能登地震の被災地に行って参りました。
須臾なる人生、人間社会の儚さ、人間の矮小さなどを体感して参りました。
能登半島の先っぽの方に行ったわけではなく、その根元の、金沢駅近くの、内灘町。
埋立地なので地盤が緩い。
ただでさえ過疎化が進んでいるのに、これからどうやって復興を、、、
復興をするのにも10年単位、かかる。
家に住めないからと言って更地にすると、(住宅用地の特例が使えなくなり)固定資産税が6倍になるという懸念もあり、、、
能登には地震が多いから、行政・政治は「お金かけて復興してもどうせまた地震がくる」的に見くびって、能登の復興を後回し的にしているらしいです。
真偽不明ですが、少なくとも現地住民はそう感じている。その不満があるから、先日の選挙でも、自民党は大敗しました。
復興するのにも作業者が必要。でも、作業者は、2時間の移動をしても、万博のために大阪で働くほうが実入りがいい。
だから日当3,4万円を払っても、能登で仕事をしてくれる作業者がいない、、、
日本中を覆っている人手不足は、いっちばん人手が必要とされる能登の復興にも、大打撃を与えています。
能登半島に、住民がおそらく25万人。この25万人が、また誇りと愛着を持って能登に住めるときが来るか。来るとして何年後か。。。
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私は50年間、横浜・東京・シンガポールという都会にしか住んだことがない。
そんな便利に慣れすぎちゃった私には、過疎化と復興にあえぐ能登の風景は、大きなインパクトがありました。
東日本大震災のときに私はシンガポールにいた。ですから、こういう震災被害を目の当たりにするのは、阪神大震災以来の、30年ぶりでした。大変大きな刺激をいただきました。
ちょいと宗教的な振り返りをすれば、「神(天)はなぜ地震というシステム(天変地異)をプログラムしたのか」と神学的な考察をしたくなりました。