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足ることを知る

2016年12月25日 | 人生

あなたがたは適材適所という言葉を聞いたであろう。

適材適所ということは、

その人の器、その人の才能、

その人の能力に合った立場につけるということだ。

 

この適材適所という考えが、なかなかわからなく、

また、なかなか肯定しがたいことのように思われるかもしれない。

その多くは、欲望が強いがために、

自ら自身を正しく評価できないことにある。

 

人は、その器相応に使われてこそ、

はじめて喜びを得るのだという事実を知らなければならない。

 

鋸(のこぎり)には鋸の幸福がある。

鉋(かんな)には鉋の幸福がある。

鑿(のみ)には鑿の幸福がある。

それを忘れてはならない。

 

鋸は木を挽くのに役に立つであろう。

木を上手に挽くのは鋸の喜びであろう。

しかし、木を平らかにするのは鉋の喜びであろう。

また、木に溝をつけるのは鑿の喜びであろう。

 

この鋸と鉋と鑿という違ったものは、

それぞれが貴いのだ。

それぞれが貴く、どれもなくてはならないものなのだ。

 

なのに、世の人びとが鋸こそ素晴らしいと言えば、

誰も彼もが鋸になろうとする。

世の人びとが鉋こそ素晴らしいと言えば、

こぞってみんな鉋になろうとする。

 

しかし、世の中にはいろいろな人がいて、

それぞれの持ち場で働いているからこそ、

世の中がますますよくなってゆくのだ。

 

あなたがたは、ともすれば、

目立つ鋸という仕事を目標とするかもしれない。

しかし、鋸の役割ができるためには、大きな力がなければならない。

大胆で、決断力に富み、迅速で、

そして仕事が速くなくてはならないだろう。

 

そうした性格の人は、鋸の役割を担うのがよい。

しかし、一方では、几帳面でサービス精神に富み、

そして多くの方がたに気配りができるような人がいるであろう。

 

こうした方がたは、

鋸という役割は必ずしもその性分には合わないのだ。

そういう人びとは鉋としていかに艶を出すか、

いかに滑らかに仕上げるかということを努力すればよい。

 

それが本来の自己を生かす道であるのだ。

また、専門的にのみ生きている人もいるであろう。

狭く、細かく、しかし力強い仕事をしたいと願う人もいるであろう。

 

これは、鑿の仕事であろう。

小さなところを削り、彫り、そして役に立つ。

これが鑿の仕事だ。

 

こうした専門的な仕事を軽蔑する人もなかにはいるかもしれない。

あるいはそうした仕事についていて、

自ら自嘲的になっている人もいるかもしれない。

 

しかし、このような仕事はあるのだ。

鋸によってしては、ほぞをつくることは難しい。

鉋によっても、ほぞをつくることは難しい。

鑿によってこそ、ほぞをつくることができるのだ。

 

このように、

それぞれ適材適所ということがあることを忘れてはならない。

さすれば、ある者は社長となり、

より多くの困難、波風に遭うかもしれないが、

その社長業を、自らこなさなければ、

幸福でないと思うのは間違いかもしれない。

 

地位の上にある人、下にある人、

それはあくまでもこの世的なる序列であって、

それが真実の仏の序列ではない。

 

それぞれ、適材適所ということが実現されて

はじめてすべてのものがよくなってくるのだ。

決して、欲望の自由を満たすことが、素晴らしいことではないのだ。

 

みんなが社長になりたいからといって、

すべての人を社長にしていては、

その会社に働く人たちは、次つぎと失業して、

そして大いなる苦難をなめるであろう。

 

社長になるべき器があってこその社長であるのだ、

ということを知りなさい。

さすれば、自らの分相応に生きていることを決して悔いてはならない。

 

もちろん、経営する立場に立つ者は、

人事は公平にしなくてはならないであろう。

また、雇われる側にあっても、

公平な処遇をされることを願うことは正しいことであろう。

 

しかし、どうか私の語った鋸、鉋、鑿の例を思い出してほしい。

それぞれの持ち場に使われてこそ、役に立つのであり、

そして喜びがあるのだということだ。

 

間違った場所で使われて、真の喜びはないということなのだ。

このことを、よく知りまさい。

 

足ることを知るということは、決して消極的なることではない。

足ることを知るとは、己を知ることなり。

足ることを知るとは、己が力量を知ることなり。

 

足ることを知るとは、己が才能を知ることなり。

足ることを知るとは、己が生きる場を知ることなり。

己が生きる道を知ることなり。

己が死に場を見つけることなり。

これ、足ることを知るという。(仏法真理)

 

---owari---

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