【地獄の沙汰も…】
前日、一人で11時間近くかけて60キロの距離を踏んだので😅
翌日は「軽めに」😁
前日ゴールした豊後三重の街から豊後街道をそのまま行くと…
豊後大野市〜犬飼を経て大分市に入るのだけど←実際、5年前のルートは大分より先の別府市内に入って、翌日には早朝のフェリーで四国に渡り、着いたと同時に愛媛の小高い丘を越えている…😅
一人でとてもそんな強行軍は出来ないし😅、三重町〜犬飼ルートはあらためて2年前に走っているので、あえて今回は豊後街道から離れて城下町臼杵へ行く道を選んだ👍
どうも、前置き、というか…言い訳?が長くなってしまった😅
要するに、旅の最終日は帰る電車の時間を気にしないとイケナイし…
お腹を空かせた、というよりワタシの愛に飢えた?ひらりニャンの為に一刻も速く帰らないとイケナイ😅
宿の朝食は、和風旅館にしては珍しく?午前6時から提供して頂いた🤩
「足りなかったら…言ってください」
と老女将に言われたが…
気の弱い?ワタシは言えずに😅、部屋に帰って昨日の蒸しパンを食べた😁
脚を引きずりながら膳を運ぶ老女将に…
小樽で一人で暮らす91歳の母親の姿が重なった…
午前7時前に宿をスタート♪
前日より更に気温は下がっている…
今年は全国的に暖かくなるのが遅い気がする🙄
看板もナニも無いけど…
コレは間違いなく?銭湯♨
まっすぐ進めば豊後街道♪
今回は右の道へ←現在の国道502号線
国道から一本中に入ると…
この道は昔、庶民が臼杵城のお殿様に年貢を納めに行くのに使われた道…
深い渓谷を越えるのに難儀していたところ、お金持ちの商人たちがお金を出し合って、この橋を造ったのだそうだ🙄
石橋だけど…
江戸時代に造られた橋なのだ🙄
困った時、困っている人が居たら、サッと金を出す😁
現時代を生きる富裕層たちよ、見習い給え😜👍
辺りは茶畑が広がっていた…
この辺がお茶の生産地とは知らなかった😮
残念ながら、この日も曇り空だけど…
桜がアチコチで咲き誇っていた🤩
野津の町に入る…
吉四六(きっちょむ)さんの民話に心が和む😁
どうやら、この辺は吉四六さんの生地?らしい🙄
至るところに吉四六さんのこの手の看板があった…
まちなかを抜けて…
旧道は地図上では点線になっているので…
今ある林道を行く♪
林道から再び国道に出た。
こんなモノを造っている会社があるんだね〜🙄
軍事産業じゃなくて…
災害等の有事に使えるモノを造る会社は大切だね👍
臼杵に来たのだから…
石仏を見ておこう👍
と…国道から300メートルほど中に入ったポイントへ♪
「国宝」という看板に吸い寄せられる😅
入場料500円を払って中へ…
というより、戸外なのでそのまま小走りで進む😅
一応、屋根を付けて風雨から守られている…
しかし…
各石仏の前には、ドーン、と賽銭箱が控えていて😅
この石仏を発掘する工程を説明する案内板はあっても…
これらの石仏群が、いつ頃、誰の手によって造られたのか?
はたまた、国東半島をはじめ、大分県になぜこうも石仏が多いのか?
その辺が全くわからなかった😅
知りたければ、更にお金を出して😅、石仏ミュージアムに行け、というコトか?😅
確かに、石仏群は素晴らしいのだけど…
どうも、前に鎮座する賽銭箱に興ざめする😅
コレだけのものを後世に渡って維持し続けていかねばならぬのは、わかるけど…
地獄の沙汰もカネ次第?😅
ならば、このワタシは地獄にすら行けないのか…😅
よろしい👍
浮遊霊となって、日々、60キロ移動してしんぜよう🤪
【ノスタルジックな臼杵の街♥】
ココからゴールまでは6キロほど。
この日のゴールは臼杵城🏯、ではなくてその近くにある海鮮市場🤩
いよいよ、城下へ🤩
ん、三重塔?😮
なんだか京都に居るみたい…😁
裏通りの?夜の街も気になります😁
初めて来た街だけど…
ワタシにとって臼杵とは?
城下町・萩と小樽をかけ合わせたような街🤩
すぐそばに港があって、フェリーターミナルからはボーッという船の汽笛が聞こえてくる…
着きました🤩
平日の午後1時半だったけど…
そこそこ混んでいました😅
サッポロビールを飲んで…😁
関サバにありつけた〜🤩
食後は特急電車の時間まで付近を散策♪
臼杵城では桜まつりが開催されていた🤩
コロナでこの手の祭りが中止になる中…
たくさんの出店が出ていたけれど…
アルコールは販売していなかった😂
臼杵城は城壁くらいしか残っていないけど…
敷地面積からして、かなり大きな城であったコトがうかがえる🙄
このあと、城下を散策♪
長くなるので続きはまた明日😜