水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《惜別》第十二回

2010年12月10日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《惜別》第十二回

「なんだ…そうでしたか。では、場内におられたことは、おられたのですね?」
「ええ…まあ」
 幻妙斎に会った後、小部屋で眠っていたとも云えず、左馬介は曖昧に暈した。
「もうすぐ、焼けますから…」
「二人で賄いをやっていた頃には、考えもつかなかったことです」
「そうでした。あの頃は、今、客人身分の方々も大勢おられましたからねえ…」
 手を休めず、鴨下は箸で器用に金網の上に置かれた握り飯を、ひっくり返す。それを繰り返しつつ、時折り左馬介の顔を見遣って話をする。左馬介も手伝おうと、水屋から大皿を取り出して置いた。どこに何が入っているかは、賄い番をやっていたから先刻、承知なのだ。
「どうも、すいません。御造作をかけ…」
「ははは…。一年前は、共にやっておったではありませんか」
 左馬介は小笑いして返した。
「それより、この正月で四年目の長谷川さんですが、客人身分には、いつなられるんでしょう。長谷川さんが抜ければ、私と鴨下さんの二人ですよ」


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第百六十六回)

2010年12月09日 00時00分02秒 | #小説
  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第百六十六回
「塩山君、こりゃ我が社にとって大事(おおごと)じゃないか。返事はどうするつもりなんだね?」
「はい、先方は十日後にもう一度、電話すると云ってられたのですが…」
「十日後か…。そうなると、社長に取締役会を早急に開いてもらうよう進言せんといかんな。…これは忙しくなる!」
「はいっ! よろしくお願いいたします」
「それにしても、煮付(につけ)代議士と昵懇(じっこん)とはなっ! こりゃ、君の覚えもめでたくなるぞ」
 専務は私の社内における役員の評価が高まると、暗に云った。
 その日は煮付先輩のことで頭が一杯で、決裁も滞(とどこお)りがちだったが、ようやく退社の時間が近づき、ホッとしていた頃、みかんのママから電話が入った。上手くしたもので、第二課とは違い、すでに部長室を与えられている私だったから、辺りの目を気にするという心配はまったくなかった。
「ママでしたか…。ちょっと最近、寄れてなかったですよね」
「そうよ! ほほほ…。お見限りは嫌だからねぇ~。それよりさあ、今日、沼澤さんが店へ寄るって。つい今し方、電話があったの。もし都合よかったら、来ない?」
「沼澤さんかぁ~。ご無沙汰してるなあ。…はい、都合がつけば、行きます」

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残月剣 -秘抄- 《惜別》第十一回

2010年12月09日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《惜別》第十一回

恐らくは堂所で鴨下が焼いている…と、左馬介の脳裡に鴨下が焼いている姿が浮かんだ。左馬介は立ち上がって欠伸を一度、大きくして、小部屋を後にした。腰の差し領は脇差しのみで、部屋を出た。道場内で脇差しを身に身に着けていたり、二本差しで現れた場合は、暗に稽古をしない旨を他の者に知らせる手段として、以前から無言の意思表示の意味で、よく使われている手段であった。
 左馬介が想い描いていた通り、堂所へ入ると、厨房から香ばしいいい匂いが漂ってきた。鴨下が握り飯を金網に乗せて焼いている匂いに違いなかった。左馬介は堂所を素通りして厨房を覗いた。すると案の定、鴨下がいた。
「いい匂いがしたんで、顔を出しました」
 炭の熾(おこ)り具合を見ていた鴨下は、左馬介の不意の言葉に驚き、どぎまぎして振り返った。
「あっ! 左馬介さんでしたか。朝から見かけず、長谷川さんが出かけたのかも知れん、と云っておられましたよ」
「三人になってから、出入届の廃止、月当初と十五日の閉門日の廃止と、決めが大きく緩み、随分と出易くなりましたからね」
「ってことは、やはり外出でしたか」
「はい、千鳥屋まで出かけたことは出かけたのですが、先生はお帰りだと云われたもんで…。戻ってはいたのです」」


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第百六十五回)

2010年12月08日 00時00分02秒 | #小説
  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第百六十五回
「どうしたんだい? こんな早くから…。なにか急な問題でも起こったのかね?」
「いえ、そういうことではないのですが、実は昨夜、国会議員の煮付(につけ)代議士から俄かな電話がありまして…」
「煮付議員って、あの政府要人の煮付さんかね? …ほう、まあ、そちらでゆっくり聞こうじゃないか」
 鍋下(なべした)専務は椅子から立ち上がると、前方にある応接セットを指さしてそう云った。私は云われるまま応接セットへ近づき、腰を下ろした。専務も私の対面へゆったりと座った。
「君は煮付さんをよく知ってると見えるね。向こうから電話をかけてこられるんだから…」
「はい、まあ…。学校の先輩後輩の間柄でして、何かとお世話になった方です」
「先輩か…。それで、内容は?」
「それなんですが、政府主導の農業プロジェクトに我が社も参画願えないか、というものでして、詳細は、これをお読み戴ければ…」
 昨夜、煮付先輩の電話を聞いたあと、眠気(ねむけ)を我慢してPC入力した書類を、私は鍋下専務に手渡した。専務は座席まで一端、老眼鏡を取りに行ったあと、ふたたび戻り、応接セットへ腰を下ろして書類に目を通した。しばらくの時が流れ、黙読を終えた専務は、私の顔を老眼鏡越しに静かに見た。

