夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金生活の私、日常生活で愛用しているタオル、恥ずかしながら発露すれば・・。

2018-02-13 13:24:44 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつには国内旅行であり、
結婚以来、幾たびか旅路を重ねてきた・・。

そして私は平素の日常生活で使うタオルは、
国内旅行で宿泊した観光ホテル、リゾートホテル、旅館などで、
頂いたタオルをこよなく愛用している。

宿泊する際、殆どが浴衣(ゆかた)と袢纏(はんてん)、タオルがセットで置いてあり、
タオルの殆どは観光ホテル、リゾートホテル、旅館などが明記されている極く普通のタオルである。

私は根がケチな為か、一晩でサヨナラをするのは、余りにも・・もったいない、と感じて、
我家に持ち帰ってくる。


そして私は、朝の洗面する時に、顔を拭(ふ)いたりしている。
やがて夕食前に入浴した後、パジャマ姿に着替えた後に、タオルを
首周りに巻きて、使用している。

タオルの色合いは、圧倒的に白色が多いが、ときには黄緑色、ピンクなどもある。

          
         
私たち夫婦の共通趣味のひとつとして、国内旅行の為か、
たとえば北海道だけでも層雲峡、稚内、紋別、網走、知床のウトロ、阿寒湖、帯広、定山渓、札幌、函館等の
周辺の宿泊先名が入ったタオルがある。



昨夜も、私は風呂上りにパジャマを着て、
洗面台のタオル専用引き出しの中から、タオルを一枚取りだして、
首に巻いたりしていた・・。

『XXちゃん・・今宵は紋別だょ・・』
と私は家内に微笑んで言ったりした。

過ぎし2015年2月、私たちはビジネス風のシティホテルに3泊ばかり滞在し、
紋別港から流氷めぐりが出来る『ガリンコ号』に乗船したりしてきた。
こうした旅先のこぼれ話しを、私は家内に、こんなことがあったよねぇ・・と談笑したりした・・。

家内に関しては、日頃からデパートで買い求めた良質のタオルを使用して貰っている。

やはり女性は幾つになっても身だしなみが肝要であるので、
タオルひとつも大切であり、家内は良質のタオルを愛用している。

          

そして、私が観光ホテルなどのタオルから、デパートで調達したタオルに昇格するのは、

我家に知人、友人などのお客様が来宅する場合だけとなっている。

こうした時は、洗面所の横にあるタオル掛けで、私専用の日頃のタオルを素早くはずして、
さりげなくデパートで購入したタオルに変えたりしている。

しかし、平素の場合は、観光ホテルなどの名前の入っているタオルを愛用し、
年金生活の私にふさわしい、と微笑んだりして、早や13年半が過ぎている・・。

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デジタル終活、遅ればせながら私たち夫婦も始めて、やがて私は微苦笑をして・・。

2018-02-12 15:05:57 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、過ぎし日一年半前に、ご近所の私と同世代の男性が、突然に心筋梗塞で亡くなわれて、
私は驚嘆しながら、御通夜に参列してきた。

やがてこの奥様より、主人の遺(の)されたパソコンについて、一切判らなくて困ったわ、
と私は奥様より聞いたりした・・。

何かしらひとり娘さんが遠い高知県に嫁ぎ、この奥様はスマホは娘さんから教えてもらい活用しているが、
パソコンについて、娘さんが再び来宅するまで、放置している、と私は教えられたりした・・。

この後、私は漠然としながら、私自身の未完成の『エンディングノート』に、パソコンに関して、
それぞれID、パスワードについて、一覧表を作成し、家内がそれぞれ開けられるように、教えていくことが必要だ、
と改めて感じ深めたりしてきた。

             

我が家はインターネットに関して、固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
私は据え置き型のパソコンを利用している。

こうした中、私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えなく、
家内だけは、遅ればせながら一昨年の春以来、携帯電話を買い求めて利用している。

私はフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。

             

こうした中、私は殆ど毎日、ブログの投稿文を綴っているが、家内は興味がなく、
好きな趣味事には私が熱心にパソコンに向かっているわ、と思っている程度であり、
もとより投稿文の内容も知らない。

或いはパソコンの『ドキュメント』にあるが、私が収集している日本の近代史の出来事なども、
家内は興味がなく、無知である。

そして『ピクチャ』の写真に関しては、私は定年後の年金生活の中で、
殆ど毎日のように散策しているので、魅せられた情景をデジカメで撮ったりしているが、
私たち夫婦の旅行に行った写真だけは、帰宅後に私が家内に話しかけて、家内は視る程度となっている。

或いは我が家の家計簿に関しては、私たち夫婦は月初めに、
お互いに生計の実態を把握するためにしているが、私はエクセルを活用して5表ばかり作成して、
これだけはお互いに共通認識して、やがて微苦笑したりしている。

このような我が家として、パソンコを利用してきたので、
私が家内から見られてほしくない秘密データ、写真などもない。

                          

ただ私が心配していることは、家内はパソンコのキーボードが苦手であり、
そのうちに覚えるわ・・と早や10数年が過ぎ、
私が予期せぬまさか出来事で死去した時、宛名ソフトを利用して、喪中はがきが作成できるか、
このようなことを思案する時もある。

こうした中で、家内はパソコンを検索する時がある。

たとえば旅行に関して調べたい時、私に要請して、
私が『沖縄』とか『那覇空港』、或いは宿泊したいリゾートホテル名などを入力した後、
家内は幾時間も、あらゆる『沖縄』本島に関して検索し、多彩に調べたりしている。

いずれにしても、私は家内にブログ、写真、家計簿などに関して、
パソコン上で見る方法を、生前遺言のように伝えることが必要だなぁ、と思ったりしてきた。

             

ここ数日、家内が先導して、洋間、居間にある書類など、今や不要と思われる書類を、
私たち夫婦は、遅ればせながら始めている・・。

こうした中で、私が保管しているパソコン関係も、お互いに確認しながら、整理している。

ふたつのパソコンのそれぞれの保証書、インターネットの回線は『NTT東日本の光ファイバー』、ブロバイダーは『ニフティ』、
そしてブログは『goo』、プログランキングは『にほんブログ
村』、『人気ブログランキング』に加入している。

