http://www.johoseiri.net/entry/2016/10/08/062854 より転載
まさかの大逆転劇による当選の2ヶ月後、1月20日(日本時間21日)にトランプ大統領が就任します。
トランプ大統領就任に対する抗議運動が起きたり、就任直前の支持率が40%しかないと報じられたりしていますが、同氏はアメリカの大統領選のルールに則って勝者になったわけですから、今後は暴言ではなく、政策を通して自らの正当性を証明してほしいものです。
トランプと言えば暴言を叫んでいる姿ばかりが印象的ですが、若いころにまでさかのぼると、実業界のスターではありました。
70~80年代のアメリカを知っている方は彼のサクセスストーリーも見聞きしていますが、今の若い人の多くはトランプ氏がどのように不動産王になったのかを知りません。
そのため、同氏の評価に賛否が分かれるとしても、70年代後半からしぶとく活躍を続けてきた大御所ではあるので、彼が台頭してきた背景には何らかの成功のヒントが隠されていると考え、今回は、その秘訣らしきものを紹介してみます。
そのほうが、彼の悪口を並べるよりは、読者の便益につながるのではないかと思うからです。
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父に学び、父を乗り越えたドナルド・トランプ
まず、その成功の背景を探る上で、父親のフレッド・トランプを無視することはできません。フレッドには四人の子供がいましたが、長男は何をしてもうまくいかない人だったので、天才肌の二男が結局、家業の不動産事業を継ぐことになりました(三男はいい人ではありましたが、ドナルドほどの才覚がなく、長女は弁護士になっています)。
フレッドは叩き上げの事業家でした。フレッドは11歳の時に父(ドナルドの祖父)を失うと、靴磨きや材木運び等の仕事を始め、ニューヨークのクイーンズ区やブルックリン区で不動産事業者として成功しています。フレッドは低コストで高層住宅団地などをつくり、前述の二区を縄張りとして一財産を築いたのです。フレッドの総資産は1973年の時点で4000億ドルでしたが、ドナルドが父の下で働き始めてからの5年間で、これが4000万ドルから2億ドルに急増しました(ジェローム・トッチリー『交渉の達人トランプ』P68)。
このフレッドの商売の仕方は、ドナルドを理解する上でも非常に重要です。
(フレッドは)「通常の銀行レートで利息を支払わなければならない時には借入金の額を抑え、低金利の公的融資を利用できる時には最大限にそれを活用するよう、常に注意を払っていた。そして彼が建設した家やマンションの数々は、その後の値上がりで大幅に資産価値を伸ばしていたのである」(ジェローム・トッチリー『交渉の達人 トランプ』P55~62)
形は変わりますが、「低コストで物件を買う」という考え方はドナルドにも受け継がれていくからです。この本では、ドナルドが「資産を担保に再融資を受けることを父親に提案した」話が出ていますが、当時、ほとんどの資産は担保借入金を返済し終わっていたので、市場価格の90~100パーセントの再融資を受けられたそうです。
父と息子ではレバレッジについての考え方が違いました。
堅実な父は「支払利息は家賃収入で払える」と熱弁する息子に根負けして再融資を承認しましたが、ドナルドが望むマンハッタン区への挑戦にはなかなかゴーサインを出しませんでした。ドナルドがマンハッタンで事業拡大に踏み出すのは、1971年に父から事業を継いでから後の話です。
「大きく考える」ことがトランプ氏の躍進の原動力
「大切なのは、あなたの思考のサイズだ。どれだけでっかく考えられるかが、どれだけでっかく成功できるかを左右する。ほかの事柄は二次的な意味しか持たない」
(桑原晃弥著『ドナルド・トランプ 勝利への名語録』P31)
「大きく考える」ことを繰り返し訴えるトランプ氏は自己啓発系の成功哲学の影響を受けています。トランプ氏が所属していた教会の牧師は、ベストセラーになった『積極的考え方の力』を書いたノーマン・ヴィンセント・ピール氏で、同氏の初めの結婚式もこのピール氏が司っているので、彼は成功哲学ともご縁が深いのです。