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残月剣 -秘抄- 《惜別》第十回

2010年12月08日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《惜別》第十回

天井板の節目に樋口の笑顔がふと浮かび、何とも歯痒い左馬介であった。次に樋口が道場へ寄った折りは、恐らく幻妙斎の言伝を左馬介に伝える為による時だろうから、それでは遅かりし由良介だからな…と、左馬介は思った。何が何でも、それ迄には一度、樋口に会わねば…とも思えた。何故、遅かりし由良介…の一節が左馬介の胸中に浮かんだのかと云えば、それは父の清志郎が大層、歌舞いていたからである。扶持米が年、二十八両相当ばかりの秋月家で、父が僅かずつ蓄えた金で芝居見物に度々、出かけたのだ。その出しものの中の忠臣蔵の一節を、よく口走っていたので、いつの間にか左馬介の心の奥底に染みついていたと、まあそういうことである。それは扠(さて)置き、樋口にこちらから会える何らかのいい手立てはないものだろうか…と、ふたたび左馬介は巡り始めた。葛西代官所の樋口半太夫に頼んだとしても、無理な話に思える。いくら親子だとはいえ、代官職の半太夫が子で影番の静山を呼び戻せるとも思えなかった。 いつの間に眠ってしまったのだろうか…。身体の冷えで目覚めれば、もう既に昼前になっているようだった。左馬介は急激に空腹感に苛(さいな)まれた。昼餉は握り飯なのだが、冬場の今は炭火で焼いて食べるのが、ここ最近の通例となっている。小人数の門弟になったこともあった。


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第百六十四回)

2010年12月07日 00時00分02秒 | #小説
  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第百六十四回
「まあ、それが主因だ。だから米粉の代用として需要を喚起(かんき)しようというんだよ」
「代用は可能なんですか?」
「食感を近くまで変える繋(つな)ぎ粉を混ぜればOKだ。この返事、すぐにとは云わんし無理だろう。一週間後に、また電話するから、いい返事を期待しているぞ。…そうだな、一週間後の、この時間帯でどうだ?」
「はあ…。そりゃ、こんな話は私の一存ではどうにもなりませんし、取締役会の承認もいる内容ですから…。会議に諮(はか)り、十日も戴ければ…」
「よし! じゃあ、十日後のこの時間帯に電話することにしよう。なにぶん、よろしく頼むぞ」
「はあ、こちらこそ…」
 一方的に寄り切られた形で、電話はプツリと切れた。なんだか物の怪(け)に、つままれたような気分が私はした。だが、電話があったことは事実だったし、煮付(につけ)先輩も実在の人物だから、強(あなが)ち、つままれた訳でもないか…と、あとになって思えてきた。
 次の日の朝、私は秘書の淹(い)れてくれたお茶もそこそこに、専務室へと駆け込んでいた。専務室には柔和な笑みを湛(たた)えて座る鍋下(なべした)専務の姿があった。

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残月剣 -秘抄- 《惜別》第九回

2010年12月07日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《惜別》第九回

何ゆえ自分は無心なのか…それは天のみぞ知る事柄である。幻妙斎のこと、樋口のこと、況()してや長谷川、鴨下のことは皆目、思い浮かびもせぬ左馬介であった。それは心を凍らせ、全てを忘れようとする刹那の逃避だった。心の奥底には、幻妙斎が病に倒れるなどということは決してないのだ…と否定する見えない欠片(かけら)が存在した。その見えない欠片が左馬介の心を凍らせ、無心にしているのだった。だが、当の本人である左馬介には、そのことが分からない。必死に今後のことを考えねば…と踠(もが)くほど、心が無となるのだった。ふと我に帰れば、左馬介はいつの間にか自分の小部屋へ戻っており、畳の上で大の字を描いていた。眼に飛び込む天井板の節目が妙に今日は大きい…と、まず思った。その次に浮かんだのは、やはり樋口の顔だった。偏屈者とはいえ、今となっては、唯一の頼りとする心の支えなのだ。鴨下では今一、心もとないし、無二の友だった一馬はいない。長谷川とて、腹を割って話せる間柄ではなかった。ただ、心の拠りどころとする樋口が、いつ現れるのかは、全くもって分からない。要は、樋口が一方的に左馬介の顔を見に寄るといった塩梅で、左馬介から樋口の顔を見に行くということは出来ないのだ。樋口が幻妙斎の影番であるとはいえ、幻妙斎の傍らに四六時中、侍っているという訳でもなく、出会いも、ままならない。