或いは総合情報として『ダイヤモンド』、『プレジデント』、『読売プレミアム』などもあり、
いずれもパスワードが付随しているので、私は初めて家内に懇切丁寧に説明したりしている。

果たして、家内はパソコンのキーボードが苦手であり、入力したこともなく、
ブログなどを綴られている御方にとっては、もとより笑い話となるが、
私は大丈夫かしら、と心配をしたりしている。

昨今、富士通のパソコンなどで、音声の入力もあると知り、私も少し学んで、
家内に伝授しょうかしら、と微苦笑をしたりしている。

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所得税の確定申告、年金生活の我が家、恥ずかしながら納める税金は一万円と判り、やがて微苦笑して・・。

2018-02-11 14:38:10 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金、郵便個人年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。

過ぎし2004年(平成16年)の秋、私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、定年退職となり、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

こうした年金生活の中で、確定申告に関しては、厚生年金、わずかな企業年金以外に
積立型個人年金の分割払い、或いは医療控除があったりし、
毎年の2月には、『所得税の確定申告』を所属地域の税務署に郵送をしたりしてきた・・。

          

私は現役サラリーマン時代は、親会社が都市銀行の金利より優遇されているグループ内拠出貯金を知り、
20年間ばかり給与より差し引かれる貯金をしてきた。

或いは50歳過ぎた頃、家内が郵便局に偶然見かけた『据置定期年金保険』を知り、
確か900万円を定期にすれば、5年過ぎた後、1000万円を10年分割する個人年金に、
私は加入したりした。

やがて私は定年退職後、多々の理由で年金生活を始めた当時は、
幸いに住宅ローンを終えていた。

しかしながら私は1944年(昭和19年)9月生まれであったので、
年金の満額の支給は62歳であり、それまでの2年間は満額のほぼ半分となっていたこともあり、
グループ拠出貯金は我が家の家計に、大いに助かったりした。

そして私が63歳より、『据置定期年金保険』の個人年金を受け始めて、
お得感があったよねぇ、と家内から私は言われたりしてきた。

このように年金生活は、年金収入があっても、家計は平均として毎月7万円前後が赤字となる家庭が多いと学び、
もとより貯蓄で補(おぎな)っていることもあり、働いている時代は貯金が大切だよねぇ、
と何かとグウダラな私でも、感じ深めてきた。


本日、私は遅ればせながら『所得税の確定申告』の確定申告の下書きを始めた・・。

家内が保管している病院の医療費、これに関連した治療の薬代金、
或いはドラッグ・ストアーで買い求めた薬代金などの領収書の封筒を取り出して、
医療控除の基礎資料をエクセルで作成したりした。

               

やがてネットの国税庁のホームページの『確定申告書等作成コーナー』をパソコンで開き、
郵送されてきた厚生年金、企業年金、郵便個人年金の確定申告用の書類を取り出して、
入力を始めたりした。

こうした中で、年に一回の作業なので、忘れてしまったかしら、と不安げにパソコンの画面を見たりしたりした・・。

私は恥ずかしながら『e-Tax』の方法に自信がなく、定年後のここ13年間は、
ネットの国税庁のホームページの『確定申告書等作成コーナー』をパソコンで開き、
源泉徴収票などの書類に基づいて、入力している。

この後『所得税の確定申告書』の用紙の最後のページに添付されている『下書き用』に転記した後、
提出分の本書に清書しているのが、毎年の実態となっている。
         
今回も厚生年金、わずかな企業年金、郵便年金保険の『収入金額等』、そして『所得金額』、
国民健康保険、介護保険、配偶者控除、基礎控除、医療費控除などの『所得から差し引かれる金額』、
或いは『税金の計算』などの算出方法が解からないので、
この国税庁のホームページの『確定申告書等作成コーナー』を頼りにして、項目、計算結果を転記している。

          

やがて、『課税される所得金額』が自動計算され、10、000円と表示された・・。
そして私は、納める税金は一万円、と判り微苦笑したりした・・。

そして私は家内に、入力の間違いがなければ、今年に納める税金・・一万円になったょ、
と苦笑しながら言ったりした。

『良かったわ・・一万円で・・』
と家内は微笑みながら私に言ったりした。

私は家内が安堵した表情を眺めたりした後、複雑な思いとなったりした。

やがて私は小庭のテラスに下り立ち、税金で大半成り立っている日本の予算を思い浮かべたりした・・。
わずか一万円だと・・もとより国家の維持・管理も・・或いは私の好きな国立公園さえも・・と苦笑したりした。

やむなく私は、現役サラリーマン時代は数多くのサラリーマンと同様に、
大半は睡眠時間を削り奮戦して、程ほどの税金を納めてきたから、今や体力も衰えた身に案じて勘弁してねぇ、
と空を見上げながら心の中で呟(つぶや)いたりした。

          

余談であるが、昨年は医療控除分が多くて、納める税金はたった千円と知り、驚いたりしてきた。
その前の年は、私は白内障などの手術を受診した主因で、還付金が3000円となり、
私は複雑な思いで、臨時収入だねぇ、と苦笑した体験を秘めたりしてきた・・。

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『サラリーマン川柳』、サラリーマンを卒業して年金生活をしている私でも、幾たびも哀歓を重ねて・・。

2018-02-10 18:53:36 | ささやかな古稀からの思い

私は東京郊外の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
ときおり『サラ川』と称せられている第一生命が主催されている『サラリーマン川柳』を愛読している。

私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
大学を中退後、映画・文学青年の真似事をして、無念ながら敗退し、
その後はやむなく民間会社に中途入社し、35年ばかり勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職をした。

私は中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に勤め、
幾たびかリストラ烈風の中、最後の5年は出向となったりし、
それなりに時代にも翻弄され波乱万丈があり、苦楽の激しいサラリーマンの時代でもあった。

このようなつたない私の半生であり、
何かと『サラリーマン川柳』が好きで、現役時代から愛読し、励まされたり、人生の哀歓を感じたりし、
『サラ川 傑作選』の本を4冊を所有している。


