もういいかな? と思った苔川(こけかわ)は、もう一度、デパートのトイレへ戻(もど)った。だが、やはり人の波は途切れることなく、いや、返って前より増えているぞ…と、苔川の目には映った。困ったことに、便意はその激しさを増し、少しずつ限界へと近づいていた。身体の要求なのだから誰に文句を言うこともできない。もちろん、誰もこれこれこうです・・と説明しても、その気分は理解してもらえないのだから仕方がないのだが…。
苔川はとりあえず、列に並んだ。そして、前で並ぶ男にそれとなく列が出来ている訳を訊(たず)ねてみた。
「なぜなんですか?」
「いやぁ~私もよくは分からんのですが、トイレの水が急に止まったらしいんですよ」
「トイレだけですか?」
「はい。だった。それも大だけが、突然ね」
汚(きたな)い話ながら、流れなければ水洗トイレはお陀仏なのである。さて、どうするか? が今、苔川に与えられた緊急の課題となっていた。このまま列に並んで待てば、水が出るまでに恐らく立ったままスッキリ! することは目に見えていた。スッキリ! といっても、困ったことに、臭気(しゅうき)をともなう気分の重い下半身の最悪な状態は残るのである。苔川としては、何が何でもそうなることだけは避(さ)けなければならない。では、どうするか…と、苔川は迫り来る便意の中、はて…? と考えた。都合よく、小一時間ほど前に買った小物の紙袋があるにはあった。いざ! というときは紙袋の中へ…という推理ドラマの筋のような発想がふと、浮かんだが、問題はそのときのコトを果(は)たす場所である。トイレは人だらけでダメなのは言うまでもない。人のいない場所…と巡れば、屋上…と苔川は閃(ひらめ)いた。それも、人の気配がない片隅(かたすみ)で…という発想である。苔川は動ける間に…と、列を離れるとさっそく行動を開始した。身体の要求は、まだ苔川に時間を与えていた。
エレベーターで屋上へ昇ると、幸いにも人の気配はないように思えた。苔川は助かった…と心底(しんそこ)、思った。そろそろ身体の要求も、どうですか? と訊ねてきていたから、いいタイミングだった。苔川がコトを果たそうとズボンを下げ袋を広げたときである。苔川は後ろから肩をトントン・・と指先で突(つつ)かれる感覚を感じた。恥ずかしさとギクッ! とする驚きの気分を同時に覚えながら振り返ると、先ほど前に並んでいた男が笑顔で立っていた。
「ははは…あなたもですか?」
「えっ? まあ…」
「お隣り、いいですかね?」
「えっ? ああ、はい…」
苔川に断る理由は見つからなかった。二人は並んで中腰になると、袋を広げて身体の要求に従った。
完