↑2枚の画像は朝日ネットから拝借しました。
今日、田原総一朗氏の評論を読んだ。 本記事をそのまま以下に掲載させて頂くことにした。
東日本巨大地震は、我ら世代が体験した「二度目の敗戦」だ、と私はとらえている。
一度目はアメリカに負けた敗戦だった。そして、今回は大自然に負けた「敗戦」である。
マグニチュードは9.0で、阪神大震災の約1500倍ものエネルギー規模だったようだ。
「千年に一度」の災害とも言われている。
岩手、宮城、福島、茨城など8県で被災者の数は当初約60万人。死者の数は約3万人に上ると政府幹部は予想している。
被災された皆様へのお見舞いとともに、犠牲者の方々へ心よりお悔やみを申し上げます。
東京電力や学者が想定した2倍の高さの津波が原発を襲った
宮城県から270~280キロ離れた東京でも交通機関が麻痺し、首都圏の人たちは5時間、6時間、あるいは10時間以上
歩いて帰宅せざるを得なくなった。
特に深刻なのは東京電力福島第一原子力発電所の大事故である。
1号機、2号機、3号機がいずれも爆発し、点検作業中だった4号機までが爆発によって建屋の壁に穴が開いた。
原因は地震の大きさというよりも、想定をはるかに超える津波の高さにあった。
福島第一原発を建設するとき、東京電力、そして東京電力が委託した学者たちが津波の高さを5~6メートルと
想定した。ところが、10メートル以上の津波が襲ったのである。
そのために福島第一原発の緊急冷却装置が作動しなくなってしまった。
ディーゼルの非常用発電機も作動しなかった。
そして1号機、2号機、3号機の圧力容器内の水位がどんどん下がり、燃料棒が露出するという事態になった。
特に2号機では燃料棒が完全に露出し、「からだき」状態になったのである。
まず12日、1号機の建屋上部が水素爆発によって吹っ飛んだ。
当初、東京電力の見立てでは2号機、3号機は大丈夫だと考えられていた。
1号機、2号機、3号機にはいずれも冷却のために海水が注入された。
海水を注入するということは廃炉になるわけで、東京電力は大損害を覚悟したのである。
しかし、海水の注入にも関わらず、3号機の水位もどんどん下がって、ついに13日に水素爆発してしまった。
この時点では2号機は海水の注入が順調だと見られていたが、時間とともにまたもや水位が下がり始めた。
作業員が2号機の爆発を防ごうと取り組んでいた最中、なんと4号機で火災が生じたのだ。
実は点検中の4号機は使用済み核燃料と燃料棒を貯蔵プールに移していたのだが、貯蔵プールの水位が下がって
爆発、火災が発生したのである。
しかも、使用済み核燃料と燃料棒は、1~3号機と違って圧力容器に守られていなく、放射能を含む水蒸気が大気に
まき散らされた。 高濃度の放射能が拡散してしまったわけである。
4号機の火災はその後に鎮火し、放射能濃度は下がった。ところがホッと安心する間もなく、15日、2号機で爆発が
起きた。
しかも2号機の場合は、格納容器の下部にある水を貯める圧力抑制室が損傷した。
ということは、格納容器内の高濃度の放射能が漏れ出る危険性がある。
3月16日現在、政府のある幹部は私に、「東京電力は制御能力を失った」と話した。
こうした大事故に対して、東京電力、そして政府の取り組み方への批判、非難は当然ながらおびただしくある。
東京電力の発表が遅過ぎて、しかも曖昧だ。
菅直人首相、枝野幸男官房長官の記者会見も遅くて内容が曖昧である。
東京電力と政府は、「想定をはるかに超えた事故だ」と発表したことで、非難の重囲砲火を浴びた。
原子力発電というのは危険極まりないもので、当然、最悪の事態を想定して建設しなければならないはずである。
それを「想定外」などと言うのは無責任過ぎるというわけだ。
繰り返しになるが、学者たちが想定した津波の高さは最高が5~6メートル。
ところが現実には、津波の高さはその2倍を超えた。
これほどの津波は少なくとも数百年間なかったことである。
それに、もしも最悪の事態を想定して原子力発電所を建設するとなると、電力料金は今の3倍以上になる。
これでは民間企業としては経営が成り立たない。 一方ではそういう現実問題がある。
しかし、東京電力はあらゆる批判を受けるのは当然であり、いっさいの弁解は許されない。
こういう大事故を起こす原子力発電所を認可したことで政府も重大な責任を問われる。
もっとも、東京電力も政府も責任を免れようなどとはまったく考えておらず、政府のトップの東京電力の責任者
たちも事態が一件落着すれば、当然責任をとるはずだ。
事故の深刻さはアメリカのスリーマイル島原発事故をはるかに超え、チェルノブイリ事故に迫る可能性もなくはない。
今、アメリカやフランスの当局は福島第一原発事故をハラハラしながら見守っている。
日本の原子力発電所は世界で最も慎重に、そして安全に運転されているはずであった。
世界のどの国もがそのことを認めている。
その日本の原発で今起きている事態を食い止められなければ、世界の原子力発電計画が破綻することになるからである。
文明を過信した私たちへの手厳しい警告である
それにしても、これは未曾有の国難だ。なんとか一致団結して、この国難を乗り越え、立ち直るしかない。
太平洋戦争に負けたとき、私たちは夢も希望もいっさい失った。
だが、一致団結して見事に立ち直り、高度経済成長まで実現した。
戦勝国さえ抜き去ったわけだ。日本人にはその力がある。
高度経済成長期以後、「国難」とか、「一致団結」という言葉はまったく使われなくなった。
こんな言葉を使うと時代錯誤だと思われるかもしれないが、二度目の国難はそれほど深刻である。
今回の「敗戦」は文明というものを過信し、進歩発展を過信した私たちに、自然が発した手厳しい警告ではないか
と私はとらえている。
だが、「第一の敗戦」から立ち直った日本人には、この「第二の敗戦」を乗り越え、復活しうる力がある。
私はそう確信している。
一致団結してがんばろう。
田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年滋賀県生まれ。早大文学部卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経て、フリーランスのジャーナリストとして独立。
1987年から「朝まで生テレビ!」、1989年からスタートした「サンデープロジェクト」のキャスターを務める。
新しいスタイルのテレビ・ジャーナリズムを作りあげたとして、1998年、ギャラクシー35周年記念賞(城戸賞)を受賞。
また、オピニオン誌「オフレコ!」を責任編集。
2002年4月に母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生たちの指導にあたっている。
最新刊に『田原の眼力 嘘ではない真実の取材ノート』(扶桑社新書)、『オフレコ!スペシャル 2020年、10年後の日本』(アスコム)、『田原式 つい本音を言わせてしまう技術』(幻冬舎)がある。
Twitterを始めました。ぜひご覧ください。@namatahara
引用掲載 以上