罪から逃れる道 第17回
私たちが聖霊を通して肉の働き、肉を殺すなら、これはまさに自我を殺すことなんですね。それが戦い、それが肉における苦しみなんです。しかしそのような経験をするなら、このような過程を通るなら、正義は生まれるんです。罪が終わるのです。そのように聖書はハッキリと明確に述べています。
ですから、聖書は罪に勝利しなさいと、そして肉を殺しなさいと述べているのです。そこで私たちは、常にそれを求めなければなりません。
皆さん、肉における苦しみを受けるとき私たちは、「ああどうしよう、苦しみがやってきた、どうして?」と思うかもしれません。しかし、そのような肉による苦しみが起きたとき、悲しんだり落胆したり失望したりしないようにしましょう。皆さん、イエス様の生涯はどうでしたか?イエス様は、快活さや喜びにあふれた歩みをされました。しかし実際にはイエス様は、この地上で誰一人として経験したことのないような苦しみや悲しみ、肉の苦しみを受けられました。それでもイエス様は、いつも喜びにあふれて快活に生きられたのです。イエス様の生涯は、いつも明るく希望と可能性に満ちていたのです。
イエス様は肉における苦しみを受けられましたが、そのとき、私たちのことを思われました。私たちが永遠に生きるために、私たちを義とするために、私たちの内から罪を終わらせるために、サタンからの非難や攻撃を乗り越えられました。救われた人々が、サタンの力から解放されて喜ぶその姿を望み見て、イエス様は十字架を耐えられたのです。それがイエス様の喜びだったのです。
そして私たちも、私たちの周囲にいる人々、後から来る人々が救われる姿を思い浮かべるのです。あの人、この人が罪から救われて喜ぶ、その喜びを思うのです。今は反対している人、批判したり迫害している人、そのような人々がサタンの支配から解放されて神の子とされる日を思って、その人のために祈るのです。
「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである」(ヘブル12:2)。