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第百六十三回)

2010年12月06日 00時00分02秒 | #小説
  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第百六十三回
「こんな時間で申し訳なかった。今、話しても大丈夫か?」
「えっ? ええ…。そろそろ寝ようかと思っていたところですから…。で、ご用件は?」
「いや、実は俺もな、寝ようと思ってたんだ。どういう訳か急にお前に電話したくなってな。…そうそう、用件だったな。今度、政府主導で、正確には農水省中心なんだが、地方と
タイアップして第一次産業、特に農業の振興策を実施することが本決まりになったんだ」
「はあ…。それが私と、どういう関係を?」
「まあ、落ちついて聞いてくれ。…そこでだ、お前の会社は米粉の卸しだったよな?」
「ええ、そうですが…」
「実は、政府も減反政策で疲弊(ひへい)した田畑の再活性化を目論(もくろ)んでいるんだよ」

「偉く、どでかい話ですねえ」
「どでかい話だが、これは現実に進んでる話なんだよ、塩山」
「それで、この私にどうしろと?」
「どうしろ、などという筋の話じゃないんだが、このプロジェクトにお前さんの会社も一枚、乗ってくれないか、ってことだ」
「なるほど…。それで、具体的には?」
「政府がタイアップした別のグループ企業が幾つかあるんだが、それらの企業が地元農家とタイアップして米を作る」
「米は食われないから減反になったんでしょ?」

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残月剣 -秘抄- 《惜別》第八回

2010年12月06日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《惜別》第八回

「ははは…、云わずとも孰(いず)れは知れよう。影番の樋口が、その折りは、そなたに伝えるであろう」
 幻妙斎の言葉を聞き、それ以上、左馬介は深く訊ねなかった。残月剣の形(かた)を描いていた間、疼くように冷えていた左馬介の
足先も、部屋へ入ったことで緩み、増しになりつつあった。だから余計、気持ちが幻妙斎の言葉に揺れた。そう長くはない、とは如何る意味を含むのか…。妙に気掛かりな左馬介であった。樋口とは幻妙斎に異変があった場合、至急に知らせを貰う口約束が出来ている。まさか、そのことを師が知る由もない…と、一応は左馬介にも思える。影番だから、樋口が大方のことを知っているのは当然なのだが、飽く迄もそれは幻妙斎の身の回りの諸事であり、何を目論んでいるのか…という心理面のことは分からぬのが道理であった。そうだとしても、兎も角、師が樋口に言付けるというのだから、待った上で樋口から聞くか、或いはこちらから樋口に訊ねるしかない…と、左馬介には思えた。幻妙斎は、ふたたび布団を被って横たわり、眠り猫の様相を呈している。傍らに侍って寝入る獅子童子と似たり寄ったりの感がしないでもないと、左馬介には思えた。ここに長居しても仕方なし…と、左馬介は庵(いおり)を退去した。
 左馬介は暫く無心で歩いていた。


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第百六十ニ回)

2010年12月05日 00時00分02秒 | #小説
  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第百六十ニ回
そういう時にかぎって事が運ばないのが世の常である。その日はベッドへ入ってもお告げは二度となく、私は待ちくたびれながら深い眠りへと引き込まれていった。
 次の日、大異変の第二弾に私は襲われた。襲われたというのは、鳥殻(とりがら)部長死去による部長就任という第一弾の大異変から、まだそう長く経っていなかったからで、ようやく落ちつけそうだったのだ。落ちつけそうで落ちつけないのだから、これはもう、襲われたと云う他はないだろう。この第二弾というのは、煮付魚也(につけうおや)代議士からの電話であった。煮付先輩とは学生時代から先輩後輩の間柄で、何かと昵懇(じっこん)にして戴いていたのだが、今や先輩は国会議員の急先鋒として飛ぶ鳥を落とす勢いで、政府の要職について活躍していた。
「久しいな、塩山。私だよ、分かるか? …そう云っても分からんだろうが…」
「? …先輩? 煮付先輩ですか! ワア~、お久しぶりです。ご無沙汰しております…。お元気そうで、なによりです!」
「君も元気そうじゃないか。…そういや随分、会ってないよなあ~」
「ええ…、そうですね、そうなります。いやあ、その節(せつ)は…どの節だったか? いや、とにかく、お世話になりましたあ~!」
「そんなことはいいんだよ、塩山」

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