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【ロイター】 08月14日、""中国が新疆に秘密収容所を建設か、100万人を抑留と国連が指摘""

2018-08-16 16:55:26 | 中国;香港、政治、 経済、科学技術、軍事、文化、歴史、美術…

(新疆地図1)




(新疆地図2)




(ウイグル民族1)




(ウイグル民族2)




(ウイグル民族3)
 勇気と怒りの女性




 ① ""中国が新疆に秘密収容所を建設か、100万人を抑留と国連が指摘""
(字幕・14日)

国連人種差別撤廃委員会は10日、イスラム教徒が多数派を占める中国の新疆ウイグル自治区に秘密収容施設が建設され、そこに市民100万人を抑留していることを示す証拠を入手したと発表した。これに対し中国政府は「反中勢力」による捏造(ねつぞう)だと反発した。


 ② 新疆ウイグル自治区(新疆維吾爾自治区)(しんきょうウイグルじちく)(ウイグル語: شىنجاڭ ئۇيغۇر ئاپتونوم رايونی / Shinjang Uyghur Aptonom Rayoni)は、中華人民共和国の西端にある自治区である。1955年に設立され、首府はウルムチである。

民族構成はウイグル族のほか、漢族、カザフ族、キルギス族、モンゴル族(本来はオイラト族である)などさまざまな民族が居住する多民族地域であり、自治州、自治県など、様々なレベルの民族自治区画が置かれている。中華民国時代には、1912年から新疆省という行政区分が置かれていた。

本来中国には時差が設定されていないが、新疆では非公式に北京時間(UTC+8)より2時間遅れの新疆時間(UTC+6)が使われている[1]。

 
 ③ 歴史[編集]

 (1)清朝以前[編集]

テュルク系民族が多いことから、伝統的にはペルシア語で「テュルク人(トルコ人)の土地」を意味するトルキスタンと呼ばれ、現在の国境を越えた幅広い地域の一角として、中央アジアの文化圏に属してきた。[要検証 – ノート]その一方で、中国から西域と呼ばれたこの地域は中国との政治的・経済的な繋がりも古くから有しており、漢代と唐代には、中国の直接支配下に置かれた時期もあった。

隋煬帝大業五年(609年)、楊広が自ら隋軍を指揮して吐谷渾を征服、今の新疆南東部を実効支配し始めた。中原王朝が西域の実効支配もその時期から始めた。

唐太宗貞観十四年(640年)、唐軍が高昌を占領し、西州を設置した。また可汗浮図城において庭州を設置した。同じ年、高昌で安西都護府を設置。後庫車へ遷し、安西大都護府へ転換。

唐代後期、ウイグル帝国の支配下に入り、9世紀、ウイグル帝国が瓦解したのちも、ウイグル人の残存勢力による支配が続いた。

13世紀、モンゴル帝国の勃興によりその支配下に組み込まれ、チャガタイとその子孫による支配が行われた。16世紀に至りヤルカンド汗国が地域を統一したが、17世紀末ジュンガルに征服された。

(2)清朝[編集]

1755年にジュンガルにおける清朝の領域はほぼ確実なものとなった。 1775年以降、清のジュンガル征服(清・ジュンガル戦争)にともなってその支配下に入るに至り、「ムスリムの土地」を意味するホイセ・ジェチェン(Hoise jecen、回疆)、「新しい領土」を意味するイチェ・ジェチェン(Ice jecen、新疆)などと清朝側から呼ばれた。19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝の支配は崩れたが、左宗棠により再征服され、1884年に中国内地並の省制がひかれて新疆省となった。

(3)中華民国以降[編集]

辛亥革命の後、清朝の版図を引き継いだ中華民国に属しながらも、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われた。これに対して1933年と1944年の二度にわたって土着のムスリム(イスラム教徒)によって民族国家東トルキスタン共和国の建国がはかられたが、国共内戦後の1949年に再び共産党支配下の中国に統一され、1955年に新疆ウイグル自治区が設置された。

大躍進政策とその影響による飢饉のため、中国全土で数千万人ともいわれる、大規模な死者を出した。自治区の経済及び住民生活も大打撃を受けた。1962年には、中国共産党による支配に絶望した国境地帯の住民7万人以上がソ連領内に逃亡した。また、1966年には自治区内に文化大革命が波及。こと文革にかんしては、少数民族を多く抱える同自治区の闘争は中国の他地域と比較してある程度は抑制されていたというが、それでも一部で行なわれたモスクの破壊や紅衛兵同士の武装闘争により、混乱に拍車がかかった。

(3)1980年代以降[編集]

文化大革命が終結し、言論統制の緩和がなされた1980年代には、ウイグル族住民の中で、新疆ウイグル自治区における民族自治の拡大を求める動きが見られた。また、国外の汎トルコ主義者が独立を主張する動きも見られた。しかし、このような動きを中国政府は厳しく取り締まっている。2001年のアメリカ同時多発テロ以降、世界的な反テロ・反イスラム的な潮流が強まったことにより、当局による人権弾圧は強まっている。特に2016年に、前チベット自治区党委書記の陳全国(中国語版)が新疆ウイグル自治区の党委書記に着任して以降、新疆ウイグル自治区は中国全土への導入も見据えて全車両にGPS追跡装置の設置を義務付け[2][3]、顔・目・指紋・DNA[4]・声紋などあらゆる生体認証を駆使した「完全監視社会」の実験場と化していると欧米メディアや人権団体は報じている[5]。

(4)中華民国の主張[編集]

中華民国は、ウイグル自治区を新疆省と呼称しており、自国領土だと主張している。 新疆という呼称は清朝時代に付けられた。


④ 地理[編集]

新疆ウイグル自治区の面積165万km2は中国の省・自治区の中で最大であり、中国全土の約1/6を占める(日本の約4.5倍)。ただし、面積の約4分の1は砂漠が占めており、これは中国の砂漠総面積の約3分の2に相当する。総人口は約1,900万人で、その3分の2は漢族以外の少数民族である。省都は烏魯木斉(ウルムチ)。

新疆ウイグル自治区は中国の最西部に位置しており、東部から南部にかけて、それぞれ甘粛省、青海省、西蔵自治区と省界を接している。また、インド、パキスタン、アフガニスタン、タジキスタン、キルギス、カザフスタン、ロシア連邦、モンゴル国の8カ国と国境を接し、国境線の総延長は約5,700kmに達する。国境を接する国の数は、中国の行政区分で最大である。ユーラシア大陸の到達不能極に位置する。

西部のカラコルム山脈は急峻な山々が峰を連ね、パキスタン国境にあるK2は海抜 8,611 メートルに達するエベレストに次ぐ世界最高峰である。

1931年8月11日、新疆ウイグル自治区北部でM8の地震が発生。地震研究のための貴重な資料として、当時の地震断層や地形の変化がそのままの状態で残されている。2007年4月19日、断層の保護作業が終了した。








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