国民の多数が反対するなかで、安倍元首相の国葬が行われた。
テレビのニュースでは、「国民の中で賛否が分かれるなかで・・・」と報じていた。
「賛否が分かれる」と言えば、賛成意見、反対意見が拮抗しているように聞こえるが、実際はどうなのか。
あらゆる世論調査で「反対」が上回り、多くの調査ではダブルスコア、またはそれ以上。
政府が「国葬」の実施を発表してから、「反対」は増え続けた。
こうしたもとで、今日、国葬が実施された。
「国葬」・・・「国によって葬られる」のは、この国の民主主義ではないのか?
そう思った瞬間もあった。
しかし、「民主主義を葬る」ことなど、できるはずはない。
「この国」は、今、生きている私たち、それぞれの意志を持ち、その意志を表明する手段を持つ私たち一人一人なのだから。
「賛成」の意見の中で、「安倍さんは国に尽くした」という声があった。
そう感じるその人が、弔意を表すことは自由だ。
「友人代表」として弔辞を述べた菅前総理は、「官邸でともに過ごした日々は幸せだった」と言った。
そう感じる人たちが、集い、故人を偲ぶことも自由だ。
「国葬反対」であっても、弔意を表したい人達の自由にまで口出しするものではない。
法の根拠がないのに、国会にも諮らず、国民の税金を使って「国の行事」として行うことに反対してきた。
人の命はみな重く、皆、尊い。
一人の人の命の重さを別格扱いすることにも、激しい違和感を感じる。
泉大津市役所庁舎に、「半旗」が掲げられた。
7日の一般質問で尋ねたところ「国葬に関して、国から要請はない」とのことだった。
「要請があれば、適切に・・・」とも。
「市独自に考えていることはあるのか?」とも尋ねたが、「今のところは決めていない。まだ時間があるので、今後検討する」との答弁もあった。
「考えたこと」が、「庁舎に半旗を掲揚して弔意を表す」ということだったのだろうか。
聞く限りでは、どこの自治体の市役所、町役場にも半旗が掲げられたようだ。
こうして2022年9月27日、国葬が強行された。
民主主義とは何か?
考え、考え、また考えた。今日の一日。