夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

「ジャニーズ性加害」 テレビ・新聞は偽善のかたまり

2023-09-10 11:10:10 | 社会


 テレビ・新聞も当事者
 ジャニー喜多川による、主に未成年男子に対する性犯罪が問題になり、その事務所が謝罪会見に追い込まれた。その犯罪ぶりは、抵抗できない者に対する口淫等悪質きわまりないと言っていい。数百人にわたる可能性のある被害者は、身の毛のよだつほどの恐怖を味わい、その後も深く傷ついた違いない。
 当事者としてのジャニーズ事務所は、社長が引責辞任し、被害者の補償と救済に傾注することを発表した。しかし、この問題の当事者はこの会社だけではない。この謝罪会見より先にこの問題を追及した特別チームの報告にあるように、この問題をあたかも無かったことのように扱ってきたテレビ・新聞も、加害者に加担してきた当事者なのである。それは、テレビ・新聞がこの問題を追及していれば、ジャニーズ事務所の側も無かったことのようにはできないからである。ジャニーズの各面々登場させるテレビ局は、その系列の新聞とともに、問題にしない姿勢を維持することで、何事もなかったように装い、それによる利益を享受してきたのである。まさに、テレビ・新聞も加害者であり、この問題の当事者に属するのである。

まったく反省の姿勢がないテレビ・新聞
 こ会見を報道したテレビ各局は、決まり文句のにように「性暴力について『決して許されるものではない』、マスメディアへの指摘について『重く受け止め』という言葉が並ぶ 文言を発表した。
 新聞も似たようなもので、日頃から人権を騒ぎ立てる(特に、中国の人権問題には甚だしく書きたてる)朝日新聞を例に挙げれば、9月8日に本社の談話として「人権尊重 今後も徹底します」と題し、「本社は性加害などの人権侵害を許されないものと考え、……、人権尊重の観点を……徹底してまいります」としている。
 しかし、「許されないものと考え」、「今後も徹底します」と言いいながら、なぜこのジャニーズの人権侵害を報道して来なかったのかは、どこにも書いていない。なぜ報道しなかったのかを明らかにしなければ、メディア側の問題は何も明らかにはならないのである。
 これではまるで常習の犯罪者が「今後はやりません」と口先だけで言っているようなもので、反省の姿勢などまったくないと言っていい。
 そもそもテレビ局とその系列の新聞社が、この問題を報道しなかった理由は、簡単に想像できる。この問題が報道されるようになって、ジャニーズタレントをCMに起用しているスポンサーは、その起用を見直し始めたが、それはテレビ局にとっても番組での起用を見直す、つまり、主演を減少させる動きに繋がっていくだろう。そのことは、人気のあるタレントを降板させることであり、視聴率に影響する。視聴率が低下すれば、テレビ局の利益を減少させることになる。テレビ局は、このことを恐れ、何事もなかったかのような報道に徹したのである。
 テレビ局は、私企業であり、第一優先が利益の確保であることを否定できない。系列の新聞社も同様の措置を取らざるを得ない。すべて、マスメディアが私企業であることから選択せざるを得ない方針なのだが、私企業ではないNHKも視聴率を無視することはできず、また、テレビ業界全体の利益を考えれば、「報道しない」という選択をせざるを得なかった、ということである。

 1999年に この問題を追及した『週刊文春』をジャニーズ事務所らが発行元の文藝春秋を名誉毀損で提訴した。これも、テレビ局、あるいはテレビ業界と直接利害関係がない出版社だから追求できたのである。
 そして、2002年に東京地裁が文春側の敗訴判決を出したが、2003年には東京高裁は、文春側を敗訴としたものの「セクハラに関する記事の重要な部分について真実であることの証明があった」と認定し、「少年らが自ら捜査機関に申告することも、保護者に事実をうち明けることもしなかったとしても不自然であるとはいえず、(中略)セクハラ行為を断れば、ステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなると考えたということも十分首肯できる」と結論づけているのである。
 この裁判の結果をテレビ・新聞は、一応形だけほんのわずかに報道はした。しかし、ジャニーズ性加害は、このように法的にも明らかであり、その後は都合の悪いことは口をつぐむという行為は、「報道機関」に位置づけられるテレビ・新聞は、「報道機関」失格なのである。

旧統一教会問題も同様に報道しなかった
 旧統一教会の実態が報道されるようになったのは、安倍晋三が殺害され、統一教会側が記者会見を実施してからのことである。それ以前の約30年にわたり、テレビ・新聞はまったくこのことに言及しなかったのだ。旧統一教会を追及していたのは、被害者の救済に携わる弁護士や独立したジャーナリストだけだったのだ。もし、安倍晋三が殺害されなかったら、テレビ・新聞はそのままダンマリを決め込んだだろう。
 これも、なぜテレビ・新聞は報道しなかったのかを、テレビ・新聞はまったく理由を明らかにしていない。反省のハの字もないのである。
 この旧統一教会問題も報道して来なかった理由は、想像に難くない。旧統一教会が、政権党である自民党に強く食い込んでいたからである。旧統一教会問題を追及することは、権力を持つ自民党を追及するのに等しいのである。だから、テレビ・新聞は追求できないのである。新聞で追求していたのは「赤旗」ぐらいだったことを見れば、それが理解しやすいだろう。ついでに言えば、被害者の救済に携わる弁護士には、左派系の労働者支援団体とも繋がっている人たちが散見される。そのような「アカ弁護士」をテレビ・新聞は嫌っているのは、周知の事実である。

結局のところ、テレビ・新聞はカネと権力に忖度する
 テレビ・新聞は、確かに、SNSと異なりフェイクニュースは流さない。その替わり、上記の例で明らかのよに、かれらは、都合の悪いことは報道しない、都合のいいことは大量に報道するという手段でカネと権力の味方なのである。
 はっきり書けば、自民党が長期にわたり権力についているのも、これら日本のテレビ・新聞の「貢献」によるものと言っていい。

 アメリカのバーニー・サンダースは、8月末の労働者集会で演説し、「今こそ、労働者を中心とした庶民階層のためのメディアが必要だ」と力説した。それは、むしろアメリカよりも日本にこそ強く求められていることだろう。
 
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