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① ""津波の傷痕”解体に惜しむ声 宮城のかまぼこ工場""
2018年11月11日 15時46分
東日本大震災の津波のすさまじさを物語る建物として宮城県名取市閖上地区に残っていた、かまぼこ製造工場の解体工事が今月から行われています。震災の月命日の11日、近くで開かれた港の朝市に集まった人たちからは震災の記憶を物語る建物を惜しむ声が聞かれました。
震災の津波で700人以上が犠牲となった名取市閖上地区にある老舗のかまぼこ製造会社、「佐々直」の元の工場は、鉄筋コンクリートの2階建ての建物で、1階部分は大きく壊れたものの遠くからでも一目で分かる赤い看板などが残り、周囲がさら地になる中で、津波のすさまじさやかつての地域の姿を伝える象徴となっていました。
この建物をめぐっては、震災の遺構として残す計画もありましたが、市がこの場所を公園として整備することになり、会社が解体を決め、今月9日から工事が始まりました。
震災の月命日の11日、近くの港では毎週日曜日恒例の朝市が開かれ、訪れた人たちからは解体を惜しむ声が聞かれました。
閖上地区で実家を被災した70歳の男性は「震災前から知っていた工場で被災したあともずっと残っていたので、解体は寂しいです。震災から7年が経過して風化も進んできているので残して欲しかった」と話していました。
また、家族連れで来ていた名取市内に住む32歳の男性は「子どもが震災のあとに生まれ、残った建物や資料からしか震災を知ることができないので工場がなくなってしまうのは残念です。名取市は内陸では復興が進んでいるように見えるが、沿岸ではさら地が多いのでさらに復興を進めてほしいです」と話していました。
閖上地区では、津波で1階が浸水した名取市消防署閖上出張所の旧庁舎も残されていましたが、来年のはじめに解体されることが決まっていて、震災当時から残っていた建物はこれでほぼなくなることになります。
震災遺構として残す計画あったが…
名取市閖上地区にあって津波のすさまじさを伝えてきた老舗のかまぼこ製造会社、「佐々直」の被災した工場は震災の遺構として残す計画もありましたが、市がこの場所を公園として整備することになり会社が解体を決めました。
会社は、工事が始まった9日「感謝の集い」と題して記念の式典を開き、従業員や、工場などで働いていたOBやOGなどが出席して全員で記念写真を撮影しました。
会社の社長を務める佐々木直哉さんは「この建物があるだけで津波のすさまじさがわかると思うので、残念です」と話していました。
佐々木さんは、来年4月に閖上で新たに出店し販売を再開する予定で、今は別の店に飾っている、かつての閖上の様子を描いた7枚の絵を新しい店に移そうと考えています。
佐々木さんは「今はもう何もなくなってしまったので昔の閖上の景色がこうだった、もともとこういうところだったということを思い出してもらえるようにしたい」と話していました。
復興進む中 多くの“津波の傷跡”消える
東日本大震災の被災地では、被害を受けた建物を「震災遺構」として残す取り組みが行われていますが、保存されているのは一部に限られ復興事業が進むにつれて、多くは姿を消しつつあります。
被災地では、仙台市の荒浜小学校や岩手県宮古市のたろう観光ホテル、福島県富岡町の津波に流されたパトカーなどが震災遺構として整備が終わり、すでに公開されています。
また、宮城県気仙沼市の気仙沼向洋高校の旧校舎は来年春の公開に向けて工事が進んでいるほか、語り部団体などがガイドブックの作成を進めています。
一方で、「つらい記憶を思い出す」という遺族の声や、かさ上げなどの復興事業に支障がでることなどから、多くの建物は解体が決まるなどしていて、気仙沼市の共徳丸や福島県いわき市の豊間中学校はすでに解体されたほか、岩手県大槌町の旧役場庁舎は町が解体を決め、住民団体が解体しないように求める裁判を起こしています。
700人余りが犠牲になった、名取市閖上地区では消防署の出張所の旧庁舎も来年のはじめに解体されることが決まっていて、震災当時から残っていた建物はこれでほぼなくなることになります。
※ 凡太郎が衝撃を受けて自然災害と原子力発電について真剣に考え始めたのは、この東日本大震災がきっかけでした。