こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

追悼 カネクニ博さん

2015-07-19 22:49:06 | つぶやき
17日の夜、翌朝まで仕上げなければならないニュース作りで悪戦苦闘。PCの前に座っているときに、訃報が届きました。「今、息をひきとりました」と。

そして昨日の朝、病院から帰ってきたカネクニさんを地域で一緒に活動してきた皆さんと一緒に迎えました。

眠っているように安らかでした。


カネクニ(包国)博さん。心から信頼し、尊敬する先輩です。


私がまだ議員でない時から、何か、迷ったり困ったりすると相談にのっていただきました。

話を聞いてもらえるだけで、安心しました。

冤罪事件の被害者支援などの活動など、人権を守る活動に取り組む国民救援会の大阪府本部事務局長として働き、退職した年に、私達の求めに応えて市会議員の補欠選挙に立候補。

カネクニさんを迎えて、日本共産党泉大津市会議員団は5人になりました。

1995年、1999年、2回、府会議員選挙を候補者として戦いました。

私の地元の助松団地から、なぎさ府営住宅に移ってからは、自治会長を務め、住民の皆さんの相談にのり、阪神高速の道路騒音・粉塵の問題の先頭にも立ちました。

自治会長は退任されていましたが、ご近所の皆さんは愛称のように「会長」と呼んでおられました。


堺の病院に転院するとお聞きして、市立病院にお見舞いに寄せていただいたのは前日の夜でした。

声は出ないけれど、目で「ありがとう」と言ってくれました。



今日、日曜日は、午前中は泉大津駅前で、泉大津駅前の平和憲法を守る泉大津連絡会の署名・宣伝行動。午後は、日本共産党93周年阪南地区の集いに参加、。そして夜は難波駅頭、高島屋前で女性グループの「戦争保安反対」のリレートーク。弁護士、福島の被災者、赤ちゃんを抱いたおかあさん、地方議員・・・が、マイクを持ちます。私もそのひとりになりました。


夜はお通夜でしたが、「カネクニさんは、行って来い!と言ってくれるだろうな」と思って、予定どおり難波の宣伝に参加することにしました。




カネクニさんが、候補者として最後の選挙を戦ったのは、71歳のときでした。

相手候補は、「年齢」を攻撃の材料にしました。


私は応援弁士を務めた演説会で、サムエル・ウルマンの「青春」という詩を引用しました。


青春

青春とは人生のある期間ではなく、

心の持ち方を言う。

薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、

たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。


青春とは臆病さを退ける勇気、

安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。

ときには、20歳の青年より60歳の人に青春がある。

歳を重ねただけで人は老いない。

理想を失うとき 初めて老いる。


歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。

苦悩・恐怖・失望により気力は地を這い精神は芥にある。


60歳であろうと16歳であろうと人の胸には

驚異に魅かれる心、おさな児のような未知のへの好奇心、

人生への興味の歓喜がある。

君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。

人が神から美・希望・よろこび・勇気・力の

霊感を受ける限り君は若い。


霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、

悲嘆の氷にとざされるとき、

20歳であろうと人は老いる。

頭を高くあげ、希望の波をとらえる限り、

80歳であろうと人は青春にして已む。

(作山宗久 訳)




カネクニさんは、87歳で生涯を閉じるそのときまで、「青春」を生き抜いた人でした。

カネクニ博さん、ありがとうございました。








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