そして私は『サラ川』は、この人生の日常生活の優れた哲学書のひとつと思い、
限りなく人生の哀歓と確信し、ときおり年金生活の今でも本を開いたりしている。

       
        本棚から特に愛読している2冊を取りだして、たわむれに記念撮影


これまで数多くの優秀作品が公表されてきたが、

たとえば『テーマ別に見るサラ川 優秀作品』の中で、『夫婦・家庭』編を読んだりすると、
恐れ入りました、と絶賛させられる作品にめぐり逢ったりする。

◎ 出張を 見送る妻の 目が笑う
                 詠み人・松本松峰


◎ 株価より 妻の機嫌が 乱高下
                 詠み人・頑張るお父さん


◎ 妻子から 絵文字が並ぶ ボーナス日
                  詠み人・孫悟空


◎ 家族旅行 予算削減 パパ留守番
                  詠み人・弐個


◎ 家族との 会話のつもりが 独り言
                  詠み人・ちょいバテパパ


そして私は、齢ばかり重ねでも、独断と偏見の多いが、
『サラリーマン川柳』の史上に於いて、今でも心に残り、不滅の作品であると感じたのは、二作品がある。

◎ 破れてる ジーパン繕い 怒られた
                  詠み人・優しいばあちゃん

◎ うちのパパ おとなのくせに ママとねる 
                   詠み人・めだかの学校のせんせい


私は小説、随筆を55年ばかり濫読してきた身であるが、
短かな言葉で人生の機敏を的確に表現する川柳の世界に於いて、
このおふたりの圧倒的な感性と文才に、ふるえる程に感銘して、思わず脱帽したりしている。


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私たち夫婦は、二人そろって連日に外出するのは、10何年ぶりかしら、と私たち夫婦は微苦笑して・・。

2018-02-09 16:10:40 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、先ほど私たち夫婦は外出先から帰宅して、
お互いにコーヒーを飲んだりした・・。
そして私は家内に、少し疲れたねぇ・・と微苦笑しながら言ったりした。

『そうよねぇ・・二人そろって連日に外出するのは、10何年ぶりかしら・・』
と家内は微苦笑しながら私に言ったりした。

       

私は民間会社に35年近く奮闘して2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた・・。

定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
         
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。

こうした中、私は家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

或いは昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、

お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。

そして午後の大半は私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、 或いは音楽も聴いたりしている。

こうした中で、家内は専業主婦としての延長戦とし料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

       

そして家内は3週間に一度ぐらい駅前で買物に行く時、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にあるデパートに買物、
私は家内のボディガード、お供そして荷物持ちをしたしている。

こうした中で、国内旅行、御通夜、告別式などを対象外とすれば、
私たち夫婦は、二人そろって連日に外出するのは、殆どなく過ごしてきた。

       

私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、遠方の地に一戸建てに住んでいる。
こうした中で、家内は季節が変わるたびに、独り住まいとなっている家内の母宅に、

季節の変わり目の支度で、6泊7日前後で行き、孤軍奮闘をしているのが定年後からの実態となっている。

そして一昨年より家内が家内の母宅に宿泊数が多くなってきたことは、

私にとっては、まさかの出来事のひとつとなっている。
                        
やがて家内の母が『要介護2』となり、家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなり、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となり、これも人生だよねぇ、と私は独り微苦笑したりしている。

いずれは私たち夫婦は、やむなく片割れとなる時に『おひとりさま』となるので、

特別演習かしら、と思いながら私は過ごしている。

       

このような年金生活をしてきた私たち夫婦は、二人そろって連日に外出するのは、
殆どなく過ごしてきた。

そして本日は昨日に続いて、私たち夫婦が外出した理由は私たち夫婦は、
昨日、最寄り駅の『つつじが丘』の駅ビル内にある旅行代理店を訪れたした。

こうした中で、私たち夫婦が立案した春の旅路の案で、指定したリゾートホテルが満室と知り、
私たちは驚嘆しながら、落胆を深めて帰宅した。

やがて私たち夫婦は、敗者復活戦として、
当初の沖縄の北部地域のモトブにあるリゾートホテルを改めて調べ直したりした。

そして当初の予定近くに魅了されたリゾートホテルがあり、
付近の観光地などを3時間ばかりネットで検索したりした・・。

こうした春の旅路の修正案で、本日、調布駅の駅近くの旅行代理店『JTB調布店』を訪れ、
やがて私たち夫婦の指定したリゾートホテル、そして航空便も予約が取れて、安堵を重ねたりした・・。

       

この後の昼食は、2月5日に初めて訪れた『トリエ京王調布』の中にある
牛たん専門店の『牛たん炭焼利久』に好感してきたので、
今回は私たちの春の旅路の修正案が叶ったことを祝して、注文したりした。

そして定食を一人前、牛たんの三種にぎり、モツ煮、ねぎ塩牛たんなどを
私たちは仲良く分けて、賞味しながら、微笑んだりした・・。

やがて私たち夫婦は、駅前のスーパーで買物をして、帰宅したりした。

そして私たち夫婦は、私たちの春の旅路に関して、ここ2週間に及び思案したり、
落胆したりしてきて、何とか念願が叶ったこともあり、喜びの中に疲れを感じたりしている。


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私たち夫婦の春の旅路の案、はかなくも敗退して、落胆しながら戸惑い、やがて溜息を重ねて・・。

2018-02-08 15:40:42 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつには、国内旅行で、
幾たびも国内を遊学してきた・・。

そして私たち夫婦は、春の旅路はどこに行こうかしら、と漠然としながら思案してきた。

制約があるとすれば、私たち夫婦は年金生活をしている身で、優雅な高級なリゾートホテル、旅館は無理であり、
そして家内は遠くに住む家内の母の介護で、家内の妹とで交代している関係で、
春の旅路の一週間ぐらいの日程を思案すると、4月上旬には何とかできる状態となっている。

        
          

