ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON (74) 花のように

2014年10月30日 | 随筆
秋の只中となった。制作の意欲は盛り上がってきているが、どことなく心の整理が付かず、苛立たしさも混じる。
 you tubeを開いて歌謡曲など拾っていると、「花のように 鳥のように」という阿久 悠の作詞した歌があった。

 そこにあるから追いかけて
 行けば儚い逃げ水の
 それが幸せあるよでなくて
 だけど夢みる願かける
 花のように鳥のように
 世の中に生まれたら一途に
 あるがままの生き方が
        幸せに近い

 “逃げ水”という言葉、久しぶりに聞いたような気がする。この言葉だけで絵が浮かぶ。水彩画が似合うモチーフかもしれない。“幸せに近い”という言葉も絶妙だ。流石、阿久 悠さんは詩人だ。

 しばらく花の絵を描いていない。久しぶりに描いてみるかと思い立って、花屋に走った。大輪のガーベラが眼に留まった。スケッチしてみるが面白くない。ガーベラは茎が長くて縦にしないといけないのだが、画面の中では横向きに並べた構図にしたら何とか絵になりそうに思った。




ギャラリーNON(番外) HELP

2014年07月31日 | 随筆
 妻の親友が困って訊ねて来られた。
 娘婿が心臓を患って、長い間臓器提供者を待っていたが、このほど提供者が見つかり移植手術を受けた。手術は成功し、自宅療養の見通しがついたとのこと。家族の喜びははかり知れないほど大きなものであろう。
 ところが、自宅の環境を整備する必要が有り、その一条件にペットを飼ってはいけないのだそうだ。かわいいミニダックスフンドが二匹写った里親探しのチラシをつくって我が家に持ってこられた。
 つい今の今まで、私の入院や療養で大変お世話になった方の困り顔を見ていると、何とかならないかと思うのだが、私自身、無菌室に入って治療を受けた身であって、どうにもならない。
もし、この記事をみて、里親に成ってくださる方がおられたら、助けてあげて欲しい。



ギャラリーNON (73) 弁慶の刀狩り

2014年07月27日 | 随筆
 治療終了した直後、地元の若松美術協会の会員展の知らせが来て、出品規定が送られてきた。復帰第一作はなんとしようか。しばし考えた末、昨年の暮れにスケッチした蓮池を作品にしようと決めた。
 睦月、卯月、弥生と始まって神無月までの10点を昨年12月の個展に出品したが、あと霜月と師走がない。なぜこんな形の連作をしたのか自分でもはっきりしないのだが、ただ、同じモチーフを何度も描いてみることはやってみたかった。結果として、M50号という大型で、全て縦形構図をとったが、同じ風景の切り取りはせず、描く月を変えた。“それがどうした”と言われてもしかたないが、自分にとってはもう対象を描き取ることに飽きていつの間にかイメージを優先した絵になってしまったことが嬉しくて仕方ない。脳裏に浮かんだものが描ける開放感ということだろう。その作品は「葉月」だ。去年の12月の個展では、その作品の前で何人かの方が足を留めてくれた。
 弁慶の刀狩ではないが、「師走」ができたのであと一点、「霜月」ができると、12ヶ月の作品が揃う。この次の作品は是非「霜月」にしたい。そうしたら、義経のような人物か、それに代わる素晴らしい出会いがあるかもしれない。
 「師走」2014年6月作
 静かな年の暮れ、宵の明星と月が二重奏を演じている。

