人間がいくら億万長者であろうと、地位や名誉があって偉そうなことを言っても、食べ物や水がないと、必ず死ぬ。それが分かっているのに、人は文明を進め、食べ物を作らなくなった。文明の程度に合わせて生計を維持するには、食べ物を作っていては、もはや困難な時代になってきたのである。ここ一世紀ほどの間に、その傾向は益々、顕著(けんちょ)になっている。
「腹が減ったな、昼にするか…。ははは…これが食えればなっ!」
工場長の川久保はようやく完成した旋盤上の試作品を見ながらボツリと呟(つぶ)いた。納期は半年後だが、今からだと今週一杯が試作の限度だったから、川久保は内心、ホッとしていた。川久保が手にする楕円形の金属物体はいわば一個の菓子パンに見えなくもなかったから、余計に川久保をそう思わせたのかも知れない。川久保は手の平の上に乗せたその金属物体をジィ~~っと見つめた。よ~く考えれば食事抜きの不眠不休である。川久保はいつしかウトウトと眠りに落ちていった。空腹より眠気(ねむけ)が勝ったのだ。
川久保は夢の中を漂(ただよ)っていた。食べても食べても現れる、食べ物だらけの極楽世界だった。ただ、どういう訳か味覚などの食べた実感がなく、腹は満たなかった。そのとき神々(こうごう)しい光が指し、厳(おごそ)かな声が聞こえた。
『それは食べられないよっ!』
川久保は、ハッ! と目覚めた。目の前には社長の小滝(こたき)がニッコリと微笑(ほほえ)みながら立っていた。川久保は危うく、手に持つ試作品の金属物体を齧(かじ)ろうとしていた。
完