ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

ギャラリーNON(51) 壊滅(その2)

2011年05月04日 | 随筆
 福島県の原子力発電所のリスクはどう見たのだろうか。壊滅することを想定をしたら原子力発電は成り立たないので、成り立つ範囲でのリスクを想定し、壊滅したら仕方がないことにしたのだと言わざるを得ない。私が先の活断層マップで回答したのも工場が壊滅したらどうするかは、そうなったらその時考えるというのが正直で無策な回答だった。しばらく製品は供給できなくなるということである。原子力発電はそうはいかない。壊滅したら電力供給ができなくなるのは当然だが、もう一つ福島県がゴースト県になり、汚染は福島にとどまらない。だから、繰り返すが、壊滅することを想定したら原子力発電は成り立たない。そんなもの作っていいのだろうか。安全なものであれば次はお台場にでも作るといい。ずいぶん若かった頃聞いた言葉だけれども、“原子力発電はトイレの無い家を新築するようなもの”と。人間の排泄物ならともかく、原子力発電の汚物・廃物は捨てどころがない。発電を止めても核分裂は潜在化するたけで天災で壊滅すれば核分裂は顕在化する。コンパクトで大量のエネルギーが得られる魔力に魅せられて、壊滅したときの甚大な被害は技術力で征服できると言う頑張り精神で健気な庶民の心配をなだめるのはもう止めよう。地震列島日本、技術立国日本に相応しいエネルギー転換政策を打ち立てて欲しい。

 1959年に就職で北九州に住むようになった。国策で石炭から石油へエネルギー転換することが始まっていた頃である。若松市(現・若松区)の対岸の八幡・戸畑には大企業が林立しており、文字通り七色の煙が立ち昇り、繁栄を誇っていた。就職した会社はそのエネルギー転換政策を確かなものにするために設立された。原油を精製してガス・ガソリン・軽油・灯油などに分留する際の各得率を需要に応じてコントロールするための触媒をつくる会社だった。その会社が立ち上がるとともに、煤塵が消え七色の虹は消えていったのはエネルギー転換政策が進んだ証だった。しかし今度は石油をもやすこによる、大気汚染が始まった。息子も喘息で苦しんだ。環境対策基本法は七公害に対応しつつ、1973年のオイルショックを契機に再びエネルギー転換政策が発せられた対象は原子力。流れとしては理解できるが、原発が壊滅したらどうすかを霞の中に隠してクリーンエネルギーをうたい文句に石油に次ぐエネルギー転換政策が進んだ。 こうしているうちに2010年には世界は風力・太陽光発電が原子力を上回った。太陽光発電、風力発電ともに欧米や後発の中国にトップのシェアを奪われた。フランスやアメリカは危機に直面した備えを見せつけようとしているが、ひとたび壊滅(原子炉爆発)したら手のつけようが無いのは変わらない。

 5月26日からのG8首脳会議で、菅総理にスピーチの機会が与えられている。これからの日本のエネルギー政策を述べきることができるだろうか心もとない。浜岡原発を止めることを指示したがまだエネルギー政策の理念は汲取れない。血が全身を駆け巡るのが分かるくらいの朝をこの老人にも与えて欲しい。