世の中では困ったことが時として起こる。予想外の現実だが、この困ったことを困らなくする手立てがある。その手法を人は知らず、日々を怯(おび)えて生きているのだ。この過剰(かじょう)な反応が、時として事態をより悪化させる方向へと導く。
「大丈夫なんだろうねっ! 原発はっ!」
「はっ! そらもう。なんと申しましても保安院のお墨付(すみつ)きでございますから…」
「お墨付きか…墨は濃いんだろうなっ!」
「はぁ? …そらもう。なんと申しましても、あの店の烏賊墨(いかすみ)は美味(おい)しゅうございます」
「烏賊墨? ああ、確かにあそこのパスタは美味だが…。馬鹿!! そんなことを言ってるんじゃないっ!」
「はあ、そうは申されますが、あの店の烏賊墨は20年ばかり前から食してございますが、保安院というようなことは、当時ではございませんで…」
「20年ばかり前? …君は何を言っとるんだっ!」
「はい、濃い墨味かと…」
「濃い墨味? …確かに濃くて美味(うま)いがな…馬鹿! そんな話じゃないんだっ!」
「いえ、そんな話でございますよ。過剰に世間に迎合して騒がれるのも、いかがなものかと…。時として、落ち着かれてお考えになられた方が、時として国是(こくぜ)に適(かな)うかと…」
「マスコミに煽(あお)られ過ぎたか?」
「そのように…」
「時として、そうした方がいいのかも知れんのう。それにしても、あの店は実に美味い…」
「さように…」
「時として、行ってみるのもよいな」
「はい…」
二人はニヤリと笑った。
完