このような状況であり、私たち夫婦は旅先を思案してきたのは、ここ2週間であった。
そして家内は、南の海辺でゆっくり過ごしたいわ、と私に言ったりしてきたので、
やがて沖縄本島の北部地域のモトブにあるリゾートホテルに6泊ばかり滞在して、
いつものように周辺を歩き廻ろう、と私たち夫婦は立案してきた。

こうした中で、家内は血液型A型の為か、
周辺の観光地、人気のない島、或いは住民の方たちが利用される市場など、
或いは私たち夫婦はお互いに自動車の運転免許証もないので、
路線バスのバス停の場所はもとより、時刻表まで、徹底してネットなどで調べたりしてきた。

そして那覇空港から北部地域のモトブにあるリゾートホテルまでの路線バスには、
少なくとも約2時間半以上であり、やんばり急行バスを利用すれば、
途中のパーキング・エリアで約10分ぐらいの休憩があると知り、
高齢者の私は大いに安堵して、微笑んできた・・。

本日、家内の力作のモトブ遊学プランを持参して、
私たち夫婦は最寄駅の駅ビルにある旅行代理店を訪れたりした・・。

そして待機していた御方も数組あり、私たちは付近にある軽食店で昼食した後、
再び旅行代理店に行き、まもなく担当者と応対した。

        

私たち夫婦は、 4月1日から6泊7日の春の旅路の案を、早めに依頼した理由は、
児童の春休みは3月21日から4月6日と思われ、航空便が満席も予測したり、
そして私たちは日本航空の少しゆったりとするクラスJ席に好感してきたので、
何かと早めの申し込みが必要と思われて、本日に旅行代理店を訪れたことであった。

家内が旅行代理店の担当者に、私たち夫婦が立案したプランを提示すると、
まもなく私たちの指定したリゾートホテルは、すべて予約済であり、空きがない、
と私たち夫婦は言われて、驚嘆した・・。

私たちが選定したリゾートホテルは、客室数は49室あり、
そして収容人数は約240名ぐらいの中規模ホテルであり、建物の前は砂浜であり、
もとより部屋からもオーシャン・ビューで瞬時に私たちは好感してきた立地条件であったりした。

私は旅行代理店の担当者の御方に、詳細理由を尋ねると、
何かしらこのリゾートホテルの客室は、オーナー制度であり、
空いた時だけ、一般の御方に貸し出すようなホテル形式、と説明して下さった。

そして私たち夫婦の春の旅路の案、はかなくも敗退して、
やむなく私たち夫婦は落胆しながら旅行代理店を辞した。

        

この後、私は家内と歩きながら、私たちが選んだホテル・・こうしたルールだったら、
わざわざJTBの観光パンフレットに掲載するのは・・おかしいよねぇ、
と私は家内を慰めるように言ったりした。

やがて私たち夫婦は帰宅後、私たちの春の旅路は・・とお互いに戸惑ったりし、
そして私は溜息をしたりしている。

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新たなパソコンの写真管理に、73歳の私は戸惑い、遊ばれ、やがて微苦笑ばかり重ねて・・。

2018-02-07 15:04:49 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えない拙(つたな)い身である。

その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。
          
このように無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。

我が家は、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、家内とたった2人だけの家庭であり、
もとより息子、娘もいなく、モバイル情報の諸情勢も疎(うと)く、
2015年の春に遅ればせながら、
家内専用の携帯電話を買い求め、今日に至っている。

そして私はパソコンを日常の友のひとりとして、愛用している。

こうした中で、私はネットで【ダイヤモンド・オンライン】、【プレジデント・オンライン】などの愛読者ひとりとなり、
多々教示されている。

或いは過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に定年後、多々の理由で年金生活を始め、
まもなくブログの世界を知り、国内旅行とかパソコンの故障がない限り、毎日に一通は投稿し、
丸13年が過ぎ、早や14年生となっている。

私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          
そして私は愛読しているブログの数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたり、
コメントを頂戴したり、返信をしたりしている。
或いは数多くの御方の投稿文を読ませて頂く中で、ときおりコメントをしたりしている。

こうして私はブログに関しては、ほぼ毎日3時間前後は要して、過ごしている。

            
        ☆左側が主力機の愛用していた『ウィンドウズ7(セブン)』、そして右側は予備機『ウィンドウズ10』


過ぎし1月5日の朝、愛機となっている主力機の『ウィンドウズ7』は、
結果としてハードディスクの故障は2回目であったりした。

そして『ウィンドウズ7』は、マイクロソフトの延長サポート期限は2020年1月まで、
と公表されていたので、

やむなく据え置き型のパソコン『ウィンドウズ10』を買い求めたりしてきた。

この間、2年近く放置していた補助機のノートパソコンの『ウィンドウズ10』で、
覚束ないながらブログの投稿文を数時間擁して、何とか送信した。
       

            

そして私は1980年前半にパソコンを買い求めて、確か6台目となり、
私は73歳であるので、私の人生で最後のパソコンになるかしら、と思いながら、
少し背伸びして選定したのが、本音である。
http://www.fmworld.net/fmv/fh/#from=mart_tag
☆富士通公式HP==>『FH90』☆


           


やがて私は、そして1月12日に新たなパソコン『ウィンドウズ10』に私は向かい、
二年近く放置してきた『ウィンドウズ10』も殆ど忘れて、
若葉マークと称せれる初心者となり、遅ればせながら学び始めているのが実態であり、
マニアル本を読みながら、知らないことが多すぎるょ、と困惑しながら苦笑したりしてきた・・。

こうした中で、私が年金生活13年半の中、デジカメで撮った少なくとも約2万枚の写真であり、約100GBとなり、
外付けハードディスクより本体のパソコンにコピーした時は、約8時間要したことがあったりした。

そして新たなパソコンの『ウィンドウズ10』に於いて、写真管理として『フォト』機能がある中、
『コレクション』、『アルバム』、『人物』などがあり、私は判らないまま『人物』をクリックしたら、
今までのあらゆる人物が映っている写真、そして数多くの方たちと記念写真を撮った時の写真が、
独りづづ映し出された、約1000枚ぐらいが表示されて、どうしてなのょ・・と私は驚いたりした・・。

