川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

tsu(ツ)は英語でsu(ス)になる。

2025年01月31日 | English/language
Tsunamiの"T"は発音しない。

Honestの”H”とか、
Knightの”K”みたいに。

ってな情報がTwitterで流れてきた。

たしかに。

外国の方は「ツナミ」ではなく、「スナミ」的に発音しますね。

私の名前 Tatsuも、多くの西洋人からは「タツ」ではなく、「タス」的に発音されますね、、、 ベトナム人は「タチュ」という。

それに昔から気がついていたら、私は私の下の名前をTatsuってするのではなく、Tomとか発音しやすいものに変えていたかも?

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『組織文化形成メカニズム ー中小企業における実践コミュニティの貢献ー』

2025年01月31日 | 
『組織文化形成メカニズム ー中小企業における実践コミュニティの貢献ー』

JETROの相原さんの本。

■ 文化というものは「他者」に対する偏見を持ち,自分の文化はいつでも「正しい」と考えるものである

■ Hall(1993)が,世界の言語コミュニケーションを高コンテクスト文化(high-context cultures)と低コンテクストに分類した。

■ 「企業文化」の定義

組織構成メンバーが組織内で学習を行った結果,組織自身によって創られ,共有された,組織特有の共通の価値観,パラダイム,行動規範をベースとする,意味の見解,および思考のパターン

■ (心理的安全性がないと)個々のメンバーが気づいていたり,知っていたりすることを,うまくチームの財産へと変えることができない

 …気づきを財産に変えるのが、カルチャーであり、心理的安全性があるってこと。

 
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『ひらがなで考える商い』 伊藤雅俊

2025年01月31日 | 
イトーヨーカドー創業者、伊藤雅俊さんの本。

「ひらがなで」ってのが刺さったタイトル。でも、「ひらがな」に関する言及は皆無な、残念なタイトルでした。

____________

『ひらがなで考える商い 上』

■ 「誠実のあるところに信用が生まれ、信用のあるところに信頼が育つ。信用する行為は単数的だが、そのうえに期待する気持ちがさらにに加わった信頼は、ほかの人にも影響を及ぼす点で複数的である」

■ 商売を理屈で考える人は伸びない

■ 昭和27年 「社訓」 「我等の誓い」
 1、質素な人生観

■ 米国では、非上場の「マイカンパニー」が、上場すると「ユアカンパニー」になります。株式に向かってそういう言い方をする

____________

『ひらがなで考える商い 下』

■ イトーヨーカ堂の社是 

  • 私たちはお客さまに信頼される誠実な企業でありたい。
  • 私たちは、取引先、株主、地域社会に信頼される誠実な企業でありたい。
  • 私たちは、社員に信頼される誠実な企業でありたい。

■ P・Fドラッカーと伊藤雅俊は家族ぐるみでお付き合い

■ 松下幸之助さんが「お金が大事なのは、人々が働いて、汗を流した結果としてここにあるものだからだ」とおっしゃった

■ 五十歳になるまで会社の借金に対して個人保証を取られていたオーナー経営者にとって、公私の区別などないに等しいのも事実

 …赤裸々な告白。オーナー経営者の私にも少し分かる。

 
 
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母との約束

2025年01月31日 | 親孝行
今日の日経「私の履歴書」。

商社トップの伊藤忠のトップ・岡藤正広さんの、月末の最後の一言は何か、、、

期待していたら、、、なんと!

日本一の商社の、名社長・会長が考えているのは、母との約束。

日本一のいい会社にするんや、って約束。

日本電産(今はNIDEC)の永守さんそっくり。

永守さんは、母から「人の2倍働け」と言われて、いつも、「母ちゃん、俺2倍働いとるかな」と自問自答している。

日本を支えるような、両巨頭が、めっちゃ、マザコン。

人間がなんたるか、をすごく強く示している。

人は親孝行ならざるべからず。

親は子に、深き愛を注がざるべからず。

ーーーーーー

母は偉大。

この文脈で、男性が、「父との約束」を語ることはない。

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俗物には勇気は出ない

2025年01月31日 | 人間心理・心理学
前稿(こちら、クリスチャンには勇気がある)からの続き。

クリスチャンその他の宗教家には勇気がある。
現世で幸せにならずとも、死して名を残さん的な永生観があるから。

こう言えるとすると、その逆も言える。

俗物には勇気は出ない。

そう言って差し支えあるまい。

____________

先日も、某上場会社で、不祥事を起こさぬための「勇気」とか古典から学ぶ価値を講演したとき、一番「刺さった」のは、このネタ。

俗物には勇気は出ない。

出世したい、上司に気に入られたい、人事評価を上げたい、給料上げたい、、、そういう世俗的な下心がある人には、絶対に勇気は出ない。

「保身」の気持ちがある人、または強い人には勇気は絶対に出ない。

人生意気に感ず、功名また誰か論ぜん、みたいな痩せ我慢ができる人ではないと、勇気は出ない。

現在世俗社会において、勇気を出す、ってことは、「オレは出世しなくてもいい、出世よりも大事なことがある」っていう、美学というか、信念というか、痩せ我慢。

やせ我慢できぬ者には勇気は出ない。
美学のない者には勇気は出ない。
信念なき者には勇気は出ない。
「身を保ち妻子を安んずる」(『李陵』の表現)者には勇気は出ない。

