へんないきもの日記

今日も等身大で…生きてます😁

派遣の女4

2018-01-22 06:53:17 | 日々雑感
 ボーッと大きな汽笛が鳴った。間もなく、ネイビーと白の船が接岸し、賑やかな中国語のアナウンスが聞こえてきた。

 「天海新世紀」というのが、この船の名前らしい。乗客は中国人の他にインド人の姿も多く見受けられた。

 この日、女は派遣先から「クルーズ船の乗客誘導」という業務内容で仕事を請け負った。女に渡されたのは、真冬だというのにペラペラのジャンパーとその上に装着する安全ベスト、そして白のヘルメットと誘導棒だった。

 てっきり、厚手のベンチコートを着て、船のタラップで乗客の乗り降りを補助する業務を想定していた女は、渡された資材を前に面食らった。

 なに、これ?ただの交通整理じゃないの?

 そう、まさしくその日の仕事は、ただの交通整理だった。船が着いてから出港するまでの間、乗客は北九州市内の免税店や唐戸市場、小倉城といった観光地を巡る。そのために移動用の大型観光バスが30台前後、まだ夜が明けきらないうちから敷地内に入ってきた。

 女の他に派遣された男女約10名は、朝6時半から、コンテナターミナルの埠頭に配置していた。

 任務も休憩時間も明確にされないまま、その日、同じく派遣されたメンバーの中で古株の自分より年の若い男性の指示に従う。

 他のメンバーは、1名の男性を除き、みな、自分より若かった。おそらく、年配の派遣スタッフでこの仕事の内容を知る者は来ない。それくらい、単調で、そのくせ恐ろしく寒い業務だった。

 派遣の男達と一部の女は、休憩時間ともなるとタバコを吸った。おそらく、この人たちは、タバコ一箱の値段が、自分のその日の日給と同じになったとしても、タバコを止めることは無いのかもしれない。

 船から降りてきた乗客を乗せた観光バスが出払うとしばらく業務は暇になった。そこで、北九州市に外国船を誘致したという男と話をする機会を得た。

 もともとコンテナターミナルとしての機能を果たしていたこの埠頭も、今ではコンテナがほとんど置かれていない、閑散とした埠頭である。要するに市側が失敗したのである。

 そこで、再利用を検討した結果、このように外国船を誘致するに至ったという大まかな経緯が把握できた。加えて誘致の男性から、警備を担当している派遣スタッフに謝意が述べられた事に対し、女はまんざらでもない気持ちで受け止めた。

 派遣だから責任が無いのではない。

 前日、事前研修のあった国家試験の試験監督もそうだが、ひとつ手を抜けば、受験者の人生を左右する事にもなりかねないし、この日の交通整理にせよ、狭いターミナルの道路のカーブで大型観光バスがスレ違いざまに接触事故を起こさないとも限らない。

 ちゃんとしよう、必ず何処かで見てくれている人がいるから、この男性のように。

 女がそう思ったとおり、何人かの大型観光バスの運転手は、業務を終えて戻る際に、フロントガラス越しに女に深く会釈をしていった。

 この日の客は、中国人とインド人だった。すでに完全に立場が逆転している。そのうち、日本国内の仕事をAIに奪われた多くの日本人が、出稼ぎに中国やインドに、東南アジアの新興国に行く日が本当にやって来るのかもしれない。

 その日、業務を終えてメールで報告をすると、新たな業務の案内があった。自動車部品工場の夜勤の仕事だ。夜勤だけあって、今まで請け負ってきた仕事のどれよりも格段に時給がいい。

 メールで返信するとさっそく、派遣会社から直接の電話があった。

 同じく勤務する一人を途中の駅からピックアップしてほしい、という。

 土地勘の無い女には、果たしてその駅が自分が通る経路上にあるのかすらわからなかったが、とっさに承諾した。

 派遣会社の担当者は、女に謝意を述べ、礼をはずむと言ってくれた。

 人の役に立つ、というのは、ほんのちょっとしたことなのかもしれない。

 まだ、先週のチョコレート工場での型抜きで右手の親指の爪が赤黒く内出血していた。

 それでも、女は出来る限りの仕事は請け負うつもりでいた。お金のため?もちろん、それはある。でも、自分が欲していたのは人から感謝されること、だったのかもしれない。赤黒くなった自分の爪を見つめて女はそう思った。

#welovegoo
#派遣の女
コメント
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