やがて『削除』機能も知り、何とか削除をしたりしてきた。
          


          

そしてたまたま私は『ウィンドウズ10』で、富士通のパソコンを選定したが、
富士通には、『My Cloud
』と称せられた写真などの総合管理があり、
私は理解しないまま導入した。

私はここ10年、『ウィンドウズ7』はソニーのディスクトップ型を愛用して、
写真管理は付随していたソニーの『Play Memories』を愛用してきたので、
今回の新たなパソコンでも転用している。

こうした結果として、写真管理でもマイクロソフトの『フォト』、富士通の『My Cloud』、
そしてソニーの『Play Memories』の三本立てとなり、
パソコンの技量に乏しい私は、戸惑いながら遊ばれたり、困苦したりしてきた。

何かしらここ数週間、私として疲れを増して、どうしてなのかしら、
とぼんやりと思い馳せると、写真管理は三刀流だったことに、遅ればせながら気づき、
独り微苦笑を重ねたりしている。

いずれにしても私は、写真で多彩に応用できる写真管理システムの三系統は無理であり、
ひとつの写真管理にしょうと、微苦笑をしたりしている。

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私たち夫婦の今年初めての新年会、私のもくろみは大幅に変貌しても、微笑みを重ねて・・。

2018-02-06 14:59:44 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、自動車もない稀(まれ)な家となっている。

昨日の昼下がり、私たち夫婦は路線バスに乗車して、予定通り京王線の調布駅前に降り立った・・。

そして新しく出店した家電量販店の『ビックカメラ』で、
家内は布団乾燥機に関して、そしてここ数日、ネットで調べて後、或る家電メーカーの機種に好感していたが、
現品を見たが、ほかの家電メーカーの機種に魅せられた買い求めたりした。

こうした中、何かしら会員になればポイントが付くと、販売員から私たち夫婦は言われて、
私は年金生活している中で、ポイントという言葉に何かと弱く、入会してしまった。
そして家電量販店に関しては、『ヤマダ電機』に続いて、2枚目のカードになってしまった、
と微苦笑したりした。

          

この後、早めの夕食をしょう、と昨年の9月下旬に開業した大型ショッピングモール「トリエ京王調布」で、
何かしら5階が、食事処のフロアーであったので、私たち夫婦は向かった。

まもなく多彩な食事処のある中は、家内は数分歩いた中で、牛たん専門店の『牛たん炭焼利久』の前で止まり、
『どうかしら・・?
』と私に尋ねたりした。

『結構ですねぇ・・入りましょう』
と私は微笑みながら家内に応(こた)えたりした。

こうした私たちの根底には、私自身50代の頃、私は深夜に帰宅したりすると、
夜食代わりに、週一度ぐらい家内が焼いてくれた牛たんを食べながら、日本酒の辛口を呑んだりしてきた。

やがて家内も牛たんも好みのひとつとなり、新宿で買物した帰路、
私たち夫婦は食事処は、牛たん専門店も幾たびか食味してきた。

そして昨年の10月中旬、私たち夫婦は21年ぶりに作並温泉の観光ホテルに3泊4日滞在した帰路、
仙台で本場の牛たんを昼食として食べよう、と当初は予定していた。

そして仙台の駅ビルの中にある『牛たん通り』を歩いたりしたが、
家内は宿泊した観光ホテルの朝食を頂いた為、お腹がすいていないわ、と私は言われて、
やむなく私は駅弁を買い求めて、食べたりした体験があったりした。

こうしたこともあり、私たち夫婦は敗者復活戦と思いながら、
『利久』だったら牛たん専門店の優だ、と思いながら入店した理由であった。

まもなく私たちは、メニューで『牛たん定食』に於いて、3枚から5枚分を選定することができ、
私たちはお互いに4枚分を指定した。
そして麦ご飯は私は普通、家内は少量とし、瓶ビールを注文したりした。

やがて仲居さんよりテーブルに運ばれたが、私が想像した以上にボリームがあった・・。

そして焼きあがった牛たんに青唐辛子の南蛮味噌を少し付ければ、ジューシーな旨みに奥行きも深まり、
或いは長ネギの入った
牛テールスープを飲めば相状も高まり、
東京の田舎者の私でも、名店の優れた牛たん料理のひとつが味合うことができた。


こうした中、家内から牛たんを半分ほど頂き、ビールも呑んだりした・・。

ここまでは今年初めての私たち夫婦の新年会の序曲としては、私の思いとしては順調であったが、
『せっかく調布まで来ましたので、JTBに寄って行きませんか?』
と私は家内から言われたりした。

          

ここ一週間、私たち夫婦は春の旅路として、漠然としながらも思案してきた。
しかしながら家内は家内の母の介護で、家内の妹と交代でしているので、
こうした合間で私たち夫婦の共通趣味の国内旅行を行こう、と思ったりしてきた。

そして私は新年会の真似事は、家でもできるし、早めに私たち夫婦の春の旅路を具現化することが肝要であり、
『そうだよねぇ・・行きましょう』
と私は家内に微笑みながら応(こた)えたりした。

やがて私たち夫婦は、旅行代理店のJTB調布店に寄り、
私たち夫婦は多彩なパンフレットを頂き、やがて私たち夫婦が帰宅したのは夕暮れの5時であった。

そして私たちは午後3時過ぎに、麦ご飯を食べていたので、お腹は満たされて我が家の夕食は、
休止とした。

やがて7時半過ぎ、私は『牛たん炭焼利久』で買い求めた青唐辛子の南蛮味噌を友として、
ウィスキーの濃い水割りを呑みながら、こうした日もあるよなぁ、と微笑んだりした。

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遅ればせながら私たち夫婦は、今年初めての新年会になるかしら、と私は微笑みを重ねて・・。

2018-02-05 12:11:19 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、自動車もない稀(まれ)な家となっている。

私が年金生活の当初から、我が家の平素の買物は、
私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

このような午前中の過ごし方を定例事項のように過ごしてきた・・。

例外として、家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、定年後の13年半を過ごしてきた。

            


こうした中で、昨日の昼下がり、家内は、
『調布駅前で布団乾燥機を買い求めた後、新しくできた食事処で夕食をしませんか?

