きまぐれ雑記

日常の出来事と私の好きなものを思いつくままにゆっくり記していきます

万葉の人々 7

2011-08-23 20:21:46 | ちょっとお気に入り
大津の姉・大伯の事。

公式な記録では空白の部分が多い大伯だが、この空白を埋めるのが万葉集の歌だ。
万葉集に残された大伯の歌は6首。すべてが大津に関するもの。

最初に登場するのが巻二。大津が伊勢を訪ねた時の歌。

   大津皇子、ひそかに伊勢の神宮に下りて上り来ましし時の大伯皇女の御作歌二首

     わが背子を 大和へ遣ると さ夜ふけて 暁露に わが立ちぬれし

    ふたり行けど 行き過ぎがたき 秋山を いかにか君が ひとり越ゆらむ

の二首。

大津はその死の直前、身に迫る危険を感じたのか、伊勢の姉を秘かに訪ねている。
この歌は、その大津が大和へ戻る時に大伯が歌ったものだ。

伊勢へ下ったという事に否定的な意見もあるし、この歌がまるで恋人に対するもののように感じられる事から、二人の間には恋愛関係があったのではないかという見方もある。

でも、私は幼い頃に母を亡くし二人で寄り添って生きてきたであろう姉弟はこれから起きようとしている災いを前にして、自分たちにできる事、許されている事の少なさを実感したのだと思う。その思いを歌に託したのが大伯のこの2首のような気がする。


そして、二人の不安は的中して、大津は死ぬ。
彼女は斎宮の任を解かれて11月16日に帰京する。その時の歌が下記の二首。


   大津皇子薨りまししのち、大伯皇女伊勢の斎宮より京に上る時の御作歌二首

    神風の 伊勢の国にも あらましを なにしか来けむ 君もあらなくに

     見まく欲ほり わがする君も あらなくに なにしか来けむ 馬疲るるに

都から遠く離れた伊勢の地で、思い焦がれた都にやっと戻れたのに、彼女は「なにしか来けむ」と歌わなければならなかったのだ。その哀しみはいかばかりだっただろう・・・。


さらに大津の移葬が行われた時の歌が二首残されている。

   大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時、大伯皇女の哀しび傷む御作歌二首

     うつそみの 人にあるわれや あすよりは 二上山を 弟とわが見む

     磯の上に おふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに

その後の彼女の人生がどんなものだったのかは全くわからないが、この歌を見る限り、残りの彼女の人生も大津と共にあったような気がする。


大和平野から眺める二上山の姿は美しい。でも、この山をただ美しいというだけでは見られないのはこの歌のためだ。この山を悲しみのまなざしで眺め続けた大伯は41歳でこの世を去る。独身だったという。

かなり前になるが、二上山の雄岳の山頂付近にある大津皇子の墓とされる古墳にお参りしたくて、二上山に登った。実際にここに大津が眠っているのではなくて、ふもとにある鳥谷口古墳が彼のお墓だとする説の方が有力ではあるのだけれど、とにかく1度行きたかったのだ。

その時の私の気持ちは憧れの人に初めて会えるような不思議な気持ちだった。
そして、やっとたどり着いた大津のお墓の周りはとても静かで、別世界だった。
じっと見つめる私の眼差しの向こうには大津の魂が今も生きているような不思議な感覚。
でも、それはすべての運命を受け入れて天に昇った大津の魂の清清しい姿のように思えた。

馬酔木の花言葉は「犠牲」「二人で旅をしよう」「清純な心」だそうだが、どこかこの姉弟と重なる気がする。

奈良公園の馬酔木を見るといつも大伯の歌が心の中でこだまする。私にとってはそれほど印象的な歌なのだ。
コメント
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