福音は再創造の力
キリスト教の神髄をあなたに
私は、曾祖母の代からのキリスト教の家庭に生まれ、6000年の歴史のある聖書の教を聞いて育ちました。小、中、高、看護学校とキリスト教
の学校で学び牧師と結婚、3人の子供が生まれました。けれども、私の心の中にあるものは、「私は正しい、あなたはまちがっている」という
思いでした。それで、子供たちは、「お母さんの言っている事は正しいけど、心がついていかない」と悲痛な叫びを上げ、その結果、家庭内暴
力、自殺未遂、家出、ホームレス、警察沙汰となりました。夫は、私に責められ、牧師をやめ、再就職した会社は倒産、工事現場での警備員を
やり、そして別居。家計は、教育ローン、住宅ローンで借金地獄、家中の小銭をかき集め、100円の石鹸も買えないほどに。マンションは、人手
に渡り、家族離散。自律神経失調症を患い、うつ状態になり、死以外解決の道がない、というところまで追い詰められた時、私の身代わりとなって
死んで下さった方(キリスト)がおられることに気づかされました。その時以来、少しずつ私も、家族も変わっていき、今は本当に平安な生活を
送らせていただいています。
このキリスト教の神髄を、デビット・カン先生が、わかりやすく、深く心に迫って語って下さっています。
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デビット・カン先生の証
私は世界のあちらこちら旅行します。神様の恵みによって、これまでに、30から35カ国を回りました。どの国に行っても神様の「現代の真理」を
信じる忠実な民に出会います。もちろんその人たちはSDAです。また、他教派の人の中でも信仰深い人に出会います。今日は、その神の民の出会いか
ら証をしたいと思います。どういうわけか、神の民は同じような笑顔をしておられます。神の栄光、神のご品性は同じです。空港で迎えに来られた先生
に会いましたが、彼を見た瞬間、この人は私の兄弟だとすぐにわかりました。同じように真理を理解している方だと思いました。今まで会ったこともな
い人に、このような感じを持つことができるのです。皆さんが回心した時に皆さんの見かけが変わるのです。考え方も変わります。皆さんの表情、雰囲
気も変わります。皆、それぞれ見かけは違うにもかかわらず、そして、育ってきた環境、文化、さまざまな背景も違うのに、神の民は一つになることが
できます。そして、皆似ています。同じ品性を反映しているからです。それが、イエス・キリストの品性なのですね。
今晩のお話は、私の個人的な証です。私自身のことを話すとき、私がどんな人間か、知っていただけると思います。私がどこから来た人間か、神様の
恵みによってどのように変えられたか、知っていただけると思います。
始めに、1コリント15章10節を開いてください。世界中のクリスチャンに、よく知られている有名な聖句です。とても単純な聖句です。それで
も心に深く食い込んでくる御言葉なのです。これは、使徒パウロの証です。そして、これは、多くのクリスチャンにとって証となっています。私にとっ
てもそうです。「しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである」神の恵みであると書いてありますね。この聖句を読むたびに、私
は、この聖句と同様の思いにかられます。私ではなくて、「イエス・キリスト」の恵みによるのですね。その恵みによって、私はここに立って、皆さん
にお話をしているのです。1年ほど前に、私の母は亡くなりました。彼女は特別なクリスチャンでした。とても敬虔な、私にとって、すばらしい母でし
た。私には4人の姉妹がありまして、私は一人息子なのです。ふつう東洋では、一人息子は特別扱いされるわけです。日本でもそうですか?最近ではそ
ういうことはなくなってきましたね。しかし、私が育ってきたころは、そういう風潮が強かったのです。私はわがままな子供でした。よく、母に苦労を
かけたことを覚えています。しかし、神様の恵みが母を通して働いたのです。私は母に一度もどなられたことがありません。声を荒げて私を叱ったこと
は、一度もありませんでした。そのような母でした。敬虔なクリスチャンでした。母は韓国長老派の熱心なクリスチャンで、執事も務めておりました。
ところが私が赤ん坊だったころ、セブンスデー・アドベンチストに改宗したんですね。どうしてかと言うと、ある日、文書伝道者が私の家に来て、『各
時代の大争闘』と言う本を売ってくれたんです。この本を読んだ私の母は、著者であるエレン・G・ホワイトがとても好きになったのです。以来、証の
書を読みあさりました。そして、韓国語に訳されているすべての証の書を読んだのです。彼女が特に大好きな本は、『教育』と『アドベンチスト・ホー
ム』で、この本を、全部暗記するぐらい読みました。そしてこの勧告を、私を教育することに用いたのです。私が何か悪いことをした時、母は決して私
をどなりつけるようなことはありませんでした。たたきもしませんでした。私の両手を握って、私を見つめて何も言いませんでした。ただ、私を見つめ
、同情にあふれた目をしていました。私も母の眼を見つめるのですが、見ているうちに、母の目がうるんでくるのです。今にも泣きだしそうな顔でした。
これは私にとっては最悪の罰でした。時には、私のために祈ってくれました。私は大きくなって、世的なことに興味を持ちました。しかし、教会を去る
ことはできなかったのです。どうしてかと言うと、そのたびに母の顔が思い浮かび、私を思いとどまらせました。彼女が亡くなる直前に、私に語った言
葉は、「息子よ、イエス・キリストに忠実であり続けなさい」というものでした。私がこうして立って、説教壇から説教するとき、母は一番前の席に座
って私の話を聞いているのですが、彼女の手はこのように握られていました。「アーメン、アーメン」と言ってくれました。そして、説教が終わった後、
私の所に来て、私の手を彼女の頬に置いて、「先生ありがとう」と言ってくれました。母が私をどのように扱ってくれたかを、私は皆さんに申し上げた
いのです。彼女の、私の人生に対する影響は、はかりしれないものがあります。
亡くなる前の数年間、彼女は思い病気を患いました。イエス様がおいでになるとき、私の母はきっと墓から甦ることでしょう。そして、私にこのよう
な質問をするはずです。「息子よ、今日は何の日だろうか」。私がどのように答えると思われますか。「お母さん、今日は永遠の安息日ですよ。もう決
して離れ離れになることはありません。決して年をとることもありません。死ぬこともありません。永遠に一緒にいることができます」すべてこれは、
イエス・キリストの恵みによるわけです。神様はこのような素晴らしい家族を私に与えて下さったのです。
私が若かった頃、私の父はある程度裕福な人でした。しかし、私の母がSDAになった時、私の祖父は、ものすごく怒り、私の一家を勘当してしまっ
たのです。もう、私たちの家族と縁を切って、援助しないということになりました。私の祖父は、かつて、韓国政府の大事な役職についていて、父はそ
の下で働いていました。私の母がSDSAになった後、父は職を失いました。以前は、1月1日になると、私は孫の列に並んで、順番がくると、祖父に
向かってお辞儀をしました。時には、そのお辞儀をする列の中に、議員さんもいました。祖父はそれくらい権力のある人でした。私の家族がSDAに改
宗した後、苦しみが始まりました。韓国はその頃、経済的に貧しかったので、父はいろいろな仕事をしましたが、3度連続して失敗してしまいました。
最後には、住む家も失ってしまいました。 (以下次回に続く)