ドナルドはレバレッジをきかせてマンハッタン区で一機に勝負に打って出るわけですが、このあたりでフレッドとの違いが明確になります。
ドナルドは初めて家賃取立て人と貸家を訪問した時に、銃で撃たれないように、「ノックする時はドアの前に立つな」と教えられたのですが、こうした仕事だけでは飽き足らず、不動産事業の中心地に殴り込みをかけ、収益を倍増させようと考えたのです。
後年、フレッドは、ドナルドが高価な大理石やガラスをふんだんに使って建てたトランプタワーを見にきたのですが、その時、「4~5階まではガラスを使っても、その上はレンガでいいのではないか」と述べています(前掲書P57)。
フレッドはクイーンズ区やブルックリン区での商売の発想に止まっていましたが、ドナルドはセレブ向けビジネスに踏み込むことで、父を乗り越えていったわけです。
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マンハッタンへの大規模投資に挑戦
トランプ氏が大躍進したのは「土地の値上がりなんてあるわけない」と誰もが思った不景気の頃に土地を安く大規模に買い、その後の景気好転の波に乗ることができたからです。
そう書くのは簡単ですが、これを実行するのは大変なことです
トランプ氏はロバート・キヨサキ氏との共著『あなたに金持ちになってほしい』の中で、70年代にマンハッタンに挑戦した頃を「私がマンハッタンに引越し、ビジネスを始めたばかりの頃は、この町は破綻するのではないかとみんなが噂するほど不動産市場が冷え込んでいた」(P139)と回顧しています。
この時に、逆張りで値段が下がった不動産を一気に買い込んで、その後の景気好転時に大儲けしたことが、彼に大きな富をもたらしました。
「恐怖がさらに恐怖をあおり、町に対する市民の信頼が揺らぎ始めた。これは新米不動産デベロッパーにとって理想的な環境とは言いがたかった。だが私は、この問題をすばらしいビジネスチャンスととらえた。私にとってマンハッタンは世界の中心だったし、今現在、どんな金融危機に陥っていようと、自分もその世界の一部になろうと決めていたからだ。だから、当時この町に蔓延していた恐怖によって、私の野心や勇気が燃え立つことはあっても萎えることはなかった。ハドソン川沿いの広大な地域――未開発だった百エーカー(約十二万坪)の河岸の土地――について考え始めたのはその時だった」(前掲書P139)
ペン・セントラル社の土地を一気に買収
トランプ氏は、大手鉄道会社のペン・セントラル社が倒産した時、ハドソン川沿岸の土地を6200万ドルで買おうと試みます。
この経緯をジェローム・トッチリー氏の『交渉の達人トランプ』(P89~91)からまとめてみましょう。
- 1974年にアッパーミドル対象の高級アパートを二カ所で計3万戸立てる計画を発表(当時のトランプグループの保有戸数は24000戸なのでこれは大博打)
- この物件はフィラデルフィアの連邦地裁の管理下にあったので、認可が降りなければ入手できず、工事着工前に市からの指定地変更が必要(認可と指定地変更がなければ、全ての仕事が水の泡となるリスクあり)
- 1975年にやっと承認。売却したベン・セントラルはここで営まれた不動産事業から上がる収益で6200万ドルを手にするとされた。
- ドナルドは市に、アパート建設費は10年で10億ドルかかるが多くの雇用を生むことを強調し、公的援助と指定地変更を勝ち取る。
結局、トランプがアパート完成後にペン・セントラルに利益分を支払うのはアパート完成後とされたので、10年間の支払いはゼロになります。彼は10年後の支払いを約束するだけで、市からの援助を受けながらアパートを建設してしまいました。
アメリカ人の多くは、この荒業に度胆を抜かれたのです。
グランドハイアットとトランプタワー建設
