ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON(38) 11回目の個展

2009年10月17日 | 随筆
 1998年に始めた個展は10年間続けてきたが、昨年はマンネリ化はまずいので1回お休みをした。 ここ数年間は、10点足らずを飾ることの出来る喫茶店などで展示をしたり、ギャラリー企画の展覧会の出品依頼に応えたり、銀行のロビー展など、あちこちと出品をしてきた。それでも審査のある展覧会だけは避けてきたせいか、さまざまな作品を他からのサジェスションなしに自分の目で見ることが出来きた。また、特に個展の場合、来場者の反応からどう受け止められたか分かるのも面白い。そんなことで、自分の作品はどんな所にあるのかもおぼろげながら分かるようになった。
 今年は11回目の個展となる。今回の個展はできるだけ会場に居て、可能な限り来場者と会話をするように心がけた。
 
 若い30代後半に見える男性がやってきて、おもむろにポケットから石ころを取り出して私に見せて言った。
 「ゴッホの作品を私なりに色を変えて石ころに描いてみました。この色こそが日本的な色で感動を呼ぶことに気が付いたのです。そんなテーマで展覧会をしたいと思うのですが、ご意見を聞かせて下さい。」

 ベテランの画家に私は尋ねた。
 「私の絵は、大正時代の画風のようで、こんな時代遅れの絵を描いていて良いものでしょうか」
 画家は応えて、
 「あなたの世界を描けばよいのであって時代に相応しいかどうかは考えなくていいだろう。それより、私に水彩画の描き方を教えてくれないか。もう時間がないので習う方が早道だから。」  
 水墨画を描いておられる友が二年ぶりに来て下さった。4点の作品を持って。それは中国を旅された時のスケッチだった。私に感想を求められた。路端でニ胡を奏でている老人の絵がよかった。寒さとひもじさとが一緒になった老人の背中はまる虫のように弧を描いて悲しげだった。 

 「どうして「有終」という画題をつけたのですか」と尋ねられて答えた。
 生きているものには必ず終わりがある。枯れて、朽ちて、錆びて、折れて、倒れて、褪せて、細ってくるのでそれが分かる。だがそんな時にも美しい瞬間がある。それを描きたい。


 「合唱」と題した絵の前では、多くの人がかすかに笑う。
 親について来た子供が言った。
 「丸太が口を明けて唄っているみたい」  と。


 日水や中央の展覧会に出品していないのですかと尋ねられ、
 審査される展覧会には出品していませんと答えた。弱虫で腰抜けを丸出しにした。

個展は面白い。ミュージシャンがこじんまりとしたライブハウスで活動することを好むのと、多分同じ気持ちだろう。