ギャラリーNON(72) 大切に生きよう

2014年07月10日 | 随筆
 今年の正月は辛くて長い時間を過ごした。昨暮れのクリスマスの日に胃カメラ検査をした。12月初めの人間ドックの胃透視で、入り口の天井の粘膜に異状があるから胃カメラで精査するよう勧められたからだ。胃カメラの医師は、カメラを押し込みながら入り口の天井の粘膜異状などないよと言って、さらに押し込んで行くと「うっ」と声を発した。胃の出口近くに、見た目に癌と分かる病変があったらしいのだ。丁度正月休みにかかるため、生検の結果は1月6日になると言う。結果がはっきりする前に妻や家族に言ってしまうのは、みんなの休みを台無しにしてしまうと思って、一人で苦しむことにした。夜はまあまあ眠ったが、孫たちが遊んでいるのを見るにつけ切なくなって、間違いであってくれと願いながら過ごした。その時間はとても長かった。
1月6日になった。覚悟をして医者の前に腰掛けた。「やっぱり癌でした。胃の中ほどにポリープがあり、それも癌でしたので、おそらく胃切除手術となるでしょう。」と告知された。「それからもう一つ、12指腸の壁にリンパ腫のような病変が認められたので、病院へ移って精密な検査を受けてください。」と言われた。私は何を言われたのか質問することもしないで、ボーっとして聞いていた。
 早速、胃カメラの動画記録カードを預かって病院へ行った。2日かけて手術前の全身検査がなされ、1月13日、Dr.Hの前に腰掛けた。そして告げられた。「胃癌と十二指腸悪性リンパ腫です。」と。今まで入院や手術をしたことないので、一気に二つの重大な病名を告知されたことは、大変なショックだった。家に帰って、全く無知であったリンパ腫について調べてみると、大変な病気で、いわゆる血液の癌だった。調べ疲れて眠ってしまうが2時間くらいで目覚め、それから朝まで色々な思い巡らしが始まる。そんな夜が三日続き、病人になったように疲れた。疲れたらもう病気について詳しく知る意欲が薄れ、だんだんと、もう少し生きるためにはどうしたらよいかを知りたくなって行った。
 告知から一週間経ち、医者と治療計画について決める時が来た。たちまち予定が確定し、私はまな板の上のひとになった。福岡に暮らしている子どもたちも、次第にことの重大さが分かってきたのか、いろいろ気遣ってくれ始め、水彩画教室やカルチャー教室も、長期休講を配慮してくれたり、何よりも復帰を待つと言ってくれたことは励みになる言葉だった。美術協会の仕事も事務局や役員がすべてカバーしてくれた。
 2月3日の胃の切除手術、4月1日から三ヶ月の予定でリンパ腫の化学療法がなされた。そして、計画通りの治療が終了し、もう癌は消えたかどうかの判定日、6月18日が来た。何度か座ったDr.の傍の丸椅子にまた座った。検査医の検査中のコメントで良い結果だろうとは予測されたが、Dr.の口から聞くまでは・・・。「寛解が得られましたよ」と笑顔で告げてくれた。これからの人生、大切に生きようと痛切に思った。
 

ギャラリーNON(71)  絵画の飾り場所

2014年02月27日 | 随筆
  手術後4日目、体は一日も早く動かした方がいいと言われて点滴のキャスターを引き回しながら廊下を歩く。廊下の壁のところどころに絵が架けてある。印象深い作品もあるが、ほとんどは患者さんが入院中に描いた色紙や写真、水墨画、書、俳句・俳画のようなものである。病院が患者さんから頂いた作品を選んで掛けるわけにも行かなかったのだろう、所狭しと並べてある。もちろん、同じ壁に病院としての案内、注目されている治療法の説明、病院の基本理念、注意事項なども掲示されている。
  私はふと思った。病院にはディスプレイのセンスが作動していないのではないか。病院の雰囲気作りをするのはどこなんだろう。患者と接する看護師でもない。もちろん、外来・入院病棟を休みなく立ち回る医師たちでもないだろう。検査医、設備保全、清掃の方たちは時間も権限もなさそう。やはり総務的な部署に適した仕事だなと思って、何処にそんな部署があるのか見回すが見当たらない。入退院の手続きや、会計窓口は総務系の仕事に見えるけれども、本当にこの病院に所属している職員とは思えない向きもある。病院の全病棟の略図を調べると管理棟と言うのがあるが、ここにどういった部署が入っているのか記載がない。ここは、患者には直接係わりがないので表記していないのであろう。
  掲示や展示は病院発の意思によって成されるものではないだろうか。基本理念を実践するために日々どのような医療活動をしているかをディスプレイして欲しいと思うが、HPを参照してもそこまでは示されていない。絵画は鑑賞するものであるが、音楽も台詞もなく、画面は静止して動かない。しかし、その前に立つとその人なりの思い巡らしが始まり、しばらくの間絵に誘導された空間に立たせる力がある。だから、せめて掲示物のなかに混在させないディスプレイをして欲しいと願う。