と私は言われたりした・・。

『行きましょう・・』
と私は微笑みながら家内に言ったりした。

我が家の今年の耐久品としては、家内の要望として、布団乾燥機などとなっている。
これまでは2階の陽当りの良い洋室で、敷布団、掛布団などを干してきたが、
家内は今年の誕生日を迎えると69歳となり、負担を感じることが多くなっているのが実態である。

私は5年前の頃から、布団乾燥機を買い求めて、なるべく楽にした方が良いょ、
と進言してきて、やっと家内は受け入れることとなった。

そしてここ数日、家内は布団乾燥機に関して、ネットで調べて後、或る家電メーカーの機種に好感し、
京王線の調布駅の駅前にある家電量販店で買い求めることにした。

そして調布駅の付近に昨年の9月下旬に大型ショッピングモール「トリエ京王調布」がオープンしたが、
私たち夫婦は訪れたことはなかった。

            

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
そして小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となっている。

或いは私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
根がケチの為か路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりしている。
              
我が家より調布駅の駅前に行くには、路線バスで15分ぐらい乗車すれば到着するが、
用事がない限り、あまり行くことがなかった。

こうした中、今年はいつものように年末年始は、遠い地に住む家内の母と共に、
年末年始を我が家で共に過ごした後、私の母の命日の集いで私の妹ふたりと共にお墓参り、
そして食事会をしたりした。

こうしたことは毎年の恒例であるが、家内の妹夫婦の長男の結婚式、披露宴も私たち夫婦は参列してきた。

この間に家内は、遠方の地に一人住まいしている家内の母宅に、家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に宿泊して、『要介護2』の家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となり、これも人生だよねぇ、と私は独り微苦笑したりしている。


       

このような関係で、私たち夫婦は、久々に買物に行くこととなった。

そして今回、買物をした後、食事処を思案し、昨年の9月下旬に大型ショッピングモール「トリエ京王調布」でも、
確か多くの食事処があったよなぁ、と思い浮かべて私は、こっそりと「トリエ京王調布」のホームページを開いたりした・・。
http://trie-keiochofu.jp/shop/ex/gourmet/gourmet.jsp

これだけ多彩な食事処があり、家内が食べたい処で入店すれば良い、と私は微笑んだりした。

そして私たち夫婦は新年会もせずに今日を迎えているので、
ささやかにワインかビールを呑みながら、新年会の真似事をするのも良い機会だ、
と私は微笑みを重ねたりしている。

そして家内は外出着に少し迷いながら選択しているが、私も少しだけ齢相応の
外出着で、
男の癖におしゃべりな私は、家内と談笑しながら、昼下がりに出かけることとなっている。

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節分の日、鬼もいない我が家は、節分の行事も消滅して、やがて過ぎし年を思い馳せれば・・。

2018-02-03 14:02:08 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
年金生活を始めた当初より、我が家の平素の買物は家内から依頼された品を求めて、
殆ど毎日のようにスーパー、専門店に行っている買物メール老ボーイとなっている。

今朝、朝食後に家内は、いつものように新聞に添付されているスーパーのチラシを見た後、
赤のサインペンで丸印を付けたりした・・。

やがて私は手渡されて、赤丸が付いたのが本日の買物の対象品であり、
そして私が店内で魅せられた品を追加するのが、我が家の鉄則となっている。

私はチラシを受け取ると、節分に関しての特集に於いて、
「福 節分豆」はもとより、「福 恵方巻」が五種類ぐらい、「福 いわし」、「福 節分そば」などもあり、
或いは「鬼ごし」の日本酒の銘柄も掲載されていたが、赤丸が付いたのがなかった。

過ぎし2004年(平成16年)の秋に私は定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、
私たち夫婦は子供に恵まれずたった二人だけの家庭であるが、
『節分の日』は、家内は『恵方巻』を食べたりし、そして私たちは豆まきを省略しても『福豆』を食べたりしてきた。

『XX
ちゃんさぁ・・恵方巻、福豆もいらないの・・』
と私は苦笑しながら家内に言ったりした。

『縁起物でも、今年はいらないわ・・』
と家内は微苦笑しながら私に言ったりした。
          

私は年金生活の今でも、家内が専業主婦の延長戦として料理、洗濯、掃除などの家事をしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしたりしている。

そして年金生活を重ねると、何かと私は家内に従順さを増してきたので、
我が家は鬼もいないなぁ、と微苦笑したりしてきた。

こうした中、私は年金生活をしていると、齢を重ねるたびに人出の多い神社・お寺で『豆まき』で人の多い所は苦手となり、
自宅で豆まきをする元気もなく、『節分の日』には、日中のひととき、スーパーで『福豆』を買い求めた福豆を、
夕暮れの時に、家内と煎茶を飲みながら食べたりして過ごしてきた。
          

私は幼年期の頃は、いじけて可愛いげのない児であったが、『節分の日』には、ささやかな想いを秘めている・・。

私は1944年(昭和19年)の秋、今住んでいる近くに生家があり、農家の三男坊として生を受け、
祖父と父が健在だった頃までは、農家をして、戦前に小作人さんだった御方たちのご厚意で助力を得たりし、
程々の広さの田畑を耕し、雑木林、竹林などがある旧家であった。

そして長兄、次兄の次に私は生まれたのであるが、
何かしら祖父と父などは、三番目の児は女の子を期待していたらしく、幼年の私でも感じたりしていた。
もとより農家は、跡継ぎとなる長兄、この当時は幼児は病死することもあるが、
万一の場合は次兄もいるので、私は勝手に期待されない児として、いじけたりすることがあった。

そして私の後にやがて妹がふたり生まれ、 祖父、父が初めての女の子に溺愛したしぐさを私は見たりすると、
私はますますいじけて、卑屈で可愛げのない言動をとることが多かった・・。

