♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

〔番外〕鯉養殖場

2014年02月13日 10時02分03秒 | 何処へ行っても
島根県邑南町口羽の街をぶらり散歩している時、
民家の前の池で(黒い普通の)鯉を数匹飼っている処を見たので、清流から引いた水で、鯉を養殖しているのかなと思ったのです。
宗林寺から新しく出来た浜田作木線を歩きながらJR口羽駅に向かっている時にみたのが、ここで取り上げた鯉の養殖場でした。

(口羽でみた)鯉養殖場

「(島根県邑智郡)邑南町」編

2月13日(安芸区のわが家付近)天候 :くもり

コメント

〔番外〕口羽小学校跡・碑

2014年02月12日 09時42分30秒 | 何処へ行っても
島根県邑南町の口羽の街をぶらり散歩しながら宗林寺を訪ねました。
境内で「開校百年記念 口羽小学校跡地」と刻まれてありました。
口羽小学校は、明治8年5月開校。
昭和34年(宮尾山八幡宮下の地に)移転。
平成8年4月1日(現在地・邑智郡邑南町下口羽5501-1元・口羽中学跡)移転。
ということを口羽小学校に電話で尋ね教えていただきました。

口羽小学校関連碑

「(島根県邑智郡)邑南町」編

2月12日(安芸区のわが家付近)天候 :晴れ

コメント

〔番外〕口羽通良の墓

2014年02月11日 08時59分43秒 | 何処へ行っても
口羽通良(くちば みちよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の家臣。
志道(志路)元良の次男。石見国邑智郡口羽を本拠に定め、琵琶甲城を居城として、在名を取り口羽を名字としました。

口羽家の墓所

「(島根県邑智郡)邑南町」編

2月11日(安芸区のわが家の溜水に氷はる)天候 :晴れ

コメント

〔番外〕(大雄山)宗林寺

2014年02月10日 09時34分19秒 | 何処へ行っても
島根県に位置する宗林寺ですが、
広島県観光ナビに毛利元就ゆかりの地として、この宗林寺の記述もあり、紹介しています。
『琵琶甲城は、毛利元就四奉行の一人口羽通良の居城で矢羽城ともいいます。・・・・
城の麓に宮尾山八幡宮、祈願寺として真言宗延命寺、城主の菩提寺臨済宗宗林寺を配し、中世城地の模式的な構えが現存しているのは、島根県下でも珍しいと思われます。』とここ宗林寺が口羽家の菩提寺であったと紹介しています。

(大雄山)宗林寺

広島県以外の神社寺院一覧

2月10日(安芸区のわが家付近)天候 :くもり

コメント

おさんいなりずし

2014年02月09日 09時46分18秒 | 雑関連
昔、江波山附近に「おさん」という名の狐が住んでいて、夜ごと通りすがりの人たちに美女や役者になり、だまして喜んでいました。・・・』という民話がいまに伝わり、
中区江波地区に“おさんぎつね像”が建立されています。
その像の傍の惣菜屋さんが「おさんいなりずし」と名付けた“いなりずし”を売っています。
「民話おさんぎつね」とともに「おさんいなりずし」ももっと知られてもいいのではと思い、頁を編集しました。

おさんいなりずし

広島ぶらり散歩「食べ物」編

2月9日(安芸区のわが家付近残雪あり、溜め水に氷はる)天候 :晴れ

コメント (4)

広島電鉄1000形(PICCOLA)

2014年02月08日 13時41分32秒 | 乗り物関連
中区江波二本松にリニュアル開館している「シュモー会館」を見学するために広電電車でやってきて、見学して、わが家に帰るためにJR横川駅に行こうと、
江波電停で電車を待っている時に入って来たのがここで取り上げた1002号(ピッコラ)だったので、慌ててデジカメを出して撮影したのです。

このラッピング電車は、1月20日からバレンタインバージョンとして大きなハートや天使たち などのバレンタインのラッピングを施した1000形1002号でした。
1000形1001号ピッコロは2013年撮影していましたので。これで、1号、2号と撮影出来ました。

広島電鉄1001形PICCOLA

広島ぶらり散歩「乗り物」編
コメント

積雪5cm以上・・・

2014年02月08日 09時15分47秒 | 旧瀬野川町附近
昨日から雪になったわが家付近、午前9時のいまも雪が降っています。
サラサラ雪ではなく湿り気の多い雪です。
天気予報では、中区の積雪2cmと云っていましたが、山野辺のわが家は5cmは積もっています。
夕方にはあがるようなことを云っていました。
雪止めのないわが家の屋根からは時々雪が滑り落ちています。

2月8日(安芸区のわが家付近)天候 :雪


わが家附近の(過去の)雪景色
コメント

〔番外〕(宮尾山八幡宮境内の)あづまひがん

2014年02月07日 09時35分52秒 | 何処へ行っても
島根県邑南町の宮尾山八幡宮境内で、説明板らしきものを見たので神社由来板かなと思い近づきました。
読むと、旧羽須美町教育委員会が設置した、羽須美村の天然記念物に指定しているあづまひがん(サクラ)の説明板でした。
帰宅後邑南町のweb siteをみると、邑南町の天然記念物という事で継承されていました。
撮影した時は、秋も深まりつつあったので落葉しており、ぱっとした画像ではありませんが、頁を編集しました。

