月密かに帰国して」

 女性自身1991年1月22日号

もう一度殿下と会ってください!」皇太子妃激動!あの小和田雅子さんに小和田雅子さんが緊急接触」

 秋篠宮家の慶事が終わり、ほとぼりもさめたと思ったんでしょうか?

まさに電撃浮上ですよ・・小和田雅子さんってまだお妃候補だったのーーー?っていうか皇太子、まだ諦めてなかったのーーー?

世の中「紀子ちゃんブーム」ですっかり舞い上がって身に迫る危機にさっぱり気づきませんでした。

 

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日本一運のいい女ー新皇后の肖像 6

2018-10-17 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 メーガン妃は偉いわねー妊娠してもちゃんとご公務なさって。肌の色なんか関係ないわー要は覚悟よね。といいつつ、今回生まれてくるお子様は英王室の中で唯一肌の色が違う子なわけで。(さすがに白人と全く同じというわけではないでしょうし)

親同士は納得した上で結婚しているし自己責任だけどこの子が、兄弟が多ければいいけど一人ぼっちにならない事を祈ります。

それにしても「育児休暇1年」を要求したのに叶えられなかったからって「産後鬱」から適応障害になる日本の次期皇后ってなあに?だよね。

 1989年9月5日号

「皇太子お妃候補小和田雅子さん・25歳に怪文書が。

こんな馬鹿なことがあろうか。皇太子妃の第一候補の小和田雅子の祖父が、あの水俣病の水銀垂れ流しの原因株式会社チッソの、専務社長会長を歴任。しかも、水俣病の原因がチッソ工場排水と確定した37年に常務に就任した。その後41年に水俣病の原因アセトアルデヒトの生産中止するまで専務として、中止や損害賠償について何もせず。……≫(原文ママ)
 8月15日午後、本誌編集部に郵送されてきた“怪文書”はそんな書き出しで始まっていた。
 切手の消印は“名古屋中央”とあり、茶封筒の裏には“松本誠一”とボールペンで書かれていた。
 封筒にはワープロで打たれた19枚が同封されていて、現在、英国留学中の小和田雅子さん(25歳・外務省勤務)の周辺の人たちのことが克明に示されていた。
昭和48年までチッソの会長だった祖父のことを中心に、東大名誉教授、専修大教授、著名な評論家のおじから、雅子さんの父親のこれまでの行動等に細かくふれ、雅子さんが<皇太子妃にふさわしくない理由だ>というものだった。
 また、皇太子さまがファンでもある歌手の柏原芳恵が<小和田雅子の従姉妹>であり、<最近は下着一枚のセミヌードのビデオや週刊誌の写真に登場している>ことも“ふさわしくない”としている。
 雅子さんが最有力のお妃候補といわれて約2年。
 こんな“怪文書”が登場するあたりが“本命”といわれるところなのだろうか――。

 1989年9月28日。イギリスでマスコミに取材され「私は関係ありません」と発言。

 

 1989年10月 なぜかマスコミに満面の笑顔を向ける小和田雅子

 SPA1989年10月25日号

小和田雅子さんの母親が語った「お妃報道に娘は涙したこともあります!」

「皇太子殿下のお妃候補として、最有力とみられていた小和田雅子さん(25)が、「関係ありません」と自ら否定したことで、「お妃問題」は再び白紙状態に―。殿下の“意中の人”とまでいわれた雅子さんだったが、本誌の直撃取材に対し、雅子さんの母、優美子さん(51)も、同感した心中をのぞかせた」

 週刊新潮1989年11月23日号

「妃候補小和田雅子さんの線はこうして消えた」

雅子が皇太子妃になる可能性は全くありません。完全にゼロです

「「雅子が皇太子さまに四、五回お目にかかる機会があったということ。これは事実です。しかし、私が知る限り、小和田家としては、雅子がオックスフォードに留学する直前の昨年七月ごろに、東宮御所に対しては、しかるべき人を介し、皇太子妃ウンヌンはあり得ませんと、ハッキリお伝え申し上げてあるのです。もとより、それは御所から特別の意思表示がおありだったというわけではありません。」

「小和田さんがなぜあのような発言(私は関係ありません)をしなければならなかったかというと礼宮の婚約で興奮した日本のマスコミが「紀子さんの魅力に対抗できるのは雅子さんしかないとすっかり舞い上がってしまったからですよ」

「9月28日、自宅のアパートを出て図書館に向かった雅子さんを追いかけてインタビュー攻勢をかけたのですがその結果が案に相違して「私は外務省の研修生として研修が終わったら帰国し外務省に戻ります」という事実上のお妃拒否宣言。テレビ局としてはそこまでハッキリしや言葉ではなくむしろ、可能性をほのめかす程度の対応を想定していたようなのですがそれがすっかり裏目に出てしまったようなのですよ」

「それでまず起こったのが母親の優美子の心身耗弱。救急車で病院に運ばれて20日間程入院してしまったんです」

 どういうことかというと、皇太子がベルギー訪問をすることで、雅子さんとパリで会うんじゃないかという噂が立ち、マスコミが多数イギリスに押し掛けた。その結果母親の優美子が倒れ、アパートにまで押しかけられてSOSを発信した雅子さんはあのようなことを言ったというわけです。

 祖母の江頭寿々子も「雅子ちゃん、もうはっきり言いなさいよ」と言ったけど、

「本当は当人の口からはっきり言っておけばよかったのかもしれませんが相手が皇室だからそこまでは(話が)あったとは言ってはいけないしなかったとも言えない」ということで悩んでいたんだそうです。

 私はこれらの事から想像しますけど・・・・小和田家としては怪文書が出回るまではその気だったのではないかと。でもいわゆる怪文書に書かれていることは本当のことで、名誉に関わる、あるいは釈明せざるを得ず結果的に「私は関係ありません」になったのかなと思うんですね。でも妃候補である可能性は残したい。ゆえにはっきり「私は関係ありません」といいつつ、10月からはマスコミに笑顔を向けるようになったのではないかと。

さらに紀子妃の誕生が雅子さんに火をつけてしまったというか、この年にやたら雅子さんを持ち上げても意味がないと考えたのか、ほとぼりが冷めるまで妃候補から外れた振りをして、でも本当は「紀子妃なんかより上」と言いたかったのかなと。

 

 

 1989年11月 自分とは全く関係のないマートンカレッジ(皇太子がいたところ)を訪れた小和田雅子

雅子さんとしてはその気がないのは確かだけど、オックスフォードで修士論文を完成させられなかったことで挫折感もあったかもしれないし。回りの態度や目線を感じ、それを一掃するには「皇太子妃におさまる」ことが最も得だと考え始めたのかもしれません。

なんて計算高い女なんだ・・・・と思いますけどね。

 

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皇太子一家映画鑑賞

2018-10-16 07:05:00 | 皇室報道

 ひょえっ!平日だよねーー愛子様?

 15日夜、有楽町で映画「旅猫リポート」を皇太子一家が鑑賞。

 チャリティ試写会で終了後には主演の福士蒼汰らと懇談。

この映画は福士蒼汰が初めて自分主演の映画で泣いたとかいう作品ですよね。

それにしたって愛子内親王・・・夜でも月曜日よ。あ、部活ないしいいのかーー学校で自慢できちゃうね。「福士蒼汰と話したよ」って。みんな羨ましがるだろうなあ。

これぞ皇族特権。

とはいえ、愛子内親王はまた顔つきが変わったんですか?どうせなら制服着てくればいいのに一目でブランド物ってわかっちゃうような服にバッグ。

次世代の公務はこういうものになるのね。

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