1980年、若松区西園町在住の山福康政(51歳)が自費出版したイラスト自叙伝「ふろく」の原画展が開かれました。
「ふろく」の出版を知った光安鐵男は、山福さんのことは住まいが近くであることや、画廊で催す展覧会の案内状は山福さんが営む印刷屋さんに頼んでいましたから顔見知り以上の仲でしたが、詳しいことは知らないことに気付き、原画展を開く前に慌ててインタビューを申し込みました。光安は下剤をかけられたような驚きを覚えました。二部屋びっしりの蔵書で押し潰されそうな書斎に通され、山福さんの生きざまを知ることになるのです。
今回の展覧会の4年前、山福さんは脳血栓で倒れました。「ふろく」の中の言葉をそのままお借りすると、
「ふはーほれふぁ ひーらひほうらあふぁんはろー」(あーこれは一体どうなったんだろー)。脳血栓発作が起きた直後に発した言葉です。人間一寸先は分からないということを文字通り体験したのです。後遺症による痺れは体を左右に分断し、風呂に入っても半身は全く温もりを感じません。医師からは
「今度は軽かったが、この次はおしまいですよ」
と宣告されました。
「これで一巻の終わりか、おれはこの世に何をしに生まれてきたのか?」
必死のリハビリに取り組み、後遺症は少しづつ薄らいでいきます。
発作後二年目くらいから指先のリハビリになると思い、不自由な右手にペンを執りました。
「何を描こうか?」
「よし、おれの人生を描こう。親父の生きざまを子供達に描き残しておいてやろう」
と決心して、描き始めたのが紙芝居風の絵ばなし自叙伝「ふろく」だったのです。
会場の原画94点には手彩色が施され画廊を明るくしています。ユニークな山福さんの絵と文章は、飽食の世の様々な歪の中で生きる戦争体験者の目と足を釘付けにします。不思議にも誰もが話さない「焼け跡」、「やみ市」などなど。すべて手描きの一風変わった"自分史"は大変好評で、自家製印刷の初版500部はすぐ売りきれてしまい、二版目の印刷を今度は東京の出版社が申し出てきました。
帯にそのまま使えそうな幾人かの作家さんらが山福さんに寄せた言葉を列挙しましょう。
林 紀一郎(美術評論家)
山福康政さんが楽しい「おまけ」を分けてくれた。20数年も昔の若松の同人雑誌「習作(えちゅうど)」の同人として、自主劇団「青の会」の仲間として、この度の「ふろく」ほど嬉しい再会は他にない。4年前、脳血栓で倒れ、再起を危ぶまれた男の、なんというあざやかな変身・蘇生ぶりだろう。
石牟礼道子(作家)
ふろくとは、雑誌など夢にも買ってもらえなかった少女の頃、手にすることの出来ぬ宝物のイメージでしたが、今それが遠い日の夢の中から来たように手の中に在り、長い間、欲しがることを知らなかったごほうびに、神さまが下さったのであろうと思うことです。大切にいたします。あとまた来ないかなと、現金にも思いましたが、やっぱり欲しがらずに待っていることにいたします。
井上ひさし(作家)
「ふろく」をありがとうございました。徹夜でよませていただきました。とてもたのしかったです。特に "だれも知らないエントツのびる夜がある” はすばらしい俳諧だなと思い感動しました。ありがとうございました。
武田百合子(随筆家)
続けて読んだり、終わりの方を読んだり、まんなかあたりを読んだりして読み耽りました。読むと私の心の中がにっこり笑うのです。脳血栓発作の絵、一人で涙を出して笑いました。シビレラインの点線とひょられぐあ~。どうぞ、いつまでも、武田の書きましたもの、忘れずにいてやって下さい。
谷川俊太郎(詩人)
朝の配達でとどいた「ふろく」面白い面白いと夢中で読んでいたら、おやつの時間になっていました。こういう書物もあるんだなあと嬉しくなります。快活で自由で、てれていて、あけひろげのようでいて、ちゃんとかくしていて、俳句にも好きなものいろいろありました。
