徳島県では、去年10月現在の推計人口が695,000人で、前年より9,000人減少したとのこと。人口のうち、65歳以上の高齢者が占める割合は35.3%、15歳未満は10.6%の7万4000人とのことで急速に少子高齢化が進みつつある。村上総務相は13日の国会答弁で、人口減に危機感を抱き、「仮に今世紀半に人口が半減したら県庁はいらない。全国を30万~40万人の市で区切れば300~400の市で済む。市と国が直結して交渉できるシステムが一番いいと思う。」と発言したと伝えられている。
村上総務相の発言は、決して、大げさなものではなく、急激に進む人口減少への危機感を表したものだろう。
丁度、NHKの放送の中で、米沢藩を立て直した上杉鷹山が取り上げられていた。上杉謙信の跡を継いだ米沢藩上杉家では、関ヶ原の戦いの折に西軍に加担したことから領地を削られ、その後も藩主の跡継ぎ問題などもあって、一時100万石を超えていた領地は15万石に削減され、東北の貧しい領地では、相次ぐ飢きんなどもあって、領民人口も減るし、商人などからの借金も増え、藩の返上すら議論されるような状態であった。そこに九州の小藩の次男から養子として迎えられた鷹山は、「精神の改革」「財政の再建」「産業の開発」 の三本の柱で改革を行ったと言われている。そのうち、精神の改革については、「藩は藩主の私物ではない。藩士も民もまた藩主の私物ではない。そして、藩主というものは、藩と藩士と民のために仕事をするものだ」 との民福主義とも称されることを唱え、自ら木綿の服装をして食事は一汁一菜を貫き、参勤交代にかかる経費も削減するなど、藩の経費の削減に努め、桑や漆・楮などを植えることを奨励し、絹織物、ロウソク、和紙の生産、陶器に代表される特産物 を作り出して財政の改革に務めたとされる。
もちろん、現在の我が国の各地方の現状と、当時の米沢藩が置かれていた状況を比較することは出来ないが、政治指導者の在り方の理想像として、上杉鷹山公があるだろうと考えたい。既に、現在でも、我が国の地方においては、人口が急速に減少して、学校、病院、警察署などが統廃合されており、今後、鉄道や道路、上下水道などのインフラの維持も困難が予想されるし、スーパーなどの商業施設も撤退していくだろう。そうなってくると、益々、人口の転出が進むだろうし、参議院選挙の地方区などでは徳島県は高知県と合区状態になっていて、他県の普段馴染みのない候補者が立候補する状態では投票率も下がって行く一方だろう。今や、人口の集中する大都市と比べ、地方の小さな県は、益々勢いを失いつつある。しかし、地方が滅びて大都市だけが生き延びることは無い。この極端な格差を是正することが出来ないと、今世紀末には、やがて日本全体が滅びて行く可能性もある。そのくらいの危機感を政治家も国民も持って欲しい。
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