ロシアのウクライナ侵略から2週間近くになったが、戦線は膠着状態に陥っている。ロシア側は、もともと、アメリカがイラク戦争で行ったように、すべての軍事拠点を徹底的に空爆し、敵をほぼ無力化してから、地上軍を進撃させる作戦を採らなかったので、ウクライナ軍と市民の抵抗が想定以上に強く、ロシア軍の進軍を遅らせている。これはプーチンが、ウクライナ政権は国民の支持は弱く、ロシア軍の侵攻により、すぐに崩壊するという誤った情報により、誤解していたからだと想像できる。
このような状況の中で、西側主要メディアは「ロシア100%悪玉論」というべき論調一色になっている。ロシアが100%悪いとは、西側にはまったく非はない、ということである。それは、英BBCも、米CNNも、オーストラリアABCも、ニューヨーク・タイムズも、ガーディアンも、日本のメディア(赤旗にも、それに同調した記事が見られる)も同様である。そこには、NATOの東方拡大によって、ロシアが感じるであろう脅威にはまったく言及されていない。例え、NATOは防衛的であり、ロシアへの攻撃の意図はないという西側の主張が正しいとしても、東欧諸国のアメリカ軍の軍事的プレゼンスを相手側は脅威と認識する可能性があることは、まったく考慮されない。
さらに全面的に押し出されているのが、民主主義国家対独裁国家という図式である。これまで、ロシアには権威主義という言葉が使われていたのだが、ウクライナ侵略以降は、独裁国家、専制主義という言葉に置き換わっている。勿論、これにはロシアの「仲間」として中国を意識しており、両国とも独裁国家であり、西側民主主義国の敵という意味が込められている。そこには、西側民主主義国家は、善であり、正義であるが、ロシア、中国の独裁国家は悪であり、不正義であるという意味をも含む。
「悪に枢軸」の復活
これらのことがもたらすものは、西側民主主義国家の政策は正しく、常に誤りがないかのような錯覚である。このことは、西側民主主義国家が行う戦争は正義だという錯覚をもたらす危険に満ちている。相手は独裁国家なので、悪であるので、それと戦うのは正義という図式が生まれるのである。ブッシュの唱えた「悪の枢軸」が、イラン・イラク・北朝鮮から、ロシア・中国へと、事実上、復活しているのある。(現に、オーストラリアABCは、3月9日ニュースで「悪の枢軸」という言葉を使った。)
アメリカ主導で行われたイラク戦争で、アメリカ政府はイラク側の民間人死者数には一切言及していないが、100万人以上にのぼるという推定もある。ロシア軍のウクライナでの民間人殺害に対する非難と比べれば、その扱いは極めて小さく、死者数も把握されていないほどである。何よりも、大量破壊兵器の保有という誤情報に基づいて開始された戦争は、独裁国家は悪という単純な図式から、誤情報を西側政府もメディアも疑うことをしなかった可能性が高い。
今回の侵略には、ウクライナの軍事力が弱いのでロシアが実行に踏み切ったという言説が沸き起こっている。侵略からの抑止力としての軍事力は、もっと大きなものにしなければならないという言説である。この言説は、ロシア・中国対西側を独裁国家対民主主義国家という図式によって、中国にも適用される。中国による侵略を食い止めるために、軍事力は強化されなければならないという主張が必然的に高まる。NATOの強化と同様に、日米安保も強化しなければならない、という主張がまかり通る。侵略戦争に反対するために、平和を守るために軍事力強化しなければならない、というパラドックスが生まれるのである。ただ単に、戦争反対を叫んでみたところで、戦争をさせないために、軍事力強化が必要だという主張には、対抗できないのである。
因みにこのパラドックスは、日本のメディア、特に朝日新聞が、日米安保を肯定しておきながら、沖縄だけの基地問題を強調する愚かな論調と同様なものである。日米安保を肯定すれば、沖縄の負担を軽減するには、沖縄に置かれた米軍基地を日本全体に広げるという論理しか出てこない。そうすれば、確実に沖縄の被害は軽減するからである。沖縄の苦しみを東京でも味わえば、公平な負担になり、肝心な日米安保も維持され、問題なし、ということである。
主要メディアが、ロシア100%悪玉論に覆われる中で、それに異議を唱えるものもないわけではない。ル・モンド・ディプロマティークは、鋭くその問題に切り込んでいる。
また日本でも、岩上安身のIWJ、孫崎亨、伊勢崎賢治、その他旧ソ連・東欧の研究者などは、ロシア100%悪玉論とは、別の角度で異論を唱えている。しかし、これらの異論は、主要メディアによる大量情報により、かき消されてしまう。
主要メディアによる大量情報は、主に政府(例えば、アメリカ政府高官の発言が大量に流されている。)とそれに追随する「専門家」によって作られる。これは、ノーム・チョムスキーが言うメディアコントロールなのだが、この状況はますます強まっている。SNSにしても、所詮、利益を追求する営利企業が担っているので、権力と金力に沿うアルゴリズム等を組むなどの経営方針が貫かれている。言論の自由は確かにあるが、権力と対峙する側の言論の自由の大きさは、権力を揺るがすほどの大きさはない。日本の場合は、主要メディア、特にテレビは、自民党に近い言論にほぼ独占され、その影響力が自民党の永久政権を可能にしている。
このように、西側にも多くの問題があるのだが、ロシア100%悪玉論や、敵対する構図を独裁国家対民主主義国家と単純化することは、無意識に、その問題を不問に付す方向に向かわせるのである。
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