「勇気を出しましょう」なんて掛け声をいくら叫んだところで、勇気は出ない。
美学なき俗物には、勇気は出せない。

俗物とは、美学なき者を言う。
美学とは、辛い道を行く、痩せ我慢。

古典を学びましょう。
カッコいい精神に憧れましょう。

それで美学を身に着けましょう。

勇気は、一朝一夕には、出ない。

長い時間をかけた、読書の力によって、勇気が出る。

身も蓋もない話かもしれませんが、そういうものだと思います。
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クリスチャンには勇気がある

2025年01月31日 | 空手
山本七平や渡部昇一や立花隆はクリスチャンでした。

他に有名なクリスチャンの評論家はいるかな、、って調べたら、

  小泉信三(ただし戦後の64歳で受洗)

くらいですかね。現在では佐藤優さん。

でも、戦後思想史に影響を与えたBIG3みたいな山本七平と渡部昇一と立花隆がいずれもクリスチャンだったというのは、インパクトがある。

なお、立花隆は若い頃はクリスチャンだったけど、大人になってからはクリスチャンだとは公言していません。

前者二人はバリッバリのクリスチャン。

山本や渡部が、進歩的文化人が華やかなりしころに、向うを張って保守の立場から勇気ある発言を続けたのは、クリスチャンとしての信仰も力になっていたはずだ。

天は見ている。

神は見ている。

そう考えるから、勇気が湧いてくる。それがクリスチャンの、または宗教家の、本質だと思っています。

野暮な説明をすると、現世では幸せになれずとも、死後の永遠の世界での魂が生き残るという「永生観」を持つから、勇気が出せる。

私がキリスト教に興味をいだいたのも、山本や渡部などの、「勇気のある人」にはクリスチャンが多いな、と気付いたからでもありました。

クリスチャンになれば、勇気が出せる。
クリスチャンにならずとも、キリスト教を学べば、勇気が出る。
キリスト教を学ばずとも、宗教を学べば、勇気が出る。
宗教を学ばずとも、歴史を学べば、勇気が出る。

そう思っています。キリスト教ならずとも、儒教や陽明学その他の宗教では、上記の「永生観」を持っているからです。

____________

こう考えると、戦後の言論界で山本七平や渡部昇一や立花隆らが際立ったのは、明治以降、儒教教育が衰えて、日本人が俗物化したから、クリスチャンとして俗物化しなかったこの3人の、精神性・宗教性が際立ったから、と言える。

つまり、儒教的な良さ・永生観的な覚悟を多くの人が持っていた戦前には、クリスチャンであり、クリスチャンとして永生観を持つことが際立った特徴というわけではなかった。

周りが落ち込んだ(儒教もキリスト教も学ばぬ者がヨコを見て俗化した)ので、クリスチャンとしてのタテの信念を持つ3人が、相対的に浮かび上がった。

そう言える。

 ※ 参考 縦と横

戦前には、キリスト教を学ばずとも、勇気がある人がたくさんいた。石橋湛山しかり、松永安左エ門しかり、古くは西郷隆盛とか(彼はだいぶキリスト教を学んでいたらしいけど)、、
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山本七平も『李陵』が愛読書

2025年01月31日 | 
27年ぶりに、山本七平の『論語の読み方』を読み返している。

 
論語と経営・コンプライアンス(仮題)って本を執筆するのに、世の中のこれという論語本は全部読もうかなと思って。

巻末のメモを見ると、私が平成10年つまり1998年に読み終えていた本。27年ぶり。23歳の、司法試験の受験を始めたころに、こんな本を読んでいたか。

最後の方に、山本七平が『李陵』を「愛読書」と呼んでいることを発見、、、、

う、嬉しい!

私が毎日聴いている『李陵』。

 
それを私がこよなく尊敬する山本七平が「愛読書」としていたとは!!

「天は見ている」という有名なセリフがある、李陵。
李陵・蘇武・司馬遷の三者それぞれの人生観が学べる、李陵。
ヨブ記みたいに、人生の須臾の儚さ、無力さを知らせてくれる、李陵。
人と天(神)との関係が学べる、李陵。
東洋のヨブ記とも言うべき、李陵。
美文の宝庫、李陵。
漢文調の、名文のオンパレード、李陵。
フランクル「態度価値」が学べる、李陵。
私をモンゴルにいざなった、李陵。
人格者・山本七平の愛読書、李陵。

山本七平の人格が学べる本は、以下3冊。

 
 
 
みなさまも、ぜひ、山本七平と、私とともに、『李陵』を愛しちゃってくださいませ!
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数字を追うという風土 その遠因は…

2025年01月31日 | 法律・海外法務
名和高司教授と、エシックス・インテグリティ談義をしてきました。


 
すごく雑駁な印象ですが、日本企業の不正・不祥事は、会社全体で、数字を追う、数値目標を達成せねばというプレッシャーががあるから。

それが達成できないので無理くり偽装して数字をちょろまかして… ってなるんですが、大本の原因の一つには、

 日本経済の失速

があるなと。人口増えていないから致し方ない部分もあるんですが。仮に高度経済成長のような、経済自体に伸びがあったら、数値偽装せずとも、数字が伸びたからね。

「経済が残念なのに、当社だけはいい数字を」ってのは、欲張りで、よほど会社に競争力がないとむずかしい。それを達成できないから誤魔化して、、、

ってのが大きな背景。

だから、本当に雑な言い方をすれば「日本経済が駄目になると不祥事も増える」という相関関係にある。

規模では中国に叶わない。日本の独自路線を歩まないと。

言われてみれば当たり前かもしれませんが、そんなことを感じた名和先生との会話でした。
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