論語にある孔子の人となり。
憤を発して食を忘れ、楽しんで以て憂いを忘る
私もこれを理想としています。
後半の「楽しんで以て…」というのは、あの不遇の孔子も楽しむことを忘れなかったということ。
孔子の人生に、老荘的な、つまり、現状不満ではない、現状満足的な色彩が垣間見える。
大事なのは孔孟と老荘のバランスですね。
昭和は孔孟に傾きすぎ、平成で老荘が台頭してきて、令和になって孔孟を老荘が上回った
的に感じている。
歴史は繰り返す。
またいつか、孔孟的になる時代があるだろう。たぶん、大正デモクラシーも「老荘的」と批判されていたのではなかろうか。