「ふろく」の出版を知った光安鐵男は、山福さんのことは住まいが近くであることや、画廊で催す展覧会の案内状は山福さんが営む印刷屋さんに頼んでいましたから顔見知り以上の仲でしたが、詳しいことは知らないことに気付き、原画展を開く前に慌ててインタビューを申し込みました。光安は下剤をかけられたような驚きを覚えました。二部屋びっしりの蔵書で押し潰されそうな書斎に通され、山福さんの生きざまを知ることになるのです。
今回の展覧会の4年前、山福さんは脳血栓で倒れました。「ふろく」の中の言葉をそのままお借りすると、
「ふはーほれふぁ ひーらひほうらあふぁんはろー」(あーこれは一体どうなったんだろー)。脳血栓発作が起きた直後に発した言葉です。人間一寸先は分からないということを文字通り体験したのです。後遺症による痺れは体を左右に分断し、風呂に入っても半身は全く温もりを感じません。医師からは
「今度は軽かったが、この次はおしまいですよ」
と宣告されました。
「これで一巻の終わりか、おれはこの世に何をしに生まれてきたのか?」
必死のリハビリに取り組み、後遺症は少しづつ薄らいでいきます。
発作後二年目くらいから指先のリハビリになると思い、不自由な右手にペンを執りました。
「何を描こうか?」
「よし、おれの人生を描こう。親父の生きざまを子供達に描き残しておいてやろう」
と決心して、描き始めたのが紙芝居風の絵ばなし自叙伝「ふろく」だったのです。
会場の原画94点には手彩色が施され画廊を明るくしています。ユニークな山福さんの絵と文章は、飽食の世の様々な歪の中で生きる戦争体験者の目と足を釘付けにします。不思議にも誰もが話さない「焼け跡」、「やみ市」などなど。すべて手描きの一風変わった"自分史"は大変好評で、自家製印刷の初版500部はすぐ売りきれてしまい、二版目の印刷を今度は東京の出版社が申し出てきました。
帯にそのまま使えそうな幾人かの作家さんらが山福さんに寄せた言葉を列挙しましょう。
林 紀一郎(美術評論家)
山福康政さんが楽しい「おまけ」を分けてくれた。20数年も昔の若松の同人雑誌「習作(えちゅうど)」の同人として、自主劇団「青の会」の仲間として、この度の「ふろく」ほど嬉しい再会は他にない。4年前、脳血栓で倒れ、再起を危ぶまれた男の、なんというあざやかな変身・蘇生ぶりだろう。
石牟礼道子(作家)
ふろくとは、雑誌など夢にも買ってもらえなかった少女の頃、手にすることの出来ぬ宝物のイメージでしたが、今それが遠い日の夢の中から来たように手の中に在り、長い間、欲しがることを知らなかったごほうびに、神さまが下さったのであろうと思うことです。大切にいたします。あとまた来ないかなと、現金にも思いましたが、やっぱり欲しがらずに待っていることにいたします。
井上ひさし(作家)
「ふろく」をありがとうございました。徹夜でよませていただきました。とてもたのしかったです。特に "だれも知らないエントツのびる夜がある” はすばらしい俳諧だなと思い感動しました。ありがとうございました。
武田百合子(随筆家)
続けて読んだり、終わりの方を読んだり、まんなかあたりを読んだりして読み耽りました。読むと私の心の中がにっこり笑うのです。脳血栓発作の絵、一人で涙を出して笑いました。シビレラインの点線とひょられぐあ~。どうぞ、いつまでも、武田の書きましたもの、忘れずにいてやって下さい。
谷川俊太郎(詩人)
朝の配達でとどいた「ふろく」面白い面白いと夢中で読んでいたら、おやつの時間になっていました。こういう書物もあるんだなあと嬉しくなります。快活で自由で、てれていて、あけひろげのようでいて、ちゃんとかくしていて、俳句にも好きなものいろいろありました。