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特集“音楽の革命家”ベートーベン
2020年はベートーベン生誕250年です。偉大な作曲家は入試問題にもなっています。こちらです!
問題に挑戦!
問題
以下の(1)~(5)の作曲家の作品を、以下のA~Eから選びなさい。
(1) ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
(2) ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(3) アントニーン・ドヴォルジャーク
(4) モリス・ラヴェル
(5) スティーヴ・ライヒ
A 砂漠の音楽
B 交響曲第9番ホ短調『新世界より』
C ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調『春』
D 水上の音楽
E ボレロ
(東京藝術大学 大学院映像研究科アニメーション専攻 2014年)
(1) ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
(2) ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(3) アントニーン・ドヴォルジャーク
(4) モリス・ラヴェル
(5) スティーヴ・ライヒ
A 砂漠の音楽
B 交響曲第9番ホ短調『新世界より』
C ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調『春』
D 水上の音楽
E ボレロ
(東京藝術大学 大学院映像研究科アニメーション専攻 2014年)
作曲家の作品を選ぶ問題ですが、ベートーベンの作品はA~Eの中でどれだと思いますか?
答えは「C ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調『春』」です。穏やかな曲調ですが、専門家によるとピアノとバイオリンがお互いに“主役”としてせめぎ合い、旋律を奏でるのが特徴だといいます。発表された当時は、とても斬新で人々を驚かせたそうです。
専門家によるとベートーベンは、音楽の常識を次々と打ち破り、斬新な曲をつくり続けた“音楽の革命家”ともいえる人物だといいます。
今回は、そのベートーベンの魅力に迫っていきましょう。
専門家によるとベートーベンは、音楽の常識を次々と打ち破り、斬新な曲をつくり続けた“音楽の革命家”ともいえる人物だといいます。
今回は、そのベートーベンの魅力に迫っていきましょう。
音楽が市民のものへ
交響曲第5番「運命」は聴いたことがある方は多いですよね。この曲は、どんな点が新しいのでしょうか。
ベートーベンを長年研究している音楽学者の平野昭さんに教えてもらいました。
ベートーベンを長年研究している音楽学者の平野昭さんに教えてもらいました。
平野さん
「運命の主題って音をたった4つしか使ってないんです。音楽のことを詳しく知らない人でも、あっすごい音楽だなってわかる音楽を作った」
「運命の主題って音をたった4つしか使ってないんです。音楽のことを詳しく知らない人でも、あっすごい音楽だなってわかる音楽を作った」
平野さんによると、運命の主題は、「ソ」「ミ」「ファ」「レ」の4つの音だけで構成。これほど少ない音で交響曲の主題を作ったのは前代未聞だといいます。
ベートーベンが現れる前は、音楽は主に王族や貴族が楽しむものでしたが、ベートーベンはそれを大きく変えたといいます。
ベートーベンが現れる前は、音楽は主に王族や貴族が楽しむものでしたが、ベートーベンはそれを大きく変えたといいます。
ヨーロッパ「激動の時代」の中で
背景には当時、ヨーロッパが「激動の時代」を迎えていたことがあるといいます。
平野さん
「ベートーベンが18歳から19歳の間に、ボン大学の学生であったわけですね。そんな時にフランスで革命が起こったという話が飛び込んできます。人間は自由で平等でなければいけないということをたたき込まれるわけですね。この時に人間ベートーベンが形成されたのではないかと思います」
「ベートーベンが18歳から19歳の間に、ボン大学の学生であったわけですね。そんな時にフランスで革命が起こったという話が飛び込んできます。人間は自由で平等でなければいけないということをたたき込まれるわけですね。この時に人間ベートーベンが形成されたのではないかと思います」
フランス革命によって権力は王から市民の手に渡りました。そうした中、宮廷などで親しまれていた音楽も、次第に市民が楽しむものに変わっていったといいます。
さらに産業革命により当時、多く作られるようになったのがピアノでした。
家庭にもピアノが増える中、誰もが弾いて楽しめるようにと作った曲が、『エリーゼのために』だったといいます。
家庭にもピアノが増える中、誰もが弾いて楽しめるようにと作った曲が、『エリーゼのために』だったといいます。
平野さん
「ベートーベンの音楽作品が受容されるのは、市民社会で受容されていくわけですね。初めて市民のところまで大作曲家の音楽が届けられるようになった」
「ベートーベンの音楽作品が受容されるのは、市民社会で受容されていくわけですね。初めて市民のところまで大作曲家の音楽が届けられるようになった」
苦悩を乗り越えた先に
精力的に活動していたべートーベンですが、20代後半に難聴を患います。
当時の心境をつづった弟への手紙が残されています。
『私には何も聞こえない』
平野さんによると、手紙には難聴という病や人間関係への絶望が記され、「命を落としたら楽になるのでは」という文面もあるため「遺書」ともよばれています。
それでもベートーベンは困難を受け止め、音楽を支えに前向きに生きることを選びました。
『ただ芸術だけが私を引き止めてくれた』
平野さん
「命があるかぎりのところまで、自分の中にあるものを全部出したい。耳の病を自分で遺書に書いたことによって生き方の人生観が少しそこで変わったかなという感じがしますね」
「命があるかぎりのところまで、自分の中にあるものを全部出したい。耳の病を自分で遺書に書いたことによって生き方の人生観が少しそこで変わったかなという感じがしますね」
その後もベートーベンは名曲を次々と生み出しました。そのひとつが交響曲第9番、「第九」です。
運命との葛藤を経て勝利に至る交響曲。
最後の楽章では大合唱を加え、“歓喜の歌”を完成させました。晩年の作品でしたが、革新的な挑戦を続けたのです。
運命との葛藤を経て勝利に至る交響曲。
最後の楽章では大合唱を加え、“歓喜の歌”を完成させました。晩年の作品でしたが、革新的な挑戦を続けたのです。
平野さん
「激動の中で、自分の信念を貫き通した。どの曲を聴いても、どこかに新しさがあるんだろうと思います」
「激動の中で、自分の信念を貫き通した。どの曲を聴いても、どこかに新しさがあるんだろうと思います」
ナポレオンと『英雄』交響曲
ちなみにベートーベンはナポレオンとも運命的な関わりがあるんです。
「交響曲第3番」、通称“英雄”という曲です。
ベートーベンはナポレオンの登場に感激し交響曲をささげようとしましたが、その後、市民の側に立って戦ってきたナポレオンが「皇帝」という権力の座に就いたことに激怒し、結局、ナポレオンの名前を楽譜の表紙から消して、“英雄”交響曲として上演されることになったという話が知られています。べートーベンの人柄がうかがえるエピソードです。
ぜひ生誕250年の機会に、ベートーベンの音楽を聴いて興味を持ってみてはいかがでしょうか?
「交響曲第3番」、通称“英雄”という曲です。
ベートーベンはナポレオンの登場に感激し交響曲をささげようとしましたが、その後、市民の側に立って戦ってきたナポレオンが「皇帝」という権力の座に就いたことに激怒し、結局、ナポレオンの名前を楽譜の表紙から消して、“英雄”交響曲として上演されることになったという話が知られています。べートーベンの人柄がうかがえるエピソードです。
ぜひ生誕250年の機会に、ベートーベンの音楽を聴いて興味を持ってみてはいかがでしょうか?
ちなみに入試問題の、そのほかの正解は、(1)はD、(3)はB、(4)はE、(5)はAでした。