狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

鮭トバできた

2013年11月17日 | 美味紹介

鮭トバができました。皮は銀色に、身には少し弾力が残っています。削って食べると塩味がよく効いていて、うまい。本別海の漁師さん家伝の秘法で作られた鮭トバです。

どうですか。息子たちには送りましたが、少しならお裾分けします。連絡してください。ポチの方は優先します。

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尾岱沼の白鳥

2013年11月14日 | 道東紹介

尾岱沼にたくさんの白鳥が飛来しています。白鳥は大きく存在感のある鳥です。白鳥の湖を思い出しますね、鶴の湖ではいかがでしょう、鶴は泳げない、ごもっとも。ミスマッチですね。遠景です、もっとアップします。

これではどうですか。

 

遠くに異国の島が見えますね。近くて遠い父祖の地です。

白鳥たちはそんなことには関係なく入江の中で浮かんでいます。

    翅閉ぢて白鳥首を立てにけり  稲畑汀子        

    国境の湖の一つにスワン来る  久米幸叢

 

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また逃げられた

2013年11月13日 | 狩猟と銃

昨日もハンチングコーチと狩猟に行きました。夕なずむころの1チャンスです。昨日は娘さんも一緒でした。娘さんはM嬢とします。車より約1キロ歩き、牧場の凹みに着きました。凹みと言っても寝ると分からないぐらいの凹みです。私を中心に座りましたが父娘はすぐに草の上に寝転びました。ジート空を眺めています。遠くで鳴き声がします。尋ねるとオジロワシの声でした。上空にも3羽大きく旋回しています。オジロワシか5文字だな、と関係ないことを考えているとコーチは軽い寝息をしています。

風があり、月も残っているため今日はこの辺で待つそうです。私は緊張していたので軽装てすが、父娘はしっかり着込んでいます。座っているため風が当たり体が震えてきました。手の感覚がなくなりかけています。父娘を見ると両手をポケットに入れ寝転がっています。体力の消耗を避け、神経だけアンテナのように張り巡らしていたのです。疲れてきたので拙も横になりました。コーチは時々上体を起こしますが、腹筋が強いのでゆっくりと上げます。拙は腹筋の代わりに脂肪しかないのでシーソーのように起きますが、これでは近寄ってきた鹿が驚いて逃げるので、寝転ぶのは中止しました。気がつくとM嬢は隣にいません。音もなく消えていたのです。

15:30 コーチが体を啄きました。「右」、えっ前か左から来るのではないの。ゆっくりと体を回すと30メーターぐらいの所に牝鹿がキョトンとたっています。銃を構えるまでの長かった事、不自然な姿勢でしたが発砲しました。スコープよりハミ出るほどの近くでしたが失中!次弾を送り逃げて行く鹿へもう一発。コーチも同時に発射していました。少しグラリとし、鹿は休みながら逃走しました。近くに馬がいる方へ逃げたのでこれ以上の発砲はできません。走って追いかけましたが笹薮にはいられました。

後ろ足に当たっていたので笹薮から追い出せば確保できましたが、拙の追い出しでは無理でした。第一発目を発射する際、もっと姿勢を固めてやれば良かったのです。動けば逃げられる、この呪文に体の動きが縛られていたのです。

コーチについてはBE-PAL12月号の8ページから11ページに紹介されています。

 

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ユベシ作成

2013年11月12日 | 美味紹介

先般たくさんの柚子を先輩からいただいた。まず第一陣で本隊はまもなく到着する。そこで以前より挑戦したかったユベシ作りを始めた。

原材料は柚子と味噌、味醂、木の実などである。などの詳細は書かない。

写真のように上を切り、中の果肉と汁を取り出す。果肉には種があるので捨てる。そして包丁で細かく切り、味噌と味醂を加える。これに切った木の実を入れる。木の実はスーパーで売られている世界の木の実詰め合わせだ。最後にマル秘を加えよく練り、柚子の皮に詰める。蓋をして爪楊枝で留め、20分ほど蒸す。写真は蒸しあがった状態である。寒風で1ヶ月干しあげると完成、となる予定である。失敗しても300円ほどの材料費が消えるだけ、果敢に挑戦しよう。

出来上がれば薄く切って酒の肴に・・・・もう涎が出ています。

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青春

2013年11月11日 | その他

思い出の中の青春は恥ばかりである。

さて、拙は高校を卒業すると一企業に就職し、故郷を離れN市に住んだ。駅裏に会社の寮が有り、現在では想像できないほど場末、いや田舎であった。寮のすぐ横に無花果畑があったほどだ。寮から歩いて5分ほどで焼肉屋があった。と言うのも附近は朝鮮人街で焼肉屋などが並んでいた。18歳の拙にとっては空腹が念頭にあり、朝鮮人街は特に関心がなかった。それでも寮長からS亭には行くな、と言われていたが理由は知らなかった。安いから行った。焼肉も安かったが酒はもっと安かった。いわゆる密造酒の上澄みであった。ビールよりもこの密造酒で鍛えてもらった。マスターは気分が乗るとバイオリンを出しアリランを弾いてくれた。初めて聞く朝鮮語のアリランであった。感心していると無料の券をくれた。行ってみると首領様の写真が飾ってある舞台でチマチョゴリの娘達が扇子を開き踊っていた。美人ばかりであった。

寮長が行くなといった理由がわかった。S亭の長女と寮生が心中をしたからだった。その兄は東大生だったが帰還事業で北へ帰っていた。マスターには末の娘しか残っていなかった。ペルシャ猫の瞳を持った美人で時々店を手伝っていた。後で聞くと朝鮮銀行の職員で、用もないのに出かけた。本当に銀行職員であったか事実はわからないし、名前も記憶にない。

この焼肉屋の隣に「ガッチャン」があった。闇のスロット屋で当たりが出ると現金をポケットに入れてくれた。小声で「おめでとう」と言って貰う為にサラ金の借金を積んだ者もいる。博打は止めるまで負けがない。拙はベルが並び3万円ほどもらって記憶がある。

さて道を超えていくと、oというスナックがあった。2つ先輩によく連れて行ってもらった。胸毛が自慢の先輩で、オトコゲが有り後輩からは一銭の金も取らなかった。全て先輩の奢りであった。Oには30すぎの小股が切れ上がったママがいた。先輩の話では俺にゾンコンであったが、数年後再会したときは純情そうな奥さん(別人)を連れていた。この先輩は夏になると浴衣を着てスナックに行った。胸毛をチラチラさせるのが得意であった。拙も夏になると胸毛はないが浴衣でスナックに行く。

ある時上司より「祭りだから家に遊びに来い」と言われた。規律が裃をつけて歩いているような上司だったので嬉しかった。言われた時間に駅に着くと、上司が浴衣で迎えに来ていた。裃ではなかったし、町内に入っても祭りの様子はなかった。家ではご馳走が並び歓待された。川蟹の茹でたのが美味かったと記憶にある。娘が酌をしてくれた。浴衣姿が眩しかった。フラフラになるまで飲んだ。祭りのことは忘れていた。伝え聞くと一人娘であったが、拙が長男である事が伝わり二度と招待されなかった。後日、そう20年ほど過ぎてからこの上司と再会した。特急列車の中で娘と孫2人を連れて海水浴に行く途中だった。私一人が恥ずかしそうにしていたが、娘はオバサンでアッケラカンとしていた。女は(・・まあいいか)現実の中でしか生きない生物で、男(拙)は空想の中で生きています。

誠に恥多き青春である。つづく、としたいが・・・・。

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