苦も人生修行と思いなされ・・などと寺の高僧に言われれば、ああ、そんなものなのか…と私達凡人は思ってしまう。世俗(せぞく)にいるのだからそれも当然なのだろうが、落ち着いて考えれば、それもそうだな…と思えなくもない。逆転した考え方だが、苦が自分自身を高める・・という高級な発想だ。
とある町役場の課内である。課長と思(おぼ)しき男が、やたらと歩き回り、アチラコチラと探している。
「妙だな? 平山さんの姿が見えんが、どうしたのかね、君?」
「えっ? あっ! おられないですね。つい今まで隣(とな)りのデスクでウトウト眠ってました、いや、おられましたが…。おかしいなあ~?」
「おかしいって君、隣りの席だろっ。分かりそうなものじゃないかっ!」
「課長はそう言われますがね。平山さんは、いつの間にかスゥ~っと消えられるんで、皆に幽霊職員と呼ばれてるんですっ!」
「だから、それがどうしたの! そうだとしても、フツゥ~は気づくだろうがっ! 隣りなんだからっ!」
「ええ、まあ…それはそうなんですけどね。妙だなぁ~」
「妙って君、隣りにいて、そんな」
「課長はご存知ないないだけですよ。あの人、苦のない方ですから。たぶんお身体(からだ)が軽いんじゃないでしょうか」
「ははは…上手(うま)いこと言うなあ、君。私なんぞ、苦だらけだから、かなり重いよっ。そんなことは、どうでもいいんだっ! …しかし、そういや、体重が増えたな…」
課長は独(ひと)りごちた。
「それで課長。平山さんになんなんです?」
「んっ? なんだったかな…」
課長は席へと歩き始めた。いつの間にか、苦のない平山は、またスゥ~っと席に着いていた。私ならここにいますが…と言おうとした平山に、二人は気づいていない。
苦がないと自身の向上はなさそうだが、逆転して、どうも忍者の身軽さが備わるようだ。
完