父からは、こうした私に対しては、ふたりの兄と同様に、激しく叱咤されたりした。

祖父は幼児の私を不憫と思ったのが、私を可愛がってくれた数々を私は鮮明に記憶している。
そして、私の生を受けた時、自身の名前の一部を私の名前に命名した、
と後年に父の妹の叔母から、教えられたりした。
          

こうした中で、私が少学校に入学する1951年(昭和26年)の春の前、
『節分の日』の情景は、私なりに鮮烈に心の片隅に今でも残っている・・。


この当時、『節分の日』には最寄の神社の高台で、豆まきをしていた。
神社の鳥居に入ると、が聳えるようになり、小高い丘が聳えるようになり、
陵山(みささぎやま)といわれる小高い丘となり、高い所には老樹に囲まれた神社がある。

                                     

そして左辺には、それぞれの旧家が奉納した大稲荷神社があり、
          

神社といっても、歴史ばかりは由緒ある処であるが、村の住民で維持管理されている程ほどの大きさの神社で、
この時節も殆ど人影のないところであった。

そして、『節分の日』になると、それぞれの家長が一升枡の中で半紙敷いて、
自宅にある大豆を軽く炒った豆を3割方ぐらい入れ、
夕暮れになると、神社の高台に赴(おもむ)きで、大声で、
『ふくわう~ち!!・・おにはそ~と!!・・』
と叫んでいた。

私の生家から、少なくとも300メートルは離れていたが、家の中で居ても充分に聴こえたのである。
『お父さん・・あの声・・XXさんの小父さんだね・・』
と私は父に確認したりした。

『だけど・・あの小父さん・・去年より・・豆まきをはじめる時間・・少し早いね・・』
と私は得意げで父に言ったりしていた。

生家でも、祖父が神社に行き、豆まきをして帰宅する頃は、戸締りが終わっていた。
          

やがて夜の7時ごろには、戸をすべて開け放ち、
『福はう~ち! 鬼はそ~と!』
と父は平素より遥かに大きい声で、外に向かって言ったりしていた。

そして、戸をすべて閉め終わった後、私は次兄と妹たちとで、
各部屋の畳の上、縁側の廊下にまかれた豆を拾い集めたりしていた。

そして、五合枡に入れた豆を、
『齢の数だけ・・食べてもいいわよ・・』
と父の妹の叔母が私たち兄妹に言った。

私は、6つだけかょ、と言いながら、
次兄の手には、もとより私より多くあったので、
私はおまけと言いながら、こっそりと三つばかり余計にとった。

そして私は、自分だけ取ったのが何かしら恥ずかしかったので、
2人の妹にそれぞれ1粒づつ手にのせたりたりした。

このような祖父、父たちに囲まれて、楽しげなひとときであったが、
私が小学2年の3学期の終る早春に父は病死され、そして1年後には祖父に死去され、
大黒柱となるふたりが亡くなったので、生家は没落をしはじめた・・。
          

その後、私が現役のサラリーマン時代だった頃もささやかな想いを秘めている・・。

私はある民間会社の中小業に勤め、サラリーマンで数多く人と同様に多忙な身であり、
特に40歳前後は、情報畑に在籍し、システム開発と運営業務が重なり、
睡眠時間を削りながら、奮闘していた時であった。

この『節分の日』には帰宅できたのは、夜の11時30分過ぎだった。
そして、今日は終電の少し前で良かったよ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

やがて私は疲れた表情で冬コート、スーツを脱いで、ネクタイをはずし、
ワイシャツ姿で、いつものように洗面所で顔を洗ったりした。
この後、私はパジャマに着替えて、冬のガウンをはおると、深夜の12時近かった。

家内が、『深夜ですので、年の数だけ豆を、頂きましょうね』と言ったりした。

私ももっともだ、と思ったが、仕事で遅くなったんだから、と素直に何かしら納得出来なかった。

『今からでも、遅くないよ・・』
と私は言って、私は雨戸を開けた。

『福はう~ち! 鬼はそ~と!』
と私は大きな声で、小庭に向って連呼した。

周りの一軒が台所の窓が開き、
そして、まもなくもう一軒のお宅では、ベランダの前のガラス戸が開いた。

XXさんの所、今頃何をやっているんだ、
いうようなしぐさが、私なりにぼんやりと解かった。

しかし、良きことの行事に対しては、ご近所の皆様からは、幸いにクレームがなかったと、
私は後日に、家内から聴いたりした。
          

このようなささやかな『豆まき』の想いでを私は秘めている。

そして叶わぬ夢であるが、もしも息子か娘がいて、そして孫がいたら、
私は『節分の日』には、積極果敢に孫を引き連れて、『福はう~ち! 鬼はそ~と!』
と盛大に豆まきをするだろう、と夢想を重ねたりしした。

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年金生活の私、『気は長く、心は丸く、腹立てず』に瞬時に共感させられ、微笑みを重ねて・・。

2018-02-02 13:35:51 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

今朝、小雪降る中、私は最寄りの内科専門医院に向かったが、
昨夜11時頃から雪が舞い降り始めたが、朝方に積雪は数センチであったので、
過ぎし23日には、4年ぶりの20センチぐらいの積雪を思い馳せると、
体力の衰えた私は、雪かきもしなくて、助かるょ、と私は微笑みながら歩いたりした・・。

私は過ぎ去りし年の2010年(平成22年)の秋の健康診断で、糖尿病と明示されて以来、

食事の内容はもとより、ひたすら歩き廻ったりして、やがて半年後に大幅に改善されている。

これ以来、最寄の内科専門医院に4週間毎に通院して、定期検査日、
その後の4週間過ぎた時に検査結果を
受けているが、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外は、ほぼ優等生となって、改善努力の成果となっている。

こうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。

                  

本日は8週間ぶりの定期検査日を内科専門医院で受診した後、
隣接した薬局に行き、薬剤師の御方が私の調剤をして下さる間、
私は待合室の壁面に掲載された『頭痛克服のための生活習慣改善ポイント』を、
ぼんやりと見ていた。