(宮尾山八幡宮)あづまひがん

「(島根県邑智郡)邑南町」編

2月7日(安芸区のわが家付近)天候 :くもり→(昼ごろから)雪


コメント

〔番外〕宮尾山八幡宮

2014年02月06日 09時06分22秒 | 何処へ行っても
島根県邑南町の浜田作木線旧道から少し入った処に位置しているこの宮尾山八幡宮、場所が分からず、尋ねる人がいないかとチトうろついている時、ご近所の方がおられましたので、八幡宮に参拝に行きたいのですが場所が分からないのですと云うと、近くまで案内しましょうと、わざわざ石段の下の鳥居が見える処まで案内してもらいました。
この八幡宮に石段を上った処で、随身門がありその中に(俗に)右大臣・左大臣と称される二神が祀られていましたので、口羽村と称されていた時代から格式高い神社だったのだろうと(わたしは)感じました。

宮尾山八幡宮

広島県以外の神社寺院一覧

2月6日(安芸区のわが家溜水に氷はる)天候 :くもり

コメント (2)

〔番外〕(北龍山)西念寺

2014年02月05日 08時32分47秒 | 何処へ行っても
島根県邑南町の延命寺をたずね、宮尾山八幡宮に行ってみようと思って旧・浜田作木線道路沿いを口羽中心部をみながらぶらり散歩している時に見たのがこのお寺の屋根でしたので、立ち寄ってみたのです。

境内で、「念仏の声を世界に子や孫に」の碑をみましたので、
浄土宗か浄土真宗のお寺かなと思いながら台座の説明板を読んで、浄土真宗のお寺ということがわかりました。
「最勝講」というものをわたしは、はじめて知りましたので、取り上げようとこのお寺の縁起などの詳しいことはわかりませんが、頁を編集しました。

(北龍山)西念寺

広島県以外の神社寺院一覧

2月5日(安芸区のわが家溜水に氷はる)天候 :くもり

コメント (2)

〔番外〕(元・きねづかセンター)丸型ポスト

2014年02月04日 12時42分35秒 | 何処へ行っても
島根県邑南町の水害碑をみた後、建物館名がわかればと思っている時、
このポストをみました、廃止になった電話線と思しき電線が巻き付けられていました。
玄関周りには館名に繋がるものがわからないままでした。
水害碑関連の頁を編集する時、邑南町羽須美支所に電話して、この建物が何であったかを尋ね、元・きねづかセンターという建物で、郷土資料館のような機能をもった建物だったと聞いて、この丸型ポストが設置されていたのだと思いました。

(元・きねづかセンター)丸型ポスト

広島で丸型ポストをみた時は撮影していましたので、県外ですが撮影しました。
広島の丸型ポスト

2月4日(安芸区のわが家付近)天候 :くもり

コメント (2)

〔番外〕(邑南町建立)「大洪水碑」と「出羽川竣工記念碑」

2014年02月03日 14時35分09秒 | 何処へ行っても
島根県邑南町下口羽でみたのが、
昭和47年の洪水の碑「大洪水碑」と
昭和58年洪水の災害復興記念碑「出羽川(いずわがわ)竣工記念碑」が並んで建立されている処でした。
この地を大きな水害が二度もあったことがわかりました。

わたしがいま住んでいる広島市安芸区の(畑賀地区の)水害碑を2005年に見て以来、
広島をぶらり散歩した時にみた“水害に関連した碑”は撮影し頁を編集していましたので、お隣・島根県ですが撮影して頁にしようと思ったのです。

大洪水碑、出羽川竣工記念碑

「(島根県邑智郡)邑南町」編

2月3日(安芸区のわが家付近靄っています)天候 :くもり


コメント

〔番外〕(吉祥山)延命寺

2014年02月02日 15時39分11秒 | 神社寺院等
広島県作木側から江の川に架かる両国橋を渡って島根県邑南町に入り進んでいきました。
まっすぐ進めばJR口羽駅に行く道を選ばず、
遠回りになりますが口羽中心部へとぶらり散歩することにして、少し行ったところで山側にみたのがこのお寺でした。
延命寺は、高野山真言宗のお寺で、 中国四十九薬師霊場第35番霊場となっています。

(島根県)吉祥山・延命寺

広島県以外の神社寺院一覧

2月2日(安芸区のわが家付近靄がたっています)天候 :くもり

コメント (2)

(シュモーが建設した)住宅の模型

2014年02月01日 09時23分31秒 | 建物等
中区江波二本松のシュモーハウスを見学した時、
シュモーたちが皆実(みなみ)町に建設した住宅の模型が展示してありました。
説明板には『・・・住宅は台所、トイレ、6畳の和室二間という間取りでした。当初、台所やトイレなどにシュモー氏たちは、独自の改良を加えようとしましたが、当時の日本の生活様式を尊重し、広島市が企画した市営住宅と同じ案を採用しました。』とありました。
独自の改良??わたしはわからなかったのです。
そのことを、居られた係員の方に教えていただきました。
風呂付の住宅計画だったそうです。

皆実平和住宅の模型

広島ぶらり散歩「建物など」編

2月1日(安芸区のわが家付近)天候 :晴れ

コメント