不良の方向性が変わった。
高度経済成長時代。みんな上を向いていた。坂の上の雲を求めていた。時代が熱を帯びていた。
そんな昭和40年代、「不良」は、上昇気流の世間に抗して、下へ向いていた。みんなが上に行くなら俺はグレて下に行く。勉強しない、規則に従わない、突っ張って粋がって反体制で、、、政治の嵐から逃げてノンポリで、、
不良は「ドロップ」アウトだった。下に降りる。堕ちる。熱がない。冷めている。斜に構えている。
しかし。
それから50年経って、時代は「下方」修正している。みんな下を向いている。頑張るのはダサいよ。残業やめようよ。被害者救済。子育てが一番大事。出世なんか絶対ヤダだね。お金要らない。クルマも要らない。彼女も要らない。横並びがいい。目立ちたくない。冷めていて、醒めている。
そんな令和日本では、むしろ不良は「上を向く」。突き出る。
みんなが下を向くなら、それに反発する反骨精神のある者は、上を向く。権力思考。意識高い系。浮いちゃう。
ドロップアウトではなく、スタンドアウト(stand out)するのが不良。目立つのが不良。
政治に勤しんだり、哲学とかスピリチュアルなことを熱く語っちゃう。政治なんかやるやつは、ヤバい人。アツい人間は、イタい。
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かように、50年経って、「不良」の向かうベクトルが変わってきている。180度、変わった。
執行草舟が、「不良、反骨、野蛮、野生」的なことが高貴さ・崇高さにつながる、って書いている。
野蛮と高貴ってのは、水と油っぽく聞こえるけど、高貴に勇気は必須だから、あながち離れてもいない。
みんなが冷めている今、不良的に、野蛮性、野生味を持つことが、高貴さに繋がりやすくなっている。
ちょっと抽象的で具体例に欠けますが、取り急ぎ。