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障害を持って生きることの意味とは

2016年12月21日 | 人生

足が動かない人、手のない人、目が見えない人、耳が聞こえない人など、現在、身体的な不自由を抱えている人はたくさんいます。そうした人たちのなかには、過去の転生において、何らかの肉体的なカルマ(*)をつくっている人もいます。

 

ただ、あの世に還ると、それは治ります。目が見えなくても耳が聞こえなくても、あの世では治るのです。不自由なのは、この世にいる、ほんの何十年かのあいだだけです。本当にそうです。

地上では、そのような“配役”になっていても、そのなかに修行があるのです。

 

その“問題集”の模範解答は、あの世に還ったときに必ず示されます。なぜ、そういう修行をしたかということが必ず教えられますから、それまでのあいだは、とにかく、一生懸命、自分の問題集を解いていただきたいと思います。

 

ただ、もちろん、すべてがカルマだけで片づけられるものではありません。ヘレン・ケラーが三重苦になったように、尊い目的を持ち、障害者の人生を計画して生まれてくる人もいます。

なかには、菩薩行として、そのような病気をしている人も、いることはいるのです。

 

例えば、車椅子の生活をしている人のなかには、社会的に活躍している人もいます。そういう人は、「なぜ、こんな不運が」と思っているかもしれませんが、ある程度、覚悟して、そうした運命を描いている人もいるのです。

 

このように、生きがい、喜び、勇気、そういうものを他の人々に奮い起こさせるために、肉体的な障害を選んでいる人もいます。

 

それは、霊的に見れば一時的なことではあるのです。その間、徳を積むために、そのような姿をとっている人もいるのです。そして、この地上を去ると、肉体的障害は、すべて解消され、自由な姿に戻ります。

 

「障害を持って生きる人生は『菩薩行』でもある」 (仏法真理)

 

カルマ(*)・・・・・仏教でいう「業」。ここでは、過去世の経験やこれまでの人生における思いと行いによってつくられた、「魂の傾向性」や「解決すべき人生課題」のこと。たとえば、過去世において、戦争や事故などで他人の身体を傷つけるような体験をした場合、今世、自ら計画して、魂の学びを深めるために、体の同じ部分に障害を持つ人生を選ぶこともある。

 

---owari---

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