死は悲しいものです。しかし、これは、仏教の根本である「諸行無常」なのです。
「生老病死」と言われるように、人は、生まれ、老い、病にかかり、死ぬのです。これは真理であって、変えることはできません。老いを止めることも、死を避けることも、誰にもできないのです。これは宇宙の真理なのであり、そうである以上、人は、その真理に従って生き、そして、地上を去っていかなければなりません。
死は、肉体人間にとっては確かに悲しいことではありますが、霊的な目から見れば、あの世への旅立ちであって、本来の世界に還ることです。この世の生活は、外国の学校に留学しているようなものであり、留学が終って本国に還ることが死なのです。
死を悲しむのは霊界を知らないからでもあります。
世間では、「死は永遠の別れであり、死ぬと、もう会えない」と言いますが、そうではありません。
先祖(故人)が天国に還っている場合は、原則として、「あの世での修行が、さらに進みますように」という気持ちで供養をし、毎年一回か二回、近況を報告すればよいと思います。
一方、先祖(故人)が地獄に行っている場合は、地上の人が修行を積み、ある程度の法力を持っていれば、懇々と説教をして救うことができます。
それでは、天国は、どのような所なのでしょうか。
みなさんの人生で、もっとも幸福だった時代を思い出してみてください。その時代の幸福な感覚が、天国の状態だと考えてよいのです。
タンポポや菜の花が咲き、ヒバリやモンシロチョウが飛ぶと、「もうすぐ春が来る。うれしい」という、春の予感がするでしょう。あるいは、新学期になると、「上の学年へ上がれる。新しい友達ができ、新しい教科書がもらえる。うれしい」という感じがあるでしょう。それが天国の感覚なのです。
「死は、あの世への旅立ちであり、本来の世界に還ること」 (仏法真理)
---owari---
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