私は何かと単細胞で鈍感の為か、頭痛に関しては無縁であるが、
この下に明記されていることを読み、瞬時に共感させられて、そうですよねぇ・・と微笑んだりした。

ストレス・過労を避ける
       『がんばらないように、がんばる』
       『いい加減』にする
        物事をアバウトに考える
気心 気は長く、心は丸く、腹立てず

このように明記されていたので、薬品メーカーの御方が創案されたと思いながら、
年金生活をされる御方には名言かしら、
と私は思いながら、持参しているメモ帖に転記したりした。


私は民間会社の中小業に35年近く勤めて2004年〈平成16〉年の秋に定年退職となり、
最後の5年半はリストラ烈風の中、あえなく出向となり、やがて出向先で定年時となった。

こうした中、何かと無理難題なども幾たびも体験し、悪戦苦闘も多かった半生だったので、
定年後は年金生活を始めたひとりである。

やがて年金生活をすると、予測した以上に安楽な日々を過ごせて、
私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑する時もある。

私は何かと定年前の悪戦苦闘も多かった半生を思い浮かべれば、
世の中の出来事には、程んど微苦笑して過ごしてきた。

        

私は定年退職後に年金生活を始めた当初、自主的に買物専任者として宣言し、
平素の日々の買物は、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

そして私は午前中のひととき、家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後を歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたり、
ときには本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。

こうした中、最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、
季節のうつろう情景を眺めたり、歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、
原則として路線バスに頼らず、ひたすら歩いて往還したりしている。

そして帰宅後も私は独りで外出して、自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、
季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

        

ときおり家内と駅前に近いスーパー、ドラッグストアー、ホームセンターなどを買物をして、
私たち夫婦は、お互いに両手に買い求めた品のレジ袋を提げたりしている。

やむなく路線バスを利用と思いながら、50メートル先にバス停が見え、バスが待機していた・・。
こうした状況を見た家内は、急いで走るように歩き始めると、
『XXちゃんさぁ・・もう時間との勝負は終わったんだから・・』
と私は家内に言いながら、制止させたりした。

そしてバスは発車して、私たち夫婦は乗車できなかったが、
やがて10分後のバスに乗車したりした。

もとより現役サラリーマン時代は、業務をできる限り短時間で完了させる職責であったが、
年金生活の中、私たち夫婦のマイペースでのんびりと過ごせるので、
このような意味合いの言葉・・もう時間との勝負は終わったんだから・・と私は口癖となってきた。

このように私は、定年退職するまでは、多くのサラリーマンと同様に睡眠時間を削り、奮闘してきたが、
年金生活は、程々にのんびりと過ごしているのが実態となっている。

今回、『気は長く、心は丸く、腹立てず』を私は学び、
瞬時に共感させられて、そうですよねぇ・・と微笑みを重ねたりした。


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年金生活の我が家でも、ささやかなプレゼントを頂き、思わず私は微笑んで・・。

2018-02-01 15:52:16 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

過ぎし2004年(平成16年)の秋に、私は定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めた・・。

こうした中、私たち夫婦は、いつの日にかボケたことを危惧して、
銀行、郵便局などの金融機関をできる限り集約してきた。

そしてクレジットカードも、NICOS(ニコス)だけとしてきた。
この他は、あるデパート、ある最寄りのスーパー、駅前のスーパー、
或いはドラック・ストアーの専用カードを所有して、買物をしている。

そして家電の量販店の『ヤマダ電機』、カステラ、和菓子などの『文明堂』、
この他にはJRの東日本の『大人の休日倶楽部』を2年前に加入して、カードを活用している。

このように年金生活している夫婦としても、我が家はカード利用が少ない、
と私は思いながら、ときおり微苦笑している。

こうした中で、昨今隆盛している『通販』で、クレジットカードの利用は、
小心者の私は一切利用していない。
  
          
        
私はデパートなどで、一万円以上を買物する場合は、NICOS(ニコス)のカードを利用している。

しかしながら私は根がケチな性格なのかしら、食事処、呑み屋などは、
レジで現金で払っている。

例えば友人、知人など談笑しながら食べたり、呑んだり、
或いはひとりで居酒屋でぼんやりと呑んだ後でも、
これだけ支払ったが楽しかった、と素直に思えるからである。

クレジットカードだと、後で請求が着た時は、あの時あんなに食べたり呑んだかしら、
と振り返っても余韻も余情もないからである。

          
過ぎし2週間前、NICOS(ニコス)より、
月例の『クレジットカードご利用代金請求書(兼利用明細書)』が郵送されてきた。

この後、私たち夫婦は利用してきた内容を確認した後、少し多忙となってきたので、
昨日まで放置してきた。

そして昨日、私たち夫婦は1月度の家計簿を締めた後、
家内はNICOS(ニコス)の『クレジットカードご利用代金請求書(兼利用明細書)』を見て、
ポイントが溜まっているわ・・、と私に言ったりした。

何かしら『わいわいプレゼント』があり、ポイント残高763と表示され、
以前も程々のポイント残高で、私は高級なワインを3本選定して、幾たびか頂いた体験を思い出して、
何かプレゼント商品を選定しょう、と私は家内に言ったりした。

しかしながら昨年のデパートで買物した金額は少なく、わずかなボイントであったが、
ネットで公開している各プレゼント品を私たち夫婦は、見たりした中で、
『ハンドタオル』、『フェイスタオル』を選定した。

こうした今回、ささやかなプレゼントを頂くこととなり、私は思わず私は微笑んだりした・・。

          

余談であるが、平素の我が家の買物は、家内から依頼された品を求めて、
買物メール老ボーイと私はなっている。

こうした中で、たまたま最寄駅にある『文明堂』で買い求めた後、
『お客さま・・ポイントが溜まっていますので、こちらのカステラでいかがでしょうか・・』
と若き女性の販売員から私は言われて、サービスで程々のカステラを頂き、微笑んだりした。

こうした体験もあり、私はスーパー、ドラック・ストアーなどで買物すると、
レシートに現在(までの)ポイントXXXX、と表示され、近日中にこのポイント分だけ、
無料でこの店で買物ができるよなぁ・・と年金生活のためか微笑むことが多くなる習性となっている。


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