さらに、トランプはホテルチェーンのハイアット社とともにベン・セントラルが年150万ドルの赤字を出していたコモドアホテルを1000万ドルで買収しました。この時にも、トランプ氏は大儲けできる仕組みをつくっています(前掲書P106~108)。
- ベン・セントラル社は1000万ドルで支払滞納の税金を市に払い、ドナルドは購入したホテルを99年契約で借り受ける条件で1ドルで都市公団に売り渡す(99年後、市の資産になる)。
- こうすることで都市公団に退去しないテナントの立ち退きを行わせ、建築物の改良資金を市の基金から出させる。
- トランプは年に25万ドルの賃貸料を支払うが、40年間、年400万ドルの資産税を100%免除される。この免除でホテル料金を下げ、儲けることができる。
かくしてコモドアホテルは、グランドハイアットという高級ホテルに姿を変えました。その後、彼はティファニーの隣にあるビルを買い、トランプタワーを建設します。
トランプタワーは地上50階で高級店舗と高級アパートが入り、当時の金額で売上高は3億ドル。総工費は2億ドルでした。
トランプ氏についてあれこれと悪口を言う人は多いのですが、グランドハイアットもトランプタワーも、超一級クラスの建築物であることは間違いありません。
同氏も「ニューヨークでは、最高のものを手に入れるために、みんないくらでも金を払う。ただし、少しの妥協もない、本当に最高のものでなければだめなんだ」と述べていますが、最高品質のブランドをつくり、「ファンタジーを売る」ことに成功したわけです(前掲書P215)。
やはり、不動産事業と政治はつながりが深い
この時の商売の仕方を見ると、値下がりした物件を狙ったり、市からの減税や支援を組み込んで利益率を上げたりする手法には、父フレッドと似た考え方も入っています。
ドナルド・トランプは、税の軽減や公的な支援などを実現して儲けることが多いわけですが、その際には、財政難の時代に値下がりした土地や経営不振のホテルを買って出た自分をPRし、事業によって雇用の創造が生まれることを訴えます(『トランプ自伝』P144)。以下、当時のトランプの主張。
- 「死に瀕した街のうらぶれた一角にある経営不振のホテルを買おうというようなデベロッパーは、私以外にはない」
- 「銀行に対しては、市の再建に協力する意味で、銀行には新規事業に融資する道義的責任がある」
- 「市に対しては、大規模な税の軽減を認めることは、市にとってもさまざまな利益をもたらす」
- 「ホテル再建により建設とサービスに関連した何千という新たな雇用をうみだし、環境の悪化をくい止めることができる」
トランプはニューヨーク市の財政危機をチャンスとして捉え、雇用の創造と経済効果をPRし、政治家の心を動かします。非常に政治的な動きにも長けているわけです。
「先見の明」が富を生む
トランプ氏の人生については、「不景気で赤字のニューヨーク市から安く土地を買って、その後に設けた云々・・・」という話がよく書かれていますが、第三者が後追い的に書いた客観的な記述を見ても、この挑戦の重要性は全然、伝わってきません。
後から見たら、「そこで買ったら儲かる」ことは誰でも分かるのですが、サブプライムショック後の株価上昇を誰もが読めなかったのと同じように、当時のニューヨーク市でトランプ氏が買った土地の値段が上がることを読めた人は少なかったからです。
投資の成功談は、コロンブスの逸話とよく似ています。
コロンブスが新しい世界を「発見」して帰った後、「そんなの、だれでもできるじゃん」と言われ「それなら、卵を立てて見ろ」と反撃した話(誰も立てられず、コロンブスは卵をつぶして立てる)がありますが、ここでいうコロンブスが成功する投資家にあたり、「誰でもできる」と文句を言う人が、自分では買わずにあれこれ言う評論家に相当します。
後から評論するのは簡単ですが、リアルタイムで「ここで買うべきだ」と決断して、コロンブス的な冒険に踏み出して儲けることは難しいわけです。
トランプが、当時、ニューヨーク市で大規模投資に挑戦し、大成功したのは、こうした「先見